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54.魔性の氷解 前編

 竜の首には鬣を思わせる棘のような突起が連なっているが、肩の辺り、背の部分はちょうどなだらかになっていた。エルマが猫もどきと一緒にそこに収まると、三番目は飛翔する。


 意外にも、初めてフォルトラに乗った時より恐ろしさは感じなかった。

 もちろん、竜の方が体が大きいから、その分下が見えずに済む。だが根本的に、天馬や馬に乗った時と感覚が違っていた。


 上昇中は浮遊感があったが、ひとたび前進方向に移動が変わると、水平方向の移動感覚だけが伝わる。竜が雲の中に飛び込み、辺り一面が白色に包まれる。それからぱっと辺りが暗くなり、次いでちかちかと星のような光が明滅する。竜の目で見たような光景が一瞬で過ぎ去り――。


 ――そして気がついたら、見知らぬ地の上空にいた。


 飛ぶというより、渡るという方が表現として合っていそうだ。トンネルの中を高速で通り過ぎた、というのが一番感覚として近いかもしれない。たぶんこれも転移魔法の一つだが、今まで経験したものとも違う。


 見渡す限り、下方には一面、白銀の世界が広がっていた。雪と氷で閉ざされた大地の様子に、エルマは目を瞠る。


「ここは……」

「最北、果ての大地。終わりの地」


 三番目の分身体の応じる声が、耳に直接届けられた。エルマはビクッとしたが、多少驚いた程度では落下の危険性は感じない。


 最果ての不死。それは大陸の最北、閉ざされた氷の中に封じられ、眠り続ける竜を示す言葉だ。


 魔女と竜は徐々に北に追われ、人の住めぬ不毛の地にて勇者一行を迎え撃った。元はもう少し土色の見える荒野だったという話だが、決戦後にすべてを覆い隠そうとするかのように雪が降り積もり、以来一度も溶けることなく、ずっとこの地を白く染めているのだと言う。


 この色のない、人の出入りの禁じられた世界のどこかで、大陸の人間の未来をかけた争いがなされ、人がけして敵わぬ神代の生き物が埋もれている――そんな風に考えたら、ぞわりと首の後ろに怖気が走った。


「大丈夫。封印入り口、ここある、それだけ。ヨルン自身、どこでもない場所いる」


 恐れを感じ取った三番目が淡々と述べた。ヨルン自身はこの地の下に直接いるわけではなく、魔法によって異空間に閉じ込められているのだと。

 それですべてが安心できるわけではないが、多少は気が落ち着く。


「……一番目の竜は、この場所にユーグリークさまを招いたの?」

「ヨルンの終わり場所、鱗の始まり場所。ここで朽ち果てる、いちばん決めてた」


 エルマは深くため息を吐いた。勝手な計画に、無関係だった自分の婚約者を巻き込むなと、怒るべきところなのかもしれない。


 だが麗しくもおぞましい白銀の世界を見ていると、感じることのすべてが雪と氷の中に吸い込まれていくようだ。ここには何もないし、何も芽吹かず、咲くことも実ることもない。


(この色のない世界に、終わることもなくずっと在り続ける。それは……きっと、寂しいことだわ。とても)


 喪失の経験なら、エルマもよく知っている。大事な人を目の前で喪う辛さなら、痛いほど理解できた。だからだろうか、竜に対して憤りを覚えても、怒りの熱が持続しない。残るのはただ――どうにもならなかったのか、という、答えのない問いだ。


 うるにゃん、と抱えていたウィッフィーが鳴く。猫もどきが示す先に顔を上げたエルマははっと息を呑んだ。


 夜に向かう朱の光に照らされ、白と黒の世界は淡く闇に染まりつつある。地と空のあわいに、ぽつんと何か異物が紛れ込んでいる。羽ばたくヨルンが近づいていくと、それは中空に浮かぶ氷の城だとわかる。


「…………」


 エルマは思わず、笑ってしまった。ふふっと笑みが零れた乗り手に、竜が怪訝そうに問いかけてくる。


「何がおかしい?」

「だって、氷の城を作って閉じこもっているだなんて。もう、あの人ったら……」


 魔性の男は仰々しい肩書きに対し、案外根が素直で単純な性格をしている。そのわかりやすさと生真面目さが、可愛らしくて愛おしい。


 竜はエルマの感情が理解できず不思議そうにしていたが、いよいよ入り口部分らしき城門が近づいてくると一度その場にとどまる。エルマも気を取り直し、姿勢を正した。


「わかる? あれ、魔力塊」

「……ええ」


 魔法の世界を見る目で見ずとも、氷の城が圧倒的な魔力で作られていることは感じ取れた。今まで感じなかった冷えを急に覚えたのは、ユーグリークが外界の何ものに対しても示す拒絶の意思によるものだろう。


「竜の目開く。道見える。後は進む、それだけ。……覚悟ある?」


 二番目の竜であればもう少し助言らしきことを口にしたかも知れないが、三番目の竜はただ確認するのみだ。今までやってきたことをきちんと今回もやる、それだけだと。


「――ええ。覚悟はとっくにできている」


 エルマが頷けば、竜はいよいよ大きく翼を広げ、氷の城の入り口部分に降り立つ。

 氷に触れた瞬間から、ビシビシと音を立てて足が凍えていく。瞬時に対策したのか、凍り付いたのは足下だけ、それ以上は無事だ。だが接地しただけで、竜ですらこうなるのだ。人間であれば――と嫌な想像をさせるのはたやすかった。


 だがエルマも竜も動じる様子は見せない。


 三番目の竜はただ、乗り手が無事降りるまで待っている。

 エルマは案内係の猫もどきをしっかり抱え直したら、ただいつも通り、大きく息を吸う。


(――集中して)


 最初に意識するべきは額だ。そこに熱を集めると、自分を覆う空気の質量を感じられるようになる。焦げ茶の瞳が菫色に変わり、長い髪が揺れる。


 きらきらと、光が見えた。氷の城が輝いている。とてもまぶしくて、直視していると目が痛くなってくる。だが今はそらすわけにいかない。


 魔力の見える世界は水中に似ているらしい、と竜は確か語っていた。溺れる本能的な恐怖は、エルマが人間である以上まとわりつく。本能を取り去ることはできない。

 でもここは水中ではない。息ができる。大丈夫だと、体に思い出させてやればいい。


(額は魔法の世界とつながるための通り道。制御して。ゆっくり、飲み込んで……胸の辺りまで下ろす、つなげる。心臓で受け止める……)


 短期間の猛特訓を思い出す。竜は完全に感覚派、体で覚えろ理論の教師だったから、この辺りの感覚操作はエルマが自分でもがいて習得したものだ。慎重に、自分自身の声なき声に耳を澄ませながら、動く。


 エルマはついに、氷の城に足をつけた。竜と異なり、触れてもただちに凍えることはない。


 ただしそれは、エルマだから受け入れてもらえているわけではない。ひんやりした拒絶はずっと感じている。向かってくる光の流れを受け流す――それでなんとか、影響を最小限に留めているのだ。


(大丈夫。道を探す……)


 抱えている猫もどきの温もりが心強い。ぎゅっと抱きしめると、元気が湧いてくる。


 ウィッフィーはうにゃ、と鳴き、先に向かえと行き先を示した。その方向を頭に入れつつ、光の中で違和感を覚える部分を探す。

 加護戻しを使う時と同じだ。歪んだ場所はどこだろう?


(……あった。きっと、あそこだ)


 氷の城はどこもかしこも煌びやかな魔法で覆われている。その輝かしさに目がくらみそうになるのを堪えて見つめれば、一部の暗がりを――頑丈そうに見える門を突破してしまえば、案外脆い一部の壁を発見できる。


 進んでいったエルマが目を付けた部分に触れると、果たして氷解した。エルマはたった一人、氷の城の中を進んでいく。


 時折、進む足を阻もうとするように、地面から柱が生えたり、上から氷柱が降ってくることがあった。それらを気にもとめない。だってどれも直接当てる気はないこけおどしだとすぐにわかるからだ。


「脅かすだけではダメですよ。わたしを本当に止めたいなら、ご自分の言葉で仰ってくださいな」


 一度呼びかけると、それ以降の妨害はなくなった。後はただ、エルマが進んでいく足音だけが静かに響く。


 時間の感覚は失せていた。

 エルマがヨルンにもらった力を発揮できるのは、限られた時間内だ。本来、タイムリミットの意識は絶対に心に留めておかなければならない。


 だがエルマはかつてないほど、深く長い集中の中にいた。練習の時のように終わりを意識していたら、ここまでの長時間、氷の城の中を歩き続けることはできなかったかもしれない。


 ただ、ユーグリークの元に行こうと、それだけを考えていた。吐く息の白さを置き去りに、前へ、前へ。


 そしてずっと歩き続けて――ようやく、見つけた。


 こういう場合、終着点は玉座の間で仰々しく待ち構えている、というのが王道になるだろうか。だが彼はひっそりと、小さな部屋に隠れていた。


 寝室よりもずっと狭い空間――エルマはそこが、ユーグリークと逢瀬を重ねた賢者の部屋の一つであると気がつく。今は最低限の家具すらなく、銀髪の男はただ部屋の中心に座り込んでいる。


「…………」


 エルマは少し迷ったが、猫もどきを床に下ろした。手を離した瞬間、ウィッフィーもまた凍り付いていく。賢者の造った生命体は、今度は文句を言わなかった。ただ最後にエルマを励ますようにうるにゃ、と鳴き――そしてあっという間に氷像に変わる。


 エルマはきゅっと唇を噛みしめた。感情を揺れ動かすのはまだ早い。振り返ってユーグリークにゆっくり近づき、後ろからそっと抱きしめた。びく、と魔性の男の体が震える。


「探しましたよ、ユーグリークさま」



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