48.無貌の魔女 2
今度も竜は黙したまま答えない。代わりに賢者が息を吐き出す。
「最初に公爵夫妻があの子を連れてきたとき、儂ァ内心、かなり驚いたものじゃ。銀の髪、銀の目、目の下の黒子――そっくりじゃったわい。最もおぞましく、最も美しかった女にな」
「ヨルンは母胎に宿った頃から、彼がいずれ他とは違う成長する、ちゃんとわかってたです。会うまで気がつかなかったじじい、ざーこ」
「儂ァ! 人間の限界内で頑張ってるの! お前と同じことをしたら、ここまで長生きできんかったの!」
しんみりと言う老人に、いつの間にか近くまで忍び寄っていた竜が脇から茶々を入れる。老人が杖を振り上げると、ヨルンはエルマの方に逃げてきた。
エルマは二人の様子に笑おうとしてみるのだが、なんだか力が出ない。結局賢者と同じように、ため息を吐いてしまう。
「わたし、もっと早くに気がつくべきだった。だって二人にはあれほど共通点があったのに――」
「当然じゃ。儂らは魔女の記録を消し去った。あまりに影響が大きく、存在ごとなかったことにはできんかったが、漠然とした御伽噺の悪役以外のイメージはそぎ落としたのじゃ」
賢者はいつものように、さらりと返した。だがその内容はけして軽いものではない。意図的な情報規制をした、と告げているのである。
エルマは図書館のどの本にも魔女の詳細が書かれていなかった理由を知った。同時に、書物に答えを探していたとき、第二王子が教えてくれた碑文の文句も頭に浮かんでくる。
『悪しきものはすべて共に消え去り、旧きが二度と目覚めることのないように』
ユーグリークと同じ特性を持ち、しかも躊躇なく悪用していた魔女は、確かに悪しきものだったのだろう。だが――。
「記録を消したら、“悪しきもの”が二度と生まれてこなくなるとでも? ユーグリークさまが悪しきものだとでも?」
「逆です。切れ切れにしか情報残ってないから、今の時代の魔性は黒を打たれず、比較的平和に過ごせてるです」
今度返したのは竜の方だ。賢者は黙ったまま、ゆるゆると頭を振っている。いつにも増して随分と老け込んでいるように思えた。
「魔女は大勢殺したです。魔女の死後、恐怖と不安が忘れられないにんげんは、今度は互いの中に魔女を見つけようとしたね。魔女以前にも魔性の者はいたとです。皆、寵愛の刻印を刻まれて生まれてくる。でも普通の人間には、ただの黒子と見分けがつかない」
竜はすらすら言葉を並べる。竜にとって、人間同士の争いは文字通り他人事だからかもしれない。
「他にも、銀髪、銀目、美しいもの、肌の白いもの、魔力持ち――魔女と一致したところがあるにんげんは、皆魔女狩りの標的になる可能性あるでした。だからじじい達は、残す情報を整理することしました。魔女の“顔”と一緒に、いらないものは全部消したです」
竜が言葉を切ると、老人はようやく重たい口を開く。
「ゆえに、儂らは魔女を“無貌”と呼ぶ。……どうじゃ。知りたいことは手に入れられたかの」
エルマはしばらく言葉を失った。
老人が以前、「魔女のことは語りたくない」と言ったことがじわじわ染みてくる。本当に思い出したくなかったのは、魔女自身のことよりも、魔女のことを理由にして争った人間達――ひょっとしたらその中には、自分が親しくした者もいたのかもしれない。事情が明らかになった今、そんな風に感じられた。
そしてもう一つ、疑問の答えを得られた気がする。エルマは竜に目を向けた。
「あなたの記憶で魔女の顔が見えないのも、そのせいなの? 人間が魔女の記録を封じたから?」
「それもある。あと半分は、ヨルン自身が思い出したくないです。約束を守らなかった女だから」
ちょうど竜が答え終わった直後、バサバサと羽音が聞こえた。賢者のカラスだ――そういえば今の今まで部屋にいなかった。カラスは賢者の手に止まると、彼はエルマにちらりと目をよこす。
「……一番を追った騎士達が、戻ってきたようじゃ。どうやら振り払われたようだの」
「良かった! いえ、竜の行方がわからなくなったのは問題かもしれませんが、でも、ユーグリークさまも無事にお帰りになったということですよね?」
エルマはほっとしたが、賢者の顔を見てすぐぬか喜びと悟る。
「おぬしにとっては、残念な知らせになるが……ユーグリーク=ジェルマーヌはまだ戻ってきておらぬ。帰還したのはそれ以外の騎士達じゃ」
「そんな、どうして……!」
一度期待したがゆえに、より動揺は大きい。エルマは傍らの竜にくってかかった。
「あなたはヨルンの分身の一人なのでしょう? 何かわからないの? できることはないの!?」
「無事かどうかならわかる。いちばんの目的もわかる。でもこの身には、今いちばんを止める力は残っていない」
「……目的って?」
「いちばんは、魔女のなせなかった約束の履行を求めているです。そのために、さっきお前を攻撃した。大事に想っている相手を傷つける、最も効果的です。狙い通り、魔性はいちばんを追ったね」
魔女の果たさなかった約束とは、自分の死期を悟ったら竜を殺す、というものだったはず。だが魔女だけが死に、竜は残った。だから竜は、魔女と同じ力を持つユーグリークとの殺し合いを望んでいる。理屈としては実にわかりやすい。
一瞬は憤りが心を支配した。すぐにそれは、どんよりした失望に塗り変わる。
「……あなたも本当は、ずっとユーグリークさまを傷つけたかったの? だからわたしを利用したの?」
エルマの元にやってきたヨルンは、エルマと同じようにユーグリークの明るい未来を望んでいると感じた。
だが、同じ竜の一部なら、同じ目的のために動いていたはずではないか。
ユーグリークの顔がなんとかなるという話は、城への侵入を果たし、エルマに近づくための作り話だったのか。自分はやはり欺かれていたのか。いや、おいしい話に飛びついて、何度も浮かんだ懸念を打ち消した。それなら悪いのは、希望的観測のみをとり続けたエルマなのだろうか。
竜が信じられると感じたことは、信じようとしたことは、間違っていたのか。
人ならざるものは、エルマを赤い瞳で見つめ返してくる。竜には人の心が読めるらしいが、エルマに竜の心はわからない。
ただ、あまり感情の起伏が感じられない竜にしては珍しく、傷ついたような色が見えたように感じた。竜はわずかに唇を震わせたが、結局何も口にしない。エルマの問いかけに答える気力を失ったようにも、答えられないようにも見えた。
――収まったかに感じた頭痛が復活してきた。エルマが頭を押さえると、異変にすぐ気がついた賢者が慌てて飛んでくる。
「いかん。お前さんさほど自覚はないやもしれんが、一番に魔力干渉されてかなり消耗しとる。横になりなさい、ほれ」
「でもわたし、何かしなくちゃ。何か、ユーグリークさまのために――」
「今は安静にして、帰りを待つのじゃ。お前さんの婚約者は、氷冷の魔性様じゃぞ? 相手が誰であろうが無事で戻るに決まっとろうし、結婚式をすっぽかしたりせん。だからお前さんは、元気に迎えられるようにせんと……な?」
老人になだめすかされ、頭の痛みがいよいよ激しくなってきたこともあり、エルマは仕方なくまた瞼を下ろす。
既視感がある。これで眠りに落ちれば、またヨルンの見た魔女の姿が夢に映るのだろうと思った。
……だが今度の夢は、今までと少し違っていた。