16.お風呂と侍女
「さ、まずはお召し物をお預かりしましょう」
「服を脱ぐのですか!?」
脱衣所らしきところにエルマを半ば押し込むように連れてきた女性は、早速仕事を始めようとする。
しかし、エルマがぎょっと目を見開くと、丸い目をぱちぱちと瞬かせた。
「お嬢様は、着たままお風呂に入るお方なのですか?」
「いえ……そうですね、お風呂に入るのなら、脱ぐ必要があります。でも……」
「はい」
「あの……一人でできます、というか……その……」
「古い家ですから、初めての方は色々と不慣れな事もございましょう。何なりとお申し付けくださいまし」
「そ……う、なん、ですか……?」
風呂に入る。それはもう、エルマの中でも先ほど受け入れた決定事項だ。
とは言え、他人の前でいきなり裸になんかなれない。
(どうしよう。わたしは部外者、なるべくこの家の約束事に従った方がいいとは思う、けど……)
「あたくしに監視されていると、気になってしまうかしら?」
服を脱ぐ気にもなれないが、一人にしてくれと言っていいものか。
エルマが逡巡していると、何か察したらしい女性が助け船を出した。
「も、申し訳ございません! えっと……!」
「いえいえ。考えてみれば、いきなり見知らぬ人間に服を剥がれるなんて、年頃の娘さんは嫌に決まっていますものね。おくつろぎいただくのが目的ですのに、気をつかわせて疲れさせてしまったら本末転倒ですもの」
丸くふっくらした女は、エルマのぶしつけであろう態度にも気を悪くした様子は見せず、ニコニコしながら手で示して説明をしていく。
「そちらにお召し物を入れていただいたら、正面の扉を進んでくださいまし。そこがすぐ浴室です。あたくしは側に控えておりますから、何か困った事があったら遠慮なくお声がけくださいな」
「すみません……ありがとうございます」
「いえいえ。どうぞごゆっくり」
女は一礼して姿を消した。
ようやく一人になったエルマは、居心地の悪い中、そろりそろりと行動を開始する。
(それにしても……ひ、広い……)
引っ越したおんぼろ屋敷にも、一応風呂の設備はある。
が、古い上に狭くて、脱衣所と湯桶のある場所は一室だ。
というか、別れている家があるんだ、と世界の不思議をまた一つ知ってしまった。
鏡がある上にこの部屋にも洗面台らしきものがある。あそこから水を貰うだけでも体を拭うのには充分だろう。が、女に示されたのは未知への扉の方である。
めまいがしそうになる気持ちをこらえ、脱いで簡単に畳んだ服を抱えると、言われた方に向かって歩んでいく。
おっかなびっくりなんとか開けると、むわっと湯気があふれてきた。
エルマは慌てて後ずさり、次に愕然とする。
体を横たえてもまだまだ余裕があるほど大きな湯船に、たっぷり湯が張られていた。
湯船というか、見た目は池だ。床や壁は大理石だろうか。オレンジ色のほのかな灯りが優しく空間を照らしている。
(ど……どうしろと。ここで何をしろと……!?)
いや体を洗うのだ。洗えと言われたのだ。湯なら大量に目の前にある。が、このピッカピカの空間に自分のような小汚い物が入って汚すことなど、許されない所業のようにも感じられた。
少し迷った後、エルマは一度脱衣所に撤退する。
備え付けてあったタオルを借りて体に巻き付けてから、呼び鈴を鳴らした。
すぐにあの、ぽっちゃりしたお仕着せの女性がやってくる。
「すみません……早速呼んでしまって」
「いえいえ。どうなさいました?」
「あの……使い方がわからなくて。というより、本当にここで体を洗うのでしょうか……?」
「もちろんですとも」
恥をしのび、恐縮しながら尋ねてみるのだが、彼女はあくまで笑ったままだ。
が、エルマが持っている服に目を留めると、穏やかな目に困惑の色が宿る。
「お嬢様。ところでそれは一体……?」
「あの……服を洗おうと」
「お風呂で?」
「はい。いつもそうして……あ」
だってエルマは小汚いからここに送り込まれたのだ。
自分の体もそうだし、当然この薄汚れた服だって多少は見られる状態にしないと屋敷の滞在を許されないだろう。
と、いつもの習慣もあって自然な流れで風呂場に服を持って行こうとしていたのだが、考えてみればここは家とは違う、替えの服はない。
「どうしよう、これを洗ったら濡れた服を着ないといけないけれど……でも洗わないわけにも……ううん……」
途方に暮れた彼女の前で、女が大きく口を開き、笑い声を上げた。
「あっはっは! エルマ様、だったかね。坊ちゃまが連れてきただけあって、あんた面白い子だねえ! そう気にしなさんな。それはこちらでお預かりします。それにちゃんと替えの服も、こちらでご用意いたしますからね」
「そっ……そう、ですか? 服を貸していただけるのですか? でも、これを洗うのは自分で……」
「いいから、いいから」
うっすら涙を浮かべるほど笑い転げた女の口調は、随分と砕けたものに変わっている。
エルマは急に笑い出したことに驚き、つい服を手渡していた。
しかし、かしこまった態度でいられるよりは、平民街で慣れ親しんだ口調に近い方が、どこかほっとするような心持ちでもある。
女はエルマの服を預かるといったん姿を消し、戻ってきてから彼女を浴室に導いた。
「そちらが湯船――これは見ればわかるかしら。まずはですね、ここに腰掛けて、体を洗っていただきます。シャンプーや石鹸の違いはわかります? これが髪用。そっちが髪の仕上げ用。でこれが体用で、この小さいのが顔用」
「え、えええ……!?」
髪と体と顔用で石鹸の種類が分かれている上に、なんだその髪の仕上げ用とは。初めて耳にした。とても自分でなんとかできる気がしない。
エルマが目をぐるぐるさせていると、女性はからから楽しそうに笑った。
「やっぱり手助けがいりますかしら。うちのお嬢様はもう嫁いでしまいましたし、坊ちゃまはほら、何でも身の回りのことはご自分でなさるでしょう? 若い方のお世話は久しぶり! さ、座って、座って!」
エルマは躊躇した。
みすぼらしい体である上に、折檻の痕がまだ残っている所もあるだろう。
こんな見苦しい物を人目にさらしてよいものか。
しかし女性はエルマの裸より、彼女が首からさげていた指輪の方に注目したらしい。
「それは坊ちゃまからいただいたの?」
「あっ……そうだ、お返ししないと。いただいたというか……その……お預かり? していたのですが」
「……へーえ。なるほどねえ。その紐は?」
「大事な物ですから、なくさないようにと思って、家にある物で……すみません、取りますね」
「ああ、いえ、いえ――あー、でも……そうですね、一度こちらでお預かりしておきましょうか」
エルマから指輪を預かると、女性は彼女の体を磨き始めた。
時折痛い箇所や触らないでほしい所の確認はあるが、傷についての質問は一切ない。
髪を洗ってもらうのなんてきっと人生初めてだが、思った以上に気持ちいい。
気恥ずかしさはすぐ、心地よさに変わっていく。
花のような香りに包まれながら背を流されていると、次第にエルマの緊張もほぐれていく。
湯船に体を横たえる頃には、うとうととまどろむことすらあるのだった。
「あの……」
「お嬢様の服がまだこの屋敷に残っていて、本当に良かったわ。さ、お好きな物をお選びになって。サイズは調整いたしますから」




