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44.伝説の遺児

 飛行場は慌ただしい空気に包まれた。主に、天馬達が突然の大きな物音に騒いで暴れ出したせいだ。


「どう、どう! 落ち着け!」

「何だ、今のは?」


 慌てて馬をなだめにかかる騎士がいる一方で、いぶかしげにもうもうと立ちこめる煙の中に目をこらす者もいる。


「空から何か落ちて……」


 観客達も席から立ち上がり、今まで見ていた上方から下方へと視線を移動させる。


 誰もしばらく状況を理解できなかった。


 土煙の中で何かがうごめく。

 最初に現われたのは翼だ。天馬のものとは全く違う。柔らかな羽毛はなく、飛膜が空を移動するための器官を形作る。


 次いで漆黒の体躯が、棘のついた太く長い尾が――そしてゆっくりと上げられた頭が見えてくる。

 体は黒々した鱗で覆われていた。全体像から最も近い動物を上げるとしたらトカゲ。しかしトカゲと言い切るにはまず頭に長い角が生えていることがおかしい。首は長く、体を支える四肢の描く骨格は大型の肉食獣に近い。その上四つ足以外の翼を広げている。


 何より大きすぎる。伝説が謳ったような小山ほどという形容はいささか誇張かもしれないが、天馬よりはずっと大きく、人間を丸呑みできそうだ。


 それは身震いし、咆哮した。紅い瞳が怪しげな輝きを放つ。本能的な鳥肌を起こすけだものの声だが、一方でどこかもの悲しく空を揺らし、尾を引いて余韻を残す。


「――――」


 誰もが言葉を失い、立ち尽くした。そのあまりに特徴的な姿を見て、何ものであるかわからぬ者はない。


 最果ての不死、おぞましき邪竜、夜陰の紅玉、伽話の遺児――そして、魔女の影。


(……ヨルン)


 エルマが最初に会った時、それは人の形をしていた。だがこちらが真の姿なのだろう。

 伝説の名残はいびつでありながら、確かに美しかった。


 しんと静まりかえった中、静かに一人の男が声を上げる。


「ネリサリア=ヒーシュリン。何が見えている?」


 指名された伯爵令嬢は、震える言葉を返した。


「わたくしの目が、まだ今まで通り機能しているのでしたら――あれは竜です、殿下。竜が飛行場にいます」


 その言葉が終わるのとほぼ同時、別の獣の鳴き声が上がる。天馬だ。天馬達が一斉に怒りの声を上げ、敵に向かって突進した。その勢いで一人が振り落とされる。


 落下した騎士は地面に着く直前、風が起きて減速され、たたきつけられて潰れることはない。万が一があった時の予防措置とやらだろうが、こんな形で目にすることになろうとは。


 竜は向かってきた天馬を睨み付けると、鞭を振るような要領で大きく尻尾を振る。バシン! と痛そうな打撃音が響き、尾で弾かれた馬が悲しげな声を上げた。


 一方、同じように突撃したが、手綱の誘導によって尾の攻撃を避けられた馬もいるようだ。――よく見れば、乗り手はガリュースである。引くだけでは止まらないと悟り、軌道の制御を務めることにしたらしい。


 彼の愛馬シーカーンはいらだたしげに唸り、次の突撃の機会を窺って構えている。


「全員下がれ! 騎士以外はこの場から離れよ!」


 浮き足立ちかけた人々の耳に、凜とした声が響き渡る。王太子の声は、許容外の出来事に遭遇して呆然としていた者に己の役割を思い出させる。


 観客を守る者、馬を落ち着かせようとする者、そして竜に向かう者――各自が動き出すと、飛行場が怒号と喧噪で満ちる。


「殿下、こちらに――」

「馬鹿言え、僕はまだ引っ込めないよ。ご婦人方を安全な所までお連れしろ」


 異常事態の最中だが、ヴァーリスはいつも通りの態度である。おかげで近くの人間はパニックにならずに済んでいた。


「エルマさま、さあ――」

「いいえ、ネリーさま。先に行って」

「でも……!」


 王太子の付き人に避難を促されるが、エルマは拒否した。

 ――まだ逃げるわけにはいかない。


「僕が面倒見るよ。君は行って」


 素早くヴァーリスが言うと、ネリサリアは気遣わしげな目をしながらも誘導に従った。

 おそらく伯爵令嬢は、婚約者が危険な状況の最中にいるのに自分だけ側を離れられないのだろう、とエルマの心境を推測した。

 もちろんそれもあるが、エルマがこの場を離れられない一番の理由はヨルンにある。


(どうして……どうしよう? どうすればいい?)


 たぶんこの場で事態に最も深く関わっているのは自分だ。なんとかしなければならない――その思いは膨らんでいく一方だが、体が動かない。


 これがもし他に誰もいない状況なら、ヨルンに呼びかけるとか、教わった魔力の制御とやらを試みるだとか、いくつかプランが頭に浮かぶ。


 だが、目が見えず事情をある程度汲んでくれそうなヴァーリスはともかく、他の騎士や天馬もまだ残っている。何よりユーグリークがいる。


 大胆な動きをしてもいいものか。それで事態は好転するのか。むしろ余計なことをしたら、ヨルンの攻撃を激化させたり、天馬の標的に自分も入ったりと、更に悪化させてしまうのではないか。


(でも、だからって逃げることもできない。一か八か、やってみるしか――)


 エルマが覚悟を決め、額に意識を集中させようとした刹那、ピイーッ! と鋭く笛の音が鳴る。

 突進を繰り返しては振り払われて、を続けていた天馬達が、さっと飛び上がり、空中で旋回を始めた。真白い天馬が一頭降りていき、竜の正面に陣取る。


 フォルトラは耳を伏せていたが、いななきはしない。全身の毛を逆立てているのが遠目にもわかった。彼は静かな怒りに燃えている。


 ユーグリークがただ静かに竜を見据えると、竜もまた彼を見返す。


 緊張に満ちた静寂が広がった。


「やめよ! この場は儂が預かる!」


 そこにまた、誰かの張り上げた声が響く。


 気がつけば、どこからともなく飛行場にローブの老人が立っていた。位置は竜のやや左側。ユーグリークに赤い目を向けていた竜が、ふっと視線をそらし、今度は老人に注意を向ける。


「じじいだ。老けたですね?」



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