39.天馬の飛行場 3
女二人でかしましく話しながら歩いているうちに、目的地へとたどり着く。
入り口らしき場所では、軽めの入場チェックがあった。事前に話を通していた令嬢二人――特に筆頭騎士様の婚約者であるエルフェミア=ファントマジット――はほとんど顔パス状態だったが、伝手がない人間が物珍しさでいきなり押しかけると、ここで追い返されるらしい。
飛行場には正門だけでも六つ出入り口が存在しており、そのすべてに騎士が配置されて、厳密な出入り検査をしているわけではない。とはいえ、天馬が稀少で扱いの難しい所もある生き物である以上、誰でもいつでも見学可能、まで無防備になることもできないようだ。
大きな建物は上空から全体を俯瞰してみれば、楕円の形をしている。楕円の縁、外側の方には観覧席の椅子がずらりと並び、中央部分、内側の広々したスペースには、真白い砂が敷き詰められている。
「なんだか、物語で読んだ闘技場みたい……」
「実際に、そういう使われ方をした時代もあったらしいわよ。今はもっぱら、天馬の飛行練習と、平和な式典で利用されるぐらいらしいけれど」
通路を通って広い観覧席に出たエルマが辺りを見回して感想を漏らせば、ネリサリアがそんな風に教えてくれる。
少なく見積もっても、千人以上は収容可能と見た。エルマとネリサリアの他にも、関係者の騎士や従者に加え、見学者もいるようだが、席に対しての比率は圧倒的に少ない。隣や前後左右を気にせず、好きな所に座れそうだった。
「さて、どこがいいかしら。普通の舞台のセオリーを踏襲するなら、やはり前列を確保すべき?」
「天馬は上空を飛びますから、どこからでもいいような……。前すぎるとむしろ、ずっと上を見ないといけないから首を痛めてしまうかも?」
「それなら真ん中を狙っていきましょうか。人が多すぎるとちょっと困る位置だけど、今日は気にしなくて良さそうだもの」
相談の後、意見を固めて移動しようとした二人だったが、エルマはくんっ、と引っ張られる気配に足を止める。
「ネリーさま?」
てっきり同行者が何かあって引き留めたのだろうと最初は思うが、(あれ、でも今ネリーさまはわたしを先導していた、つまり前を歩いていたはずでは……)とすぐに違和感に気がつく。
訝しんだまま何気なく振り返ったエルマは、想定外の光景に固まった。
(う……ま……?)
そう。令嬢のドレスの裾をつまんで――というかくわえて引っ張っていたのは、人ではなく馬だった。体の色は薄いピンク色で、鬣は白、背中にはふさふさした翼が生えており……つまり天馬だ。推測するに、これから見る予定だったうちの一人が、なぜか観覧席にいてエルマのドレスをくいくい引っ張っている。
「エルマさま――エルマさまっ!?」
友人がついてこなくて振り返ったネリサリアが素っ頓狂な声を上げる。エルマは慌てて、「しー!」と唇に指を当てた。通常の馬同様、天馬の前で急に大きな物音を立てるのは推奨されない。ネリサリアはぱっと両手で口を覆った。
(お、落ち着いて、焦らず、平常心……!)
基本はフォルトラに接するときと変わらないはずだ。つまり、大人しくしている。すると相手がこちらの様子を確かめて、近づきたければ近づいてくるし、気分が乗らなければ離れていってくれる。はずだ。
だが今のエルマには、前にはなかった懸念要素が一つある。ヨルンとの交流だ。
竜は天馬の天敵、本能に竜殺しを刻まれた彼らは、それはもう竜に対して厳しいらしい。実際、普段はのほほんとして温厚なフォルトラも、エルマから竜の気配を感じ取った瞬間に豹変した。
一応今日ここに来るにあたって、本竜から「たぶん大丈夫」「噛まれても治すから」と雑な見解及び人を絶妙に不安にさせる保証はもらっている。
一度フォルトラの様子を見に行って、彼が主人同様「なんか……変な気がするんだけど、あれ……?」という顔をするも前のように触らせてくれた、というのも確認してはいる。
しかし、全然見知らぬ天馬とこんなに近くで接する予定はなかった。
(どうして観覧席に天馬が……)
(とりあえず大人しくしておけば、興味を失って離れてくれるかも)
(というかこれ、放馬では? それなら確保しないと……えっ、手綱どころか頭絡すらない……!?)
硬直している間に忙しく思考が巡るが、人より接する機会があったとしても、裸馬の捕まえ方なんてさすがにわからない。
見知らぬピンク色の天馬は、エルマが止まっているのをいいことに、すんすん鼻を鳴らして匂いを確かめているようだ。くりんとした目は愛らしく、フォルトラよりも一回りぐらい体が小さいように思う。適切な距離から眺めているだけなら、実に目の保養となったに違いない。
(エ、エルマさま、わたくし、どうすれば……)
(えっとどうしましょう、とりあえずそのままで――ああっ!)
大声が出せない以上、ネリサリアとはほとんどアイコンタクトでのやりとりとなる。コミュニケーション力が高い、すなわち聞き手役としても優秀な伯爵令嬢は、エルマの「下手に刺激しないように」という意図を、素早く理解してくれてたようだ。
が、幸か不幸か、天馬はエルマのことが気に入ったらしく、匂いのチェックが終わると「ヒンッ!」と嬉しそうに鳴いて顔を寄せてきた。そして親愛たっぷりに、エルマの首を猛然と舐め始める。
(わっ……わかりました、わたくしそっと、そっと離れて、人を呼んで来ますから!)
たぶん傍目からしたら、襲われている図にしか見えないだろう。あながち間違ってもいない。血相を変えたネリサリアが離れていくのは非常に心細かったが、切実に助けは欲しい。
「あの……ええと、初めまして、ですよね? その……たぶん、あなたはここにいてはいけないのではないかと、思うのですけど……」
話しかけてみると、「ヒンッ!」と元気よく答えてから、ピンクの天馬はまた舐め回す作業に戻る。お返事ができるのは良い子の証だろうが、求めている反応と違う。
「――ミルキー、その人はお前のママじゃないよ」
途方に暮れたエルマの耳に、唐突に聞き覚えのある声が飛び込んできた。




