36.誰もが知る 誰も知らないひと 4
ガリュースはいぶかしげな目で見つめている。本日も全く好意的な態度ではないが、エルマを無視するつもりもないらしい。
今までエルマは「結局これって嫌がらせなのか、それとも違うのか……」と思い悩んだが、ベレルバーンからあれこれ聞き出して、一つの気づきに至った。
第二王子は小物と思う相手は無視するらしい。それならある意味、彼のこの突っかかってくる態度こそ、エルマを一人前の貴族として認めてくれている証拠でもある……はず、だ。
そして相手からどう思われていようと、結局はエルマがどうするか、ということが問題なのである。
(殿下は敵というわけではない。まずは敬意を。嫌みだったとしても、何か教えてくださるのなら謝意を。でももしまた挑発されたなら、そのときは毅然とした態度を)
油断していいわけではないが、不要な敵意を抱くこともない。それがエルマの出した、第二王子に対する当面の方針だ。
というわけで、他の王侯貴族に接するのと同じように、けれど何が起きても対処可能なように心の準備をしながら、ガリュースににこにこ応じて見せる。
しばらく互いに無言が続くが、エルマはガリュースの視線が自分の腕の中のウィッフィーに注がれていることに気がついた。
「よろしければ、抱っこしてみますか? 本物の猫とは違って、肉球も触り放題です。ほとんど毛に埋もれてますけど」
途端に鋭い視線が飛んできた。が、なんとなくこの反応も予想できていたので動じずに済む。
「私がその毛玉を弄りたいとでも?」
「差し出がましいことでしたのなら、どうかお気に留められませんよう」
ベレル曰く、第二王子と長く付き合うコツの一つは、拒絶されても気にしすぎないこと、であるらしい。
しかもエルマは元々ヴァーリス側の人間なのだから、ガリュースが近づいてこなくなろうと、特に支障がないのだ。むしろ快適になる説まである。
頭を下げ、椅子に戻ろうとしたところ、こちらに向かって伸ばされる手が視界に入る。
「触れと言ったのは貴女でしょう?」
……どうやらやはり、第二王子は猫もどきに触ってみたかったらしい。一度断るようなそぶりを見せてから「嫌なんて誰も言ってないけど?」という顔をしてくるこの独特のペースにも、だんだん慣れてきた。
猫もどきを渡すと、思っていたより危なっかしい手つきで受け取る。脇の下をがしっとつかむ持ち方のせいで、ウィッフィーがびろーんと縦長に伸びた。この持ち方をすると、猫もどきはうにゃうにゃ文句を言う。
「あの……こう、片手で前足をまとめて、もう片方の手でお尻に手を沿えると、安定しますので……」
「猫の持ち方ぐらい知ってる」
ガリュースはむすっと言ったが、助言に従おうとするそぶりは見せた。が、はじめの持ち方から変えるのが難しかったらしい。少し格闘した後、諦めてびろーん姿勢を維持することに決めたようだった。ウィッフィーは不満そうな顔をしている。
「殿下は動物がお好きなのですか?」
「別に。天馬は美しいが、なかなか手がかかる。従順で素直なのは犬だが、手触りは猫の方が柔らかくていい」
(すらすら話が出てくるということは、やはりお好きなのかしら……?)
おっかなびっくり慣れない猫をつかんでいる様子を見ていると、普段より随分幼く見えて、そういえば彼はエルマより年下だったという事実を思い出す。
もしかして普段のツンとした態度は、王族として舐められないように気を張ってきたせいもあるのかもしれない。そう考えたら、なんだか第二王子が近寄りがたい人物から、精一杯背伸びしようとしている子どもにも見えてきた。
「……何?」
「いえ、何も」
めざとくエルマの変化に気がついたらしいガリュースがむっとした声を上げ、エルマは咳払いする。ウィッフィーを持つことに飽きたのか、返すというようにずいと突き出されたので、受け取って今度こそ机の上に戻した。
「――で。また熱心に、何を調べていたの。しかもちっとも捗っていなかったようだけど」
今度は机の上に積まれた本の方に、王子の興味は移ったらしい。が、エルマは言い方に違和感を覚えた。
「もしや殿下、お声をかける前から、わたしの様子を見ていらっしゃったのでしょうか」
「質問しているのは私だよ?」
これはまあ、ガリュース構文的に肯定と捉えて良いだろう。
遠巻きに様子を見られていたと知り、ちょっと恥ずかしくなる。だが一方で、ここは王城、しかも公共スペースであるラウンジなのだから、一人きりだと思っていてもけしてそうではない可能性を忘れてはいけないのだ、とちょっと反省した。
「……魔女について、調べていました」
「魔女。どうして?」
「ええと……個人的な興味と申しますか……」
変に隠そうとしても、この後質問攻めにされたら答えないわけにもいかないな、と考え、エルマは素直に応じる。とはいえ、魔女のことを探ろうと決めた原因についてはあらゆる意味で説明しがたく、つい言葉尻を濁してしまう。
ガリュースはエルマから本に、そして丸まっている猫もどきに視線を流し、再びエルマを見る。
「悪しきものはすべて共に消え去り、旧きが二度と目覚めることのないように」
「……はい?」
「不死の邪竜を封じる碑に刻まれている言葉だよ。新しい時代にいらないと思われた多くの“旧き”が、魔女と竜と共に葬られた。誰もが彼らを知っている。でも誰も彼らの実態を知らない。神話時代の史実はほとんど失われてしまった」
エルマがきょとんとしている間に、ガリュースはすらすらと言葉を並べ立てる。
「賢者に聞いても、答えてもらえなかったのでしょう? それなら、貴女も旧きを知るべきではないと判断されたのだろう。そのまま終わらず、手がかりを探そうとするのは悪くないけど……ここで本を漁っても、望む情報は得られないと思うよ。それこそ過去の遺物にでも問うてみたら?」
そして彼は言いたいことを言い切ったとばかりに、くるっと背を向け、すたすた歩き去ってしまった。
エルマは完全に置いてけぼりで、ガリュースの姿が見えなくなってからはっと我に返る。
「あ、あの……ありがとうございました……!?」
たぶん今のは、猫の礼か、それともただの気まぐれか……とにかくきっと、ガリュースの知っていることを教えてくれたのだ。なんだか彼自身も、かつて魔女に興味を抱いて調べようとしてみたが、手がかりを得られなかったように感じられる口調だった。
相変わらず第二王子のマイペースについていくのは至難の業だが、ちょっとずつ接し方を覚えてきたがゆえの成果……と捉えるべきなのか。
(誰もが知っているのに、誰も知らないひと……か)
誰も知らない素顔の魔女。
――誰も顔を知らない魔性の男。
もう少しで何かが結びつきそうなのに、あと一歩の間に大きな溝がある――歯がゆい思いに、エルマはまたため息を吐いた。