35.誰もが知る 誰も知らないひと 3
『何、ヨルンについてもっと聞かせてほしい? 一言で言うならの、腹立たしいことこの上ないケダモノじゃぞ! しかもただのケダモノではない、あやつは唯一学習するケダモノなのじゃ!』
改めて賢者に竜のことを問うた時、偉大なる老師はぷんすかと地団駄を踏んだ。肩のカラスがギャーギャー鳴いて、一時賢者の部屋が賑やかになる。
『まず竜という生物は魔力保有量がずるい! あんなのずるじゃあ! 人間はの、自分の持っている魔力しか基本的には使えん。じゃが竜は世界とのつながり方を知っておる。要は外付け追い魔力補充が可能なのじゃ。そりゃどんな魔法も使えるわい――』
……以下、熱い魔法トークが長々と続いたが、要約すると「竜の方が優れた魔法使いだということをあの手この手で示され続けてきたのでムカつくのじゃ!」ということのようだ。
ヨルンは確か、「自分は賢者を相手にしていないが、賢者は自分を目の敵にしている」と語っていた。賢者側の話を聞いても確かにそのようだが、憎しみによる殺意というより、好敵手に対する闘争心のようなものに感じられる。
『あれが存在するだけで人間の脅威となり得る化け物でなければ、最高の師なのじゃがの』
エルマはまさに、その最高の師とやらに、人間には無理かもと言われている奇跡のような魔法をたたき込まれている最中なのだ。ある意味、これ以上ないほど恵まれている。
『賢者さま……その、実はわたし、あれから竜のことを色々調べまして、気になったことがあるのですけれど』
『ふむ。なんじゃ?』
賢者の魔法トークが落ち着いてきた頃合いを見計らい、エルマは懸念を切り出した。
『竜は自分の生を終わらせる存在を求める気質を持ちます。封印された不死の邪竜ヨルンは魔女の使い魔と伝わっていますが、おそらく魔女に執着していたのではないでしょうか』
『……かもしれんな』
『それで、その……ユーグリークさまって、魔女に似ていたりしませんか? ヨルンはユーグリークさまにも魔女に向けていたようなのと同じ執着をするのではないかと、わたし――』
その瞬間、賢者はさっと表情を曇らせた。思わずエルマもはっと息を呑み、言葉を失う。
『……ま、そうじゃな。お前さんは魔性の最愛、しかも加護戻しの使い手でもある。いつかは気がついてしまうよなあ』
竜については饒舌に回っていた舌が、途端に重たくなったようだった。それまで相づちを打つかのようにカーカー時折鳴いていたカラスも、ピタリと鳴き声を止める。
『前にも言ったが、ヨルンの心中は儂にもわからん。お前さんの言う通り、魔性の男は人並み外れた魔力保有量を持ち、竜に届く可能性を秘めている――そんな存在に、奴が無関心と言う方が、無理があるわいの。実際、奴はお前さん、魔性の男に最も近しい存在には、一度接触してきた。それ以降は、今のところ動きはないようじゃが……』
賢者が言葉を句切ると、沈黙が落ちる。エルマは表情を変えなかった。何か待つような数呼吸分の間の後、老魔法使いは話を再開させる。
『……儂らもな。ずっと探り探りなのじゃよ。お前さんには何もしとらんように映るかもしれんが、目に見える動きを見せると、それこそがヨルンの覚醒を呼ぶのではと、警戒している所もある。何が眠る竜の尾を踏むことになるか、わからんでな』
――だから、お前さんがしていることも本当は把握しているが、見逃しておるのじゃよ?
口にされなかった言葉を聞いたような気がして、エルマはドキッとした。いつも朗らかな人物が真面目な表情と声音になると、それだけで空気が冷ややかに感じる。
『すまんのう、エルフェミア嬢。儂はお前さんの敵ではない、むしろお節介なほどに親切なジジイを目指したい所ではあるのじゃが、こちらの事情や作戦のすべてを語ることはできん。もどかしく思わせてしまっておるかもしれんが、ま……他人には他人の都合、という奴じゃ』
エルマの怯んだ様子を見て、老人はまたくしゃりと目尻を緩め、長いあごひげを撫でた。それでも魔法の蘊蓄を語っていた時のような空気は戻ってこない。
『それと……魔女のこと、じゃったかの。儂ァの、あの寂しい女のことは、語りとうないし、語らんでいいとも思うておるのじゃ。大勢殺して、大勢に殺された。……それだけじゃよ。さて、話は終わりじゃ。婚約者のことが心配なら、あれこれ裏でこそこそ調べるより、本人と腹を割って話した方が、マリッジブルー解消になるやもしれんぞ』
……というわけで、情報を得るどころか、「そちらのことは知っているし、不安があるならユーグリークと話し合った方がいいよ」という、ごもっともすぎる返しをいただいてしまったわけである。
あれ以降、ちょっと気まずくて、結果図書館通いが増えていた。一人になれるし、気分は紛れるし、あわよくば新情報を得られるかも――あわよくばの件については手応え的に、大分望み薄であるようだが。
(やっぱり、式の前に話すべきなのかしら。ヨルンのこと、どれだけ伝えられるかわからないけれど)
頬杖をつき、ため息を吐いていると、ふと誰かの接近する気配を感じた。エルマは咄嗟に、近くで丸まっていたウィッフィーを抱え、ぱっと振り返る。
「エルフェミア=ファントマジット」
「ガリュース殿下。本日もご機嫌麗しゅう存じます」
これもある意味でエルマの成長、というかたぶん慣れの一つである。
そろそろ来そうな予感がした! と、猫もどきを盾のように構え、エルマは第二王子を迎えた。




