32.最愛の枷
ゆさゆさ揺さぶられ、エルマは重たい瞼を上げる。
相変わらずたどたどしい片言を喋る従弟がそこにいた。自分はまだ夢を見ているのかと、一瞬頭が混乱する。
「寝る、大事。でも変な寝方、体痛めるです」
「……それも、魔女から教わったことなのですか?」
思わずぽろっと口をついて出た言葉だった。エルマははっとしたが、竜は赤い瞳を瞬かせて首を傾げる。
「いいえ? 魔女にはそういう不都合、なかったです。今のはヨルンが普通の人間観察して得た知識」
「そう……ですか……」
まだ視界がちょっとぼやけていて、エルマは目をこする。改めて見直してみると、いつも通り――つまり三つ目の目を閉じた状態の視界が広がっている。
(寝起きで、少し混乱したところもあったけど……短い間でも仮眠が取れて、少し頭がすっきりしたかも)
明瞭になった思考は、一つ相手に言わなければならないことがあると告げている。
エルマは額をそっと押さえ、竜に目を向けた。
「あの……よろしいですか」
「なんです?」
「確かにわたし、ユーグリークさまのために、あなたと協力すると決めました。でも、わたしの体を変えるなら、ちゃんとその旨を説明して、合意を得てから行っていただけませんか?」
竜は不思議そうな表情をしていた。何度かの付き合いを経て、エルマもだんだん相手のことがわかってきている。あれは思案している顔だ。異種なりに、人間を理解しようとしている顔。
「三つ目の目開ける、竜気強まります。竜気強まる、争い起こるです。だからこの身、それにヒント得て、お前に擬態力も付与したです。三つ目閉じてれば、お前の変化、誰も気がつかないです」
それ、と竜が指さすのは、エルマの片手にお守り代わりにつけられているブレスレットだ。
賢者やユーグリークがエルマの変化に鈍くなったように感じたが、それもヨルンが気を利かせてのことだったらしい。謎が一つとけたが、今話しているのはそういうことではない。
エルマは嘆息してから、立ち上がり、従弟と視線をなるべく合わせようとする。スファルバーンの方が身長が高い分見上げざるを得ないのだが、立っている視点と座っている視点の差よりは縮まったはずだ。
「ヨルン。わたしが、親しい人、信頼できる人、尊敬できる人――彼ら全員に嘘をついているのは、ユーグリークさまの顔の問題を解決できるのは、あなたしかいないと聞いたから。実際に、あなたは賢者さますら上回る魔法をいくつも示したし、三つ目の目で見る世界も教えてくれた」
「はい……?」
「でも、わたしがあなたと協力すると決めたのは、魔法が上手なことだけが理由じゃない。あなたはわたしを害さない、少なくともすぐに危害を加える気はない……そう感じたから、協力できると考えたの。あなたがわたしを害するなら、わたしは自分を守る方を優先しなければならない」
竜はぱちぱちと目を瞬かせて、黙り込んでいた。エルマの言葉を、心を読み取り、解釈につとめているのだろう。やがて人外は従弟の体を借りて、ああ、と声を上げた。
「つまり、体を勝手に作り替えるは、身を脅かすこと。身を脅かす恐れあるなら、お前はヨルンと協力できない。そう言いたい?」
「はい。もちろん、あなたの手を取ると決めた時点で、リスクがあるのは承知の上です。でも……危ない橋を黙って渡らせるようなことをされると、あなたのことが信じられなくなります」
「……今回のヨルンは説明不足した。なのでお前、不信覚えた。同じことしないで、ですか?」
「ええ」
竜はエルマには理解できない行動を取るし、言葉は話していても喋っている意味が理解できないこともままある。ただ一方で、こちらの言動に注目し、絶えず何か学ぼうとしている気配が伝わってくる。貪欲に魔女の一挙一動を見つめ、人間について知識を蓄えていったように。
ならば、ここで取るべきは貴族流の対話ではなく、率直な意見の交換であるはずだ。
エルマがじっと見つめていると、竜はやがて肩をすくめるような仕草を、従弟の体にさせた。
「この身もお前が非協力、困るます。不和は不毛。今後はお前自身に改造必要ないですが、やる前の説明と合意は取る、理解したです」
本当に“理解”したのかは謎だが、少なくとも「勝手に開通してから事後報告するのはやめて」という意図は伝わったようだ。
(そう、わたしもまた、押しに弱いファントマジットの一員……つい相手の言うことを聞いてしまいがちなのだわ。だからこそ、しっかり踏みとどまるべきところでは踏みとどまらないと)
既にうっかり目を増やしてしまったわけだし……ユーグリークになんと説明すればいいのか、と頭を重たくしていたエルマは、もう一人の竜関係者のことについて質問があったことを思い出す。
ふと従弟を振り返れば、まだ竜は中にとどまっていると見える。前回は用が済んだらそれで終わりとばかりにいなくなったはずだが、今回はもう少しのんびりしていく気らしい。ならば早く帰れと催促するより、気になることを聞いてみた方が得る方が多そうではないか。
「その、今更なのですけど……あなたの言うじじいとは、賢者さまのことですよね?」
「老ける男、じじいです。違うますか?」
「賢者さまもあなたのことをご存じの様子でした。ええと、なんというか……直接のお知り合いなのですか?」
「昔殺し合ったです。正確には、勇者とその他何人かと殺し合って、若いじじいが横で見てたですね。あの頃はまだ……ぴちぴち? でしたます。超老けたね。くそじじいなってびっくりしたです」
「…………」
大体予想できていた関係性ではあった。しかし、老魔法使い本人が聞いたら怒りそうな表現ばかり並んでいる。建国以来の宿敵なら仕方ないのかな、でも考えてみれば、竜って老魔法使いより更に年上のはずでは……等とあれこれ心に浮かべていると、また見透かしたらしい竜が口を開いた。
「宿敵? それはお互いに殺意ある関係のはず。この身はじじいと争う気、ないです」
「えっ……?」
「じじい、にんげんの中ならとっても魔法上手。でも竜には届かない。竜が興味抱くは、自分を殺せる相手だけです」
実際に、今のところ竜の魔法は賢者の魔法を上回っているように見える。不可能と言われていた城への侵入だって果たせているのだ。残酷な説得力を持つ言葉だった。
「――では。ユーグリークさまなら、あなたを殺せますか?」
それは心の中に納めておくつもりの言葉だったが、気がつけば口にしていた。どのみち竜は人の心を読む。思い浮かべていた時点で、相手に伝わってしまってはいたのだろう。
はっとして口元を押さえるエルマを見やり、従弟はなんとも形容しがたい、ぎこちない表情を作った。
「はい。……でも。最愛が生きてるなら、あのひとたぶん、竜を殺さないよ」
エルマが聞き返す前に、ふっと従弟の目から光が失せ、体から力が抜ける。また、慌てて倒れそうになるスファルバーンを支えながら、エルマは体に残る悪寒に身を震わせた。
おまけ:「天馬に近づいても大丈夫?」
「んー……あいつら竜の首食らいついて離れないです。この身は近寄りたくないね。憑依でも、中身嗅ぎつけてきそうで無理です。超敏感」
「では今の竜と近づいたわたしも、天馬に噛まれてしまうのでしょうか……?」
「んんん……でもお前、元はちゃんとにんげんで、好かれてたですね? 竜気抑える術もあるです。三つ目の目閉じてるなら、大丈夫思うます」
「よかった……!」
「まあ、最悪襲われて死にかけても、この身がなんとかしてやるですよ。わたし人体、それなり詳しい」
「…………。そうならないことを、心から祈ります……」