31.違えた運命
三つ目の目を開いて閉じる――これ自体は、コツを覚えればさほど難しいものではなかった。
開くときは額に熱を集める感じで、閉じるときはその逆に、額から熱を体中に浸透させていくような感じだ。
竜はまずこの確実なオンオフをたたき込んだが、それができたら次は三つ目の目を開いている時間を延ばす訓練とやらが始まった。
これがきつい。何しろ限界に達すると頭が痛くなるのだが、頭痛が引いたらまた即開く。一度目が五秒程度でのギブアップなら、二度目は六秒、三度目は八秒の我慢を求められる――。
時間にすれば、一時間程度だったかもしれない。だがほとんど休みなしのぶっ通しだったためか、消耗は大きかった。
「そろそろいいよ」
お許しの言葉がもらえた瞬間、くたっと体から力が抜ける。なんとかフラフラ椅子に座り込んだ所まで覚えがあるが、そこで意識が遠のく――。
そしてまた、疲労のせいだろうか。竜の記憶を夢見た。
◇◇◇
ヨルンの記憶は、どうやらほとんどが“魔女”に紐付いている。
邪竜を従え、大勢を殺したとされる、伝説上の恐ろしい存在。ヨルン自身は、どうやら彼女に友情を覚えていたようである。
以前の夢では、彼女はあまり魔女らしくない姿を見せていた。好奇心のままに質問する竜にあれこれ答えている様子は、幼子に教える親のようでもあった。
だが、今回の夢では、魔女は伝説に伝わる通りの行いをしている。
草原の中ではなく石畳の上、どこかの街だ。月明かりの下、開けた場所、中心部の広間のような場に魔女は立っている。
見渡すどこも酷い有様だった。視界内で壊れていない建物はなく、あちらこちらで煙がぶすぶすと上がっている。元は綺麗に舗装されていただろう道はひび割れ、赤黒い汚れが転々と彩りを添える。
だが最もむごたらしいのは、広間の中央に積み上げられた塔だ。よく見ればそれは、無造作にうち捨てられた人間でできている。
物言わぬ死者の塔の脇に、若者が一人。剣を片手に膝をつき、苦しそうに肩で息をしている。立ち上がりたい意思はあれど、体がついてこない――そんな風に見えた。
『ごらん、この屍はお前の未熟が作り上げた。私に逆らうってどういうことか、わかっていなかっただろう? ほら、体に、心に、魂に焼き付けろ。自分がどれほど愚かで無力か』
魔女は若者を見下ろして、冷たく言い放つ。血も涙もない、と言われる通りだ。銀色の髪を闇にたなびかせて、嘲り笑う――人に災厄をもたらすものの姿だ。
『かみさまは残酷だ。いい剣に、いい目をもらったんだね。それだけで勝てると思った? この私に。竜すら下した魔女に。ああ、無垢で無知な赤ちゃんだなあ……なんて可哀想で、可愛いんだろう』
若者が強く、血がにじむほど唇を噛みしめるのを見て、彼女は微笑む。――そう、笑った。顔は見えずとも、どういう表情をしていたのかは記憶しているのだ。
『……かみさまが私に死ねと言ったんだね。あいつらはいつもそうだ。勝手に作って、勝手に壊す。じゃあ、お前のことも見逃してあげる。また会いにおいで、英雄の卵。飽きるまで遊んであげるから』
そして魔女はきびすを返し、たった一人生き残った若者を置いて去った。竜も彼女の後を追い――月明かりの下、街道からそれて森に入っていく魔女に声をかける。
『魔女、さっきのあれ、どうして殺さなかった?』
『だって神託の英雄様だから。でもそれ以上に、可愛いのが気に入ったよ。私は可愛いものが好きなんだ』
魔女の機嫌はやけに良かった。少し斜め後ろを、追い越さないようにゆっくり四つ足を動かしながら、竜は首を傾げる。
『可愛い。好き。……好意のはず。理解不能。あれ、意地悪。好きならなぜ、意地悪する?』
『ふふ……別にね、気になる子にちょっかいかけてるってわけじゃないんだよ。まあ、もしかしたらそうなのかもしれないけど。私の感覚では子育てに近いかな。あの子、眉の形が娘に似てたし。父親似だったんだ。くっきりしていて……』
魔女は歩みを止め、くるりと振り返った。ローブの裾が広がり、銀の髪が流れる。
『いいかい、ヨルン。満ち足りた人間は成長しない。だから私は、満足にあぐらをかいていた赤ん坊から、街を取り上げてやった。これで彼は嫌でも変わらざるを得ない。ふふ……できれば人間らしく、無様に群れて戦う道を選んでほしいなあ』
女はうっとりと語っていたが、竜は――そう、珍しいことに、上機嫌な友人を隣にしていたのに、なんだか面白くない、と感じた。
『あいつ……魔女、殺す?』
『ちゃんと育ってくれたら、ああ……そうなるだろうね』
『それは困る。ヨルンを終わらせられる生物が、この世からいなくなる』
踊るようにステップを踏んでいた魔女が、動きを止めた。驚いたように竜を見上げ――それからどこかつまらなそうに、息を吐く。
『そういえば、お前が私につきまとう理由はそれだっけ』
『ヨルンが殺しきれなかったのは、魔女だけ。あなたがヨルンを終わらせる。ヨルンはそれまで一緒にいる』
――お前を殺すものを殺せ。お前を殺す相手と巡り会え。
魂に刻まれた使命を、竜種が忘れることはない。
ただ、ヨルンが生まれた時代、既に竜は古い生き物になっていた。同族はほとんど残っておらず、いても長命に飽きて無気力だった。なかなか自分を殺せそうな相手とは会えなかった。
――初めて魔女と出会ったとき、このひとだ、と思った。怒りと憎悪に燃える彼女を前にして、初めて死ぬかもしれないと思えた。
最初の出会いの時以来、魔女は竜をあえて殺そうとはしない。だが共にいれば、いつかはその日が来るだろうと感じていた。
それが、横から急に現われた貧弱な人間が、魔女の命を奪っていくかもしれないだなんて、納得できるはずがない。
闇の中で赤い瞳を爛々と輝かせる人でなしを見て、もう一人の人でなしは苦笑した。
『そうか。じゃあ……私がもし、これが最期の日だって時になったら。そのときは死ぬ前に、お前を殺してから逝くよ。ひとりぼっちは寂しいだろうしね』
それならばいい、と竜は納得した。理想の相討ちでなくとも、この人ならきっと自分を仕留めてくれる、という確信がある。約束はいつか必ず果たされるだろう。
――それなのに。
うそつき。にんげんはうそつきだ。竜はたばかりを口にはしないのに。
魔女。ふるいともだち。この世から外れた化け物。
そう思っていたのは、自分だけだったのか。
◇◇◇
「起きるです。ここで寝る、よくない。ベッド行く」