30.加護と呪いと4
「今度はスファルさまの体を借りたのですか」
「動揺するにんげん、意識成り代わりやすいです」
「…………」
「何ですか?」
「スファルさまがスファルさまじゃないしゃべり方をしているので、気になって……」
「そう? 我慢するです」
ばっさり返された。この件については竜に改善の意思が全く見られないので、エルマはまじまじ見るのではなく、視界の範囲にぼんやり相手を目にする方向で対処しようと決める。吃音ではないスファルバーンという刺激は、多量摂取すると思考回路の処理落ちを起こしそうだ。
今日もまた、手首を握られてあの奇妙な流し込まれる感覚を味わうのか……と思っていたエルマだが、先んじて両手を出したら気遣い無用とばかりにそっと戻された。
「足すは充分なほどしたです。今日は制御練習するます」
「制御練習……?」
「頭、出す。……嫌そうな顔しないです」
竜とは一応、今のところ協力関係という所なのだろうが、魔性の抑制という圧倒的アドバンテージを持っているあちらがどうしても優位である。ただでさえアドバンテージのある相手に、更に頭――つまりは急所の一つを出せと言われたら、躊躇するのは自然なことである。
とはいえ、ここで嫌だと粘っても、特に状況が改善するとは思えない。
エルマが覚悟を決め、そっと気持ち前のめりの姿勢になると、スファルバーンの手が伸びてくる。
「…………」
「無言で逃げる、やめるです」
「だ、だって……」
「難しいなら目でも閉じるます。指一本。怖くないよ」
頭に手を触れるというのは、それなりの信頼関係ができていなければ、本来なしえない行為のはずである。だが相手が人差し指を立てたので、エルマもなんとか忌避感を飲み込み、今度は目を閉じて待つ。
ちょん、と額に軽く触れられた。
「いいよ」
たぶん目を開けて、という意味の声かけだろう。恐る恐る瞼を上げてみて、エルマは思わずはっと息を呑んだ。
「わあ……!」
一面に、きらきらと光る粒子が散らばっている。雲間から差す日の光の線が目に見える――あの感じが一番近いだろうか。だが、光る粒子が描くのは直線だけではなく、しかも緩やかに動き続けている。
「この世の流れ、見えたですか? にんげんの一人は、水の中で魚泳いでるみたい、言ってたです」
声の方に顔を向けると、光の粒子が集まって、ぼんやり人間のようなシルエットが浮かんでいる。不思議な風景だった。いつも見ているような、はっきりした輪郭はない。水の中に漂うかのように、ふわふわと光る無数の粒が揺れている。
「それで、いつものにんげんの目が、こう」
ヨルンはもう一度、エルマの額に手を伸ばしたらしい。ちょん、と押された感触がすると、こちらに手を伸ばしているスファルバーンの体が視界に戻ってくる。見回せば、元の王城の一室だ。いや、別に移動したわけはない。場所は同じだが……なんというか、見方が全然違ったのだ。
エルマが余韻に呆然としていると、従弟の体を借りた竜が、今度は自分の額を指さして言う。
「魔法生物、ここに器官があるです。にんげん風に言うと、第三の目。お前にんげん、今の代だとここは普通、閉じてるです。開通がんばた。これ、開くと閉じる、今日練習するです」
「開通、って……」
エルマは片手で頭を押さえ、思わず呆然と繰り返してしまう。確かに人体改造するとか言っていたが、そんな気軽に人の体に穴を開けるようなことをしないでほしい。事後報告もやめてほしい。
恐る恐るおでこを触ってみたが、物理的に穴が開いているわけではなさそうだ。最悪の事態ではないとほっとして、次は竜のたどたどしい言葉の解釈を考える。
「さっきの、不思議な光景……あれは、あなたがわたしに力を与えたから、見えるようになった?」
「そう」
「あの景色を見えるようにすることが、ユーグリークさまの魔性の抑制につながるの?」
「そう。捉えれば、干渉も可能。みえないもの、触りにくいです」
なるほど、魔力を足されていると言われてもさほど変化は感じられなかったが、目に見える世界が変わるようになれば体感しやすい。
(さっきの光の粒子は、わたしがいつも加護戻しの時に見ていた糸のようなものと似た気配がした……あれがつまり、魔力の流れ、ということなのかしら。でも、開くと閉じるって……?)
疑問を抱くと、じっとエルマの顔を見つめていた竜がこてんと首を傾げる。
「簡単です。お前、というか今の代のにんげん、第三の目、閉じてるです。いつもここから刺激受ける、疲れるですね。やってみる、早いです」
今度は直接触れることはなく、指さされただけだが、光の粒子の世界に移り変わった。
しばらくきらきらが満ちている視界を楽しんでいたエルマだが、最初はこめかみの辺りに違和感を覚える。まもなく違和感は頭痛に変わった。外部からの圧迫、内部からの膨張――その両方の感覚が同時に起こり、ぎしぎしと頭蓋骨がきしんだような錯覚を覚える。
(なに、この感覚は――だめ、立っていられない!)
ぎゅっと目を閉じて頭を抱えた瞬間、すっと不愉快な力が消えた。しょぼつく目を瞬かせると、支えるようにエルマの肩に手を置いている従弟の姿が目に入る。
「ね? ずっと開く、負担大きいです」
「よく……わかりました……」
(そういえば前、ちょっと無理をしたら熱を出して、「魔力酔いだ」と言われたことがあったわ。あの時の感覚にも、少し似ているかも……?)
何にせよ、第三の目とやらをずっと使っていたら体が持たない。そのための“制御練習”とやらなのか、と納得していると、竜がぱん、と手を合わせた。
「わかったら、開くと閉じる、自分でできるようにするです」
「……自分で?」
「はい」
「どうやって……?」
「それを今からやるです。できるまでやる。だいじょぶ」
――この日、エルマは竜が鬼教官であることを思い知ることになった。