19.侍女の余暇3
「ガ……ガリュース殿下……!?」
予想外過ぎる遭遇にエルマが慌てると、第二王子はすっと目を細める。
「図書館は動物の持ち込み禁止だよ。受付で注意されなかった?」
……早速のご指摘である。やっぱりこの王子とはなんだか息が合わない。
エルマは気が遠くなりそうになるのを堪えながら、まずはいつもの社交辞令的笑みを作る。
「あの、こちらは賢者さまにいただいた人造生命体でして、持ち込み許可をいただいているらしく……」
「賢者? ふうん……特例措置か。貴女は本当に、次から次に人をたらしこんでいくね。一体どこにそんな惹きつける要素があるんだろう」
(わたし、ガリュース殿下には嫌われているみたい……でもこの上品にちくちくと来る感じ、慣れないわ……)
本心のまま不思議そうに首を傾げる王子に、エルマは笑みが引きつるのを感じながらも、深呼吸してウィッフィーを抱え直した。
「ガリュース殿下はなぜこちらにいらっしゃったのです?」
「普通に、本を読みに。……私がここにいるのがおかしいとでも言いたげな態度だね」
「とんでもございません。ただ、わたくしのような至らぬ不調法者にわざわざ殿下の貴重なお時間を割いていただくこと、心苦しく感じております」
要は「こちらにはお構いなく、本を読みに来たのであればどうぞご自由にお願いします」の丁寧語である。
それにしても今のところ、城内で明確に“苦手な相手”と認識している数少ない人物とばったり出会うとは。
もちろん王城にいればいつかは顔を合わせる機会があろうが、まさか仕事中のユーグリークよりガリュースとの遭遇が先になるなんて、さすがに心の準備ができていなかった。
そのままガリュースが「確かにつまらない相手に構っていてもしょうがない」と思って立ち去ってくれるのを待つエルマだが、ふと違和感を覚えた。頭を下げたまま、こっそり辺りを窺ってみる。
以前、社交界デビューの日に絡まれた際、第二王子の周りには、いかにも腰巾着ですと言いたげな顔をした取り巻き達がいた。だが今日は、お伴の気配がない。後からやってきたり、少し離れた場所で息を潜めているだけなのかもしれないが――。
「ああ、前は連れが取り囲んだからね。その心配ならしなくていい、最近は私一人のことが多い」
……そしてすぐ、何を探しているのか見抜かれたらしい。ついでに、ガリュースはどうやら、全然離れていく気配がない。エルマはウィッフィーを抱える手に思わず力を込めてしまい、うにゃにゃにゃと不満の声を上げられている。
(本当になぜこの方は……わたしのことが嫌いなら、どうしてそう――あれ?)
ちょうど疑問を感じたタイミングで、うっかり目が合ってしまった。なんとなく黙ったままでいるのも居心地が悪い。
「お一人でいらっしゃる時間が増えたのですか?」
「そう。ベレルに言われたから。もう少し友人は吟味すべきだと」
第二王子がベレル、と呼ぶのは、ベレルバーン=ファントマジット――かの眼鏡がトレードマークなエルマの従兄だ。
ファントマジット家の長男は、昔から第二王子と懇意であるらしい。弟のスファルバーンは、エルマの縁でユーグリーク、ひいては第一王子ヴァーリスにかわいがられており、こういう部分でも正反対の兄弟である。
エルマが魔法伯邸に来たばかりの頃、ベレルバーンは反発して家を出ていたのだが、その間に身を寄せていたのも第二王子の所だったのだそうだ。
察するに、ベレルバーンは第二王子の取り巻きの中でも気に入られているようではあったが、エルマは社交界デビューの日にガリュースとちょっと揉めてしまったし、その関係でベレルバーンに不都合が出ることはなかったのだろうか……と少し心配した。
気難しい従兄に直接聞いても、「は? ボクの問題だぞ、二度と口にするな」とか返ってきそうだったので、心にとどめるだけではあったのだが。
(……でもまさか、知らないところでもっとガリュースさまのご機嫌を傾けそうなことを言っていただなんて。ベレルバーンさま、一体なぜ……?)
「ベレルは私に嘘をつかないからね。私の意に沿わないことをされるのは不愉快だけど、真面目な正直者は好ましい。一度ぐらいなら言うことを聞いてもいいと思って、試している」
なるほど、第二王子の事情というか近況というかは理解した。
理解できないのは、未だに絡まれ続けていることである。
なんだか埒が明かない気配を察知したエルマは、ひときわ気合いを入れて笑みを作り直した。
「殿下、わたくしも探したい本がありますので、こちらで失礼させていただきます――」
「何の本?」
「…………」
「すごく不満そうな顔だね」
「いえ、けしてそのような」
ガリュースはもしや、嫌いなエルマを困らせて楽しんでいるのだろうか。そんな気すらしてきた。
常にニコニコして飄々としている兄王子と違い、弟王子は終始真顔なので、これはこれで何を考えているのか全く読み取れない。だが相手はれっきとした王子、向こうが話しかけてきている以上、「こちらは構いたくないのでこれで」とばっさり切るわけにもいかない。
「……歴史の本を探しています。この国の昔のことを、改めて勉強したくて」
「そう」
ガリュースはきびすを返した。
ようやくか、そしてこのタイミングか!? とエルマがやや毒気を抜かれていると、少し進んだところで立ち止まり、ちらとこちらに流し目をよこしてくる。
「来ないの?」
「……えっ、あの、殿下にご案内いただけるのですか!?」
愛想を尽かされたのかと思えば、まさかの、である。だがエルマがぎょっとした顔をすると、王子は再び無言で歩き出した。
(これは、黙って着いてこいということなの……?)
迷ってから、エルマは一応小走りに移動する。ガリュースの態度が曖昧なのをいいことに、このまま別れてしまうこともできそうだが、もう一度探しに来るのもなんだか馬鹿らしいではないか。
怪しげな第二王子についていくこと自体のリスクも一瞬頭をよぎったが、ここは人の出入りする公立の図書館だし、そんなおかしなことはしないだろう、と結論づけた。
(暗い場所に連れ込まれそうになったり、危ないと思ったら、そのときはすぐに逃げよう……)
少なくとも受付まで走って行けば人目がある……なんていつでも引き返せるように身構えていたが、ガリュースは背後のエルマになんてまるで興味がないように、ただ黙々と進んでいく。
「この辺りが歴史の本」
……普通の通路を通り、目的の書棚まで来てしまった。だがエルマは油断せず、一定の距離以上近寄らないようにさりげなく調整する。
「ありがとうございます、殿下」
「いつ?」
「…………。建国時か、もう少し前の時代のことを知りたくて……」
「それならそちらの方」
ガリュースはその後も、エルマの終始いぶかしげな目に全くめげる様子もなく、本探しに同行して借りる所まで一緒だった。
「貴女は色々足りていないだろうからね、努力するのは悪くない」
普通に借りたい本探しを手伝ってくれはしたのだが、こういうことをちらほら言われながらだったので、ありがたみはない。
親睦を深めたとはとても言えないが、手を貸してもらったことも事実で……ますます第二王子の謎が増えた気がする、侍女の午後だった。