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16.安息の時 後編

 エルマがきょとんとしていると、世にも美しい男がのぞき込んできて唇を指でなぞる。


「エルマ。俺は今日頑張ったぞ。ものすごく真面目に勤務した。まあ……別にヴァーリスじゃないから、いつもが不真面目というわけでもないんだが」

「は、はい……」


 魔性の男は甘く囁きながら、婚約者の頬を撫でている。エルマは見下ろしてくる銀色の瞳にじっと魅入っていた。心臓が静かに、けれど確実に高鳴っていく。


「きっと君もすごく頑張った。エルマは頑張り屋だが、寝室で怖い思いをした上に、慣れないところで一日働いたんだ。ストレスを感じていないわけがない」

「えっと、それは確かに……でも、あの……?」

「だから俺たちはお互いに労い合うべきだと思う」


 手が首筋に降りていき、襟元へ移動する。肌をなぞられると少しぞくっとした。嫌な怖気ではない。期待と不安の震えだ。

 しゅるりと音がして、首元のリボンがほどかれた。

 次いでボタンに指がかかり、エルマは慌て出す。


「ユーグリークさま……!?」


 今回の彼はその先の許可を言葉で尋ねなかった。ただじっとエルマを見下ろす。

 ここでやめるか、もう少し労って(・・・)もらうか。

 逡巡の後、エルマの答えは押しとどめようとした手をどけることで示される。


 公爵子息はゆっくりと恋人の襟元を緩めていった。

 まずは一つ。

 それから二つ目。エルマがはっとしたように、手で口元を覆う。

 ユーグリークは手を止め、じっと彼女の反応を見守る。焦げ茶の瞳はうっすらすみれ色に変化していた。

 視線が絡む。瞬きがあった。ユーグリークは体を倒し、エルマのこめかみに恭しく口付けを落とした。キスされる瞬間、エルマは目を閉じ、体を震わせる。


 三つ目のボタンが外された。手が手に絡め取られ、また視線が交錯する。


 ――瞬きの回数が増えるのは緊張の証、だったろうか。

 ユーグリークがふっと目尻を下げると、エルマの緊張もわずかに抜ける。


 指がほどかれ、今度はお互いの顔へ。髪をすき、頬をなぞり、耳をくすぐる。戯れている間に唇が重なり、最初は浅く、徐々に深く。

 満足するまでむさぼった後、いったん息継ぎのために離れる。胸を上下させ、ほうっと夢見心地にあるエルマの額に口づけてから、ユーグリークは再び首筋へと手を這わせ、それから胸元に至る。


 鎖骨の下辺りでちゅ、と音がした。どうやら痕を残したらしい。

 エルマはやや抗議の目で恋人を見るが、いたずらっぽい笑みが返ってきた。


「見えないところだ」


 しれっとそう言った魔性の男は、外したボタンを丁寧に留めていく。どうやらそのためにはだけさせたらしい。


「……わるいひと」

「悪いことをしたくなるほど魅力的な婚約者がいるから。――ね。俺のことだけ考えて」

「ずっとそう、いつも……」

「もっとだよ」


 不器用だが練習はする男の技術では、ボタンは元に戻せたが、リボンには苦戦しているらしい。

 エルマが笑って体を起こすと、ユーグリークも上からどいた。ただし襟を直している間、今度はまとめられた髪にちょっかいをかける。


「だめ、ほどけちゃう」

「もうほつれてる。このままの方が言い訳しづらいんじゃないか?」

「誰のせい?」

「さあ。俺たち両方かな」


 確かにこれはもう一度ほどいてから軽くまとめ直した方がよさそうだ、と感じたエルマは、アドバイスに従うことにした。ヘッドドレスを外し、髪をなでつける。長い髪が下ろされる様子にユーグリークが見惚れている気配がしたので、彼の方を見ながらすいたり束ねたりして見せる。


 そこではたと、エルマの動きが止まる。


(やっぱり、一瞬だけど……)


 キスをするほどの密着感では意識に上がってこないが、お互いの姿が見える距離になると、少し状況が変わる。


 例の加護の糸の片鱗のようなものが、ユーグリークの周りに浮かんで見えるのだ。その後動いたり瞬いたりすれば元通りの景色になるが、気のせいでは片付けられない程度の再現性はある。だが手首には、賢者からもらったブレスレットの感触があった。


「お腹がすいた? それとも今日の復習をしているのか?」


 またエルマが思考しているのを見て、ユーグリークが苦笑いした。けれどご褒美の時間が終わった後だからか、態度に幾分余裕があるように見える。エルマは手早くできる範囲で髪を束ね、微笑み返した。


「両方かも」

「じゃあ、そろそろ行った方が良さそうだ」

「ええ」


 ユーグリークに手を取られ、エルマは立ち上がった。


(お城の中は安全ということだけど、ヨルンとの接触によってわたしには何かの変化が起きている。賢者さまは親切だけど、ユーグリークさまにヨルンのことを隠せとも言った。……それならわたしにも同じことを、知っているけどあえて告げていないことがあってもおかしくないかも。待っているだけじゃなくて、わたし自身でも調べてみなくちゃ)


 部屋を出る直前、引き寄せられて最後にもう一度キスをされる。ユーグリークを見上げ、エルマは言った。


「ね、聞いて。わたし本当に、あなたが思っているより、あなたのことを考えているの。もちろんそればかりではいられないけど……でも、忘れているわけじゃない」


 思い悩むのはユーグリークとの幸せな将来がほしいからだ。それを二心があるとか、集中していないと誤解されるのも、なんだか面白くないではないか。


 ユーグリークはやや驚いたように目を見張り、それから破顔する。


「うん……うん、そうだな。俺ばかりが追いかけてるわけじゃない……でも」

「でも?」

「……言わない。怒られそうだから」


 恋人達は無邪気にじゃれ合い、それからしっかりと手をつなぎ直した。

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