13.希望と絶望
「なんだ、できそこない」
結局、エルマが話を切り出したのは夕食後だった。
日の出ている間は、キャロリンの社交界デビューのための準備でせわしなかったのだ。
腹が満ちていると、考え事もはかどる。
エルマは、話をするなら夕食後が最も適しているだろう、と推測した。
朝や昼は、外出の用事があって、何か言い出しても「うるさい、後にしろ!」と遮られてしまう可能性が高い。
この前はラティーを出す事の方が目的だったが、今日は話を聞いて貰う方が本題なのだ。
夕食後の、寝支度を始めるまでのんびりと一服している間は、二人はいつもエルマに一言二言厄介な仕事を言いつけて、苦労するのを楽しそうに鑑賞する。裏返せば、彼らはその間暇ということではないか。
今日は注文していたドレスのできを確かめに行った日で、父もキャロリンもいたく満足していた。いつも以上に気をつかって並べた食事にも、何もコメントはない。
一日中様子を見ていたエルマは、今ならば、と思い切って声を上げた。
そっとかごを持ってきて、覆いを取り払う。
「昨日には間に合いませんでしたが……ラティーを、もらってきました」
大量の高級果実は、屋内灯に照らされて、宝石のようにきらきらと光り輝いた。
父はぽかんと口を開ける。
緊張でからからに渇いた喉にむりやりつばを飲み込んで、エルマはおずおずと言い出す。
「それで、その……これをわたしにくれた人が――」
「――なに、それ」
「……えっ?」
父は口を開けたままだ。
最初、彼が変な声を上げたのかと思った。
しかし違う。彼ではない。
困惑し、視線をさまよわせたエルマは、顔を真っ白にしている妹を見つけた。
普段の愛らしく鈴を転がすようなそれと異なる、地を這う低い声だったせいで、一瞬誰が喋っているのかわからなかったのだ。
「キャロリン、さま……?」
「ちょうだい」
「あの……」
「それをこっちによこして。早く」
キャロリンは腕をつっぱって、エルマが手にしているかごを要求している。
元々これは彼女がほしいと言って、そのためにエルマが探してきたものなのだ。
彼女が受け取るのは正しい。正しい、はずなのだが――。
(でも……こんな、はずじゃ)
昨日の今日だ。エルマだって、さすがに二人が絶賛してくれるとは、もう思っていない。
これは話のきっかけだ。今日一番大事なのは、エルマの初めての友達の件である。
だが、思わぬ所でつまづきそうだ。
なぜかキャロリンは、ラティーを見ただけで、怒っているらしい。こんなに怒りを買うのは想定外だし、理由がわからない。
(いつものキャロリンさまと、違う)
猛烈に嫌な予感がした。
キャロリンは冷ややかにこちらを見つめている。少し前までまどろむような微笑みを浮かべていたのに、なんと残酷な顔をするのか。
「聞こえなかったの。いつまでもウダウダ続けるなら、その耳吹っ飛ばすわよ!」
エルマが体をこわばらせていると、ビュンと音を立てて風が飛んできた。
近くにあった家具がすっぱりと切れる。
首をすくめた際に一瞬見えた父もまた、ぞっとする目をしていた。
彼は剣呑な雰囲気の姉妹を静観したまま、動こうとしない。
魔法を使われては、エルマになすすべはない。
恐る恐る差し出したかごをひったくったキャロリンは、じろじろと中身を値踏みしている。
(……偽物を用意したと思ったのかしら。だから――)
紛れもなく本物だとわかってくれたら、と祈るエルマの前で。
ふっ、と天使が笑みを零した。
無邪気で残酷で、邪悪な微笑みを。
音がした。
激しい物音が。
かごがひっくり返される。
綺麗に並べられていたラティーがばらけて、散って、地面に落ちていく。
「――あ」
エルマは手を伸ばそうとした。一粒でも、守ろうと。
けれど飛び散る果物達を、更に無数の風の刃が切り裂いた。
徹底的に破壊する。
エルマがもらった、初めての好意を。
「――――」
本当にショックを受けると、人は声が出なくなるらしい。
びちゃびちゃになった床の上にぱらぱらと降り注ぐのは、ばらばらにされたかごの残骸だろうか。
「だって、思っていたのと違ったのだもの」
エルマががっくり膝と手をついたまま呆然としていると、甘く愛らしい声が降ってきた。
「高貴で綺麗な女性は、皆ラティーを食べているって聞いたわ。だからあたしも食べるべきだと思ったの。でも、何なの、あの変な味。口に合わない。嫌い。こんなものもういらないのよ」
「でも……昨日はもっと、食べたいって――」
「昨日は昨日。今日は今日。そんなこともわからないの? 姉さまって本当に頭が悪いのね」
機嫌を直したらしいキャロリンが、にっこりと優雅に微笑みを浮かべる。
そして彼女は、つかつか歩み寄ってきて、エルマの手をぎゅっと踏みつけた。
「痛いっ――!」
「ね。本当に、なにさまのつもりなの? あたしをばかにしてるの?」
「どうして、そんな――」
「ラティーが季節外れの高級品なことぐらい、あたしだって知っているの。なのになんで――なんであんたが! 二回もそれを持ってこられるのよ!! 何の取り柄もない、できそこないの役立たずのくせにっ!!」
ひゅんひゅんと、風が暴れる音がした。
エルマは大きく目を見開く。
(なにを……この子は、なにを言っているの……?)
動けずにいると、キャロリンはしゃがみ、エルマの胸ぐらをぐっとつかみ上げて顔を寄せる。
「この家の一番はあたし。あんたは引き立て役。たまたま運がよかったからって、変な勘違いするんじゃないわよ」
言いたいことを全部終えると、用は済んだとばかりに突き放し、荒い足音を立てて去って行った。
それでもまだ、エルマは立ち上がることができない。
ぐちゃぐちゃにされたラティーを前にしていては、何の力も湧いてこないし、何も考えられない。
――と、のっしのっしと歩いてきた誰かが、エルマの肩を抱いた。
酒臭い息に、ぞわっと全身があわだつ。
「お前。これをもらったのは、昨日と同じ人かい」
エルマにはかけられたことのない、猫なで声だった。
ひゅっと息をのみこんで、答えられずにいる間に、父はエルマの腕を撫でて続ける。
「男か? よろしい。お前にしては上出来だ。なんだったか、さっきこれをくれた人がどうとか言っていたな? ぜひとも話がしてみたい。今度、我が家に招待しようじゃないか――」
そこから先は、覚えていない。
気がついたら、一人で片付けをしていた。
黙々とほうきとちりとりでかきあつめたゴミを捨て、雑巾で床を、汁の飛び散った家具を拭き取る。
すっかりすべて痕跡をなくしてしまってから、手を洗い、部屋に戻る。
階段下に戻ってきてようやく、涙を流すことを思い出した。
確かに、一番望んでいたことは叶えられたかもしれない。もう会うなと言われるよりはきっといい。
だが、こんなはずではなかった。こんな形を望んでいたわけではなかった。
胸を押さえると、もらったままの指輪が手に当たる。
ぎゅっとそれを握りしめたまま、エルマは嗚咽を押し殺す。
遠くで、雨の降る音がした。