15.安息の時 前編
慌ただしい一日の終わり、エルマは事前予告通りお迎えにやってきたユーグリークと、ソファに仲良く並んでいた。
怪しげな部屋をいくつか掃除したエルマは、そのうちの一つを自室扱いしていいと賢者に言われている。
エルマが選んだのは、二人がけ用のソファ一つに机を運び込んだらそれでいっぱいになるほどの小部屋だ。元の雑貨の運び出しから必要な物を揃える模様替えには賢者にもご協力いただき、シンプルながら結構居心地のいい場所にできた、と本人は自負している。
両親が存命の頃は小さな家に家族三人でこじんまり暮らしていたし、タルコーザ家では倉庫が常にエルマの居場所だった。ここ最近は貴族令嬢らしいきちんとした部屋で寝起きするのが当たり前になったとは言え、小部屋はエルマにとってなじみ深いものだ。未だ広すぎるベッドと複数存在する部屋が自分のものという状態に、慣れない部分もある。
――が、「何ならわたし、ここで寝起きしても」とエルマがうっとり語った際、ユーグリークが返した言葉がこちらである。
「エルマ……これは部屋じゃないよ。いや、まあ、天井と壁があるという意味では部屋なのかもしれないけど、でもやっぱり人間が寝起きする場所じゃないよ」
据わった目で諭されてしまったので、エルマも「はい」と神妙に返すしかなかった。
生粋の大貴族であるお坊ちゃまには、ソファと机しかない小さすぎる部屋は寝室の選択肢に入らないらしい。
「君の朝の支度を手伝う人間だって、ここだと窮屈だろう。もちろん、エルマがここでも一人でやっていけることは知っているが、老師はあの通り世俗から浮いているし……君は放っておくとすぐ無理をするから、誰か定期的に状態を確認する目が必要だ」
重ねてそう言われれば、エルマもそれ以上我を通そうとまでは思えなかった。寝起きする部屋は予定通り、客室の一つになる。
が、本日の寝室に移動する前に、せっかくなので二人で小部屋を満喫することにした。こといちゃいちゃしたいという目的からすれば、部屋の窮屈さはかえってプラスポイントだ。密着して囁き交わし合うための口実になる。
ソファに収まっている二人から少し離れた机の上には、真っ白な猫もどきが丸まっている。賢者曰く、
「これはの、ちょっとだけじたばたできるぬいぐるみみたいなものでな、本物の猫のように好き勝手出歩いたり狩りをしたりといったことはできん。その辺に置くかエネルギー切れになったら、勝手に睡眠モードに移行するでのう。ま、飽きるまで適当にかわいがっておくれ」
とのことで、今がその睡眠モードという奴なのだろう。
覚醒状態であればもふもふした毛並みをいじり回すと何かしら反応があったのだが、睡眠時にはつついてみても物言わぬ毛玉である。
なおユーグリークがやってきた当初、猫もどきはエルマの膝の上で眠りについていた。が、婚約者と自分の間から余計なものを全部取り払いたい魔性の男の意向により、机の上に移動させられた。都合よく脇に追い払われても文句一つ言わない辺り、さすが賢者特製の優秀な生命体と言えよう。
「それで、老師に侵入者のことは相談できた?」
「ええ。正体に心当たりはあるけれど、まだ断定はできないらしくて。指輪のことも、まだわからないから調べてみると。でも、お城にいれば変な人は入ってこられないから、ひとまずは安全だろうって言っていただけました」
「そうか。老師が保証してくれるならこれ以上心強いことはない」
ユーグリークは安心したような笑みを見せたが、エルマは思わず目をそらしてしまう。
彼はいつも通り、エルマが照れたのだろうと考えるだろうが、今回のは仄かな罪悪感によるものなのだ。
(ああ……もうすぐ結婚式、女神さまの前で結婚相手に嘘はつきませんと誓願をしなければいけないのに、秘密を作ってしまうなんて……)
侵入者は、伝説の邪竜ヨルン――その分身体である。これは本日、賢者から既に聞き出せた情報だ。
だが、現時点でわかっていることをそのままユーグリークに伝えるべきではない、というのも賢者の見解なのである。
「だってあやつ、犯人を特定できましたなんて言ったら、絶対黙っとらん。そりゃまあ、いずれは正体がわかる時が来るじゃろうし、奪われた婚約指輪を取り戻さなければならぬなら、直接対峙は避けられぬのやもしれぬ。じゃが……突撃するなら、せめて儂の準備が終わってからにしてほしいわい」
エルマも概ね同じ意見なのだった。
ユーグリークは説得に応じる人間ではあるが、氷のような冷ややかさを想起させる見目とは違い、大分血の気の多い男でもある。そして婚約者関連のことになると、更に感情の沸点が下がる。
『そうか、ヨルンって奴がエルマを泣かせたのか。じゃあそいつ、一発殴ってくる』
そして止める間もなくフォルトラに乗って空へ……ああ、架空の未来が目に浮かぶようだ。
(ヨルンの名前はわかっても、そのほかのことは相変わらず、ほとんど情報がないままなのだもの。その上賢者さまがまだとおっしゃっているのだし、だから黙っていることは正解のはずで……)
自分の行為を正当化しようとするのだが、根が素直な人間ゆえか、どうしてもそわそわしてしまう。
「……エルマ、今度は何を考えているんだ?」
そうして気もそぞろな様子がお気に召さなかったのだろうか。
気がつけばエルマは、仰向けに押し倒されていた。