9.亡霊の呼び声
第二王子がいなくなると、早速王太子と近衛騎士が小突き合っている。
エルマもほっと胸をなで下ろした。
ガリュースは、率直に言ってしまえば苦手な相手だ。なんというか、距離感がつかめない。
エルマはもともと平民生まれ、下働きのような生き方をしてきた人間である。
ある日ユーグリークに見初められたことがきっかけとなり、魔法伯家の人間であることがわかった。
いずれ公爵夫人となるべく日々学びと努力は続けているが、「平民の成り上がりが」と冷ややかな目で見られることも少なくはない。
祖母と伯父は、最初から快くエルマの存在を受け入れてくれた。一方で従兄弟達と今の関係に落ち着くまでには、それなりに苦労もした。
魔法伯家ですら、馴染むまでにそれなりの時間を要したのだ。他の家の貴族達が、普通の貴族と異なる気風を持つエルマに対して吟味するような目を向けてくるのも、さもありなん、といったところである。
とはいえ、非好意的な貴族は、そもそもエルマに近づいてこようとしない。
何しろエルマの隣では、王国で、いやこの世界で一番怖い男がにらみをきかせているのだ。
エルマに対して露骨な敵対心をあらわにするということは、“氷冷の魔性”であり公爵家嫡男であるユーグリーク=ジェルマーヌを敵にすることと同義である。
そんな怖いもの知らず、早々現われない。
……はずなのだが、ガリュースはどうやらその稀少な怖いもの知らずの一人らしかった。
こちらを敬っているというよりは見下している言動からして、まず好かれていないと思ってよかろう。
その割には完全無視もされず、社交界デビューの日といい今日といい、奇妙な絡み方をしてくる。この、好意ではないが露骨な敵愾心まみれの言葉を浴びせられもしない微妙な感じが、なんともこちらも応じにくい。
(ガリュースさまは、そんなにわたしが気に入らないのかしら……わざわざ顔を見せに来るほど……)
そんな彼がいる王城に、しかしこれからしばらく滞在する予定なのである。早速前途が不穏だわ、とため息を吐いているエルマから少し離れた所では、魔性の男がうなり声を上げていた。
「あいつめ……舞踏会の時、白薔薇をしおれさせてやったはずなんだが。まさか意図が通じてなかったのか? ガリュースとは今度またじっくり話し合う必要がありそうだ……」
手を組んでバキボキと不穏な音を鳴らしている男の肩を、ぽんと王太子が叩く。
「いや、あのね、ユー君。あれはね、確かにね、エルフェミア嬢にちょっかいをかけてるんですけどね。そうすることによって、お前がね――」
「ヴァーリス、まずユー君はやめろ。で、鈍感な俺にだってさすがにわかるぞ。あんなのどう解釈してもエルマ狙いだ。お前と違って分別がある奴だから、人妻には興味を出さないと思っていたのに」
「人妻じゃない、まだ婚約者、早まるな。あと僕は確かにとっかえひっかえしてますが、不倫はしてません、そこは大事。……そもそもなんで今、わざわざガリュースのめんどくさい心理状況をユーグに解説しようとしてやってたんだ? やめだやめ、アホらしい」
何かを追い払うように頭を振ったヴァーリスは、気を取り直したように客人の方に向き直る。
「改めて、ようこそ、エルフェミア嬢。なんだか色々大変らしいね?」
「急に押しかけて申し訳ございません。お世話になります」
「とんでもない、王城はいつでも大歓迎だよ。実家のようなつもりで羽を伸ばしていってくれたまえ」
王太子は愛想良くエスコートの手を差し出したが、ユーグリークがすっとエルマの手を取ってしまう。目の見えない王子は気配に敏感でもあり、公爵子息が婚約者を絶対に他の男に任せない意思もすぐ察したらしい。
「お前本当……それ、少し控えめにしろよ」
「それ?」
「わざとやってんだろうに。あんまり過剰に防御すると、反感買いますよってこと。ま、すぐには無理でも、頭の片隅に置いときなさい」
おちゃらけて飄々とした様子が目立ちがちな第一王子だが、ふとした折に垣間見せる真面目な瞬間は、次期国王としての威厳をまとっている。
エルマは自然と背筋を正した。
一方、ユーグリークは大親友を自称する友の言葉に、応じはせずとも否定はせず、ため息を吐き出している。
ともあれ、こうしてエルマは一応、無事に王城入りを果たしたのだった。
◇◇◇
ヴァーリスはまず、自分がよく使っている部屋の一つに客人を連れてきた。王太子付きの騎士や侍女達に、改めてエルフェミア=ファントマジットを紹介する。
今までも度々登城する機会のあった彼女だが、ユーグリーク以外の騎士、王城の侍女と話した時はそう多くない。
改めて魔性の男の婚約者と話せる機会を得た彼らは、客人を取り囲み、早速会話に花を咲かせている。
「――で。何があった、ユーグリーク?」
そんな彼らの賑やかさが視界には入るが、会話内容は聞こえない――そのぐらいのちょうどいい位置を確保した王太子は、早速近衛騎士に聞き取りを開始する。
「とりあえずの知らせで、エルフェミア嬢の部屋に侵入者があったことは聞いたが。でも本人は無事だったんだろう?」
「エルマの話では、指輪を取られただけという話なんだが……やっぱり色々前と様子が違っているように見える。彼女のことも、再度診てもらいたい」
「なるほどね。しかし、あの指輪をわざわざ盗んでいく輩がいるとはなあ。で、お前がさっさと取り返しに行ってないってことは、位置探知機能が切られてると?」
「……不気味だろう? 正体も目的も見えてこない」
ふむ、と王太子は口元に手を当て、考え込むような顔になった。覆面の騎士もつかの間沈黙したが、思い出したように「ああ」と声を上げる。
「不気味と言えば、今日、フォルトラもおかしかったんだ。珍しくエルマに嫌がるようなそぶりを見せて――」
ユーグリークは何気なく零しただけだったが、ヴァーリスはすっと碧眼を細める。
「嫌がる? どんな風に?」
「どんな風って……匂いを確認していたようだったかな」
「それで気に入らない奴の匂いがついていて許しがたい、というような?」
「ああ……確かにそうだ」
王太子の光のない目が、じっと虚空を見据えた。少し遠くから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「ユーグリーク。天馬はどういう生き物だ?」
「なんだ、急に質問攻めだな。天馬は元々竜退治に使われていた生き物で――」
言葉にしたことで、公爵子息もとある可能性に思い至ったらしい。はっと息を呑んだ彼は、信じられないものを見る目を友に向ける。
「――あり得ない。竜種は皆滅ぼされた。今の世にはいない」
「知ってるだろう? それは正確な表現じゃない。人間の力では、最後の一頭は殺しきれなかった」
ふと音が消えた瞬間、しんと静かな冷たさが辺りに落ちた。王太子は小さくも重々しく言う。
「我らが賢者、老師に問うしかないな」