6.無の痕跡3
「何にせよ、君を狙っている危険人物がいるなら、俺の近くにいるのが一番安全だ。そうだろう?」
「……それは、間違っていないと思いますが。だからといって部屋に行こうと言うのは、過程を飛ばしすぎではないでしょうか」
「でも、寝ている間の君を守ろうと思ったら、これが一番いいと思うんだが。一月後には結婚するんだし、ちょっと早くなるだけで……」
「ユーグリークさま? 安全問題について話し合うことは、わたしとしてもやぶさかではございません。ですが本当にわたしの居場所を変更するということであれば、わたし達のみでなく、両家で相談しなければならないことかと」
確かに、ユーグリークと四六時中一緒にいれば、それ以上安全なことはあるまい。だが婚約者と言え一応婚前関係なのに寝室を共にするのは、どうなのか。
思わず真顔になったエルマは、保護者達の存在を想起させる。
「ユーグリーク。そうなると、今度はお前自身がエルフェミアへの脅威になるのでは?」
「外からの敵に対しては万全の砦でも、内部から攻められたらどうしようもないわよね」
「いや……さすがにそれはちょっと。お前はともかくエルフェミア嬢の評判考えたら、いいよやっちゃえとは言えないよ、息子よ」
――脳内で、義母と祖母(ついでに義父)が各々のコメントを返した。なお、スルー力に定評のある伯父は、作り笑顔のままノーコメントだ。
ユーグリークも、魔性の男の自制心に全く期待してない大人達の反応が目に浮かんだのだろう。「もうそれならいっそ、すぐ一緒になればいいじゃないか!」と浮かれていた空気が、すっと真面目な雰囲気に戻った。
「……うん。まあ、寝室を一緒には、駄目かもしれないが。とにかく、指輪を盗って行かれた事実がある以上、このままの状態も得策ではない。何か対策を考えないと。ただ……」
そこでユーグリークは形の良い眉をひそめ、首をひねった。
「正直、目的が見えてこない……エルマ、相手に見覚えがあったわけではないんだよな?」
エルマが頷くと、ユーグリークは続ける。
「少なくとも自覚している範囲では、何かされたわけでもない」
これにも改めて頷けば、公爵子息は窓の方に目を向けた。
「君が目的なら、部屋に侵入まで果たせたんだ。なぜそのまま帰った? 逆に盗むことが目的だったなら、寝入るまで待たなかったのが腑に落ちない。そもそもなんであの指輪が必要だったんだ? 偽造の身分証明、換金……どっちも手間とリスクが釣り合わない。一点物なんだ、安易に使えばすぐ足がつく。……俺への挑発? まあ、心当たりがないとは言わないが。こんなことができる奴は、さすがに……」
ユーグリークの言葉を聞きながら、エルマも困り顔になってしまう。
そう、かの人物の正体も目的も、今のところさっぱりなのだ。
しかもエルマのおぼろげな記憶では、侵入者が指輪を探している様子なんてなかったように思える。あの人物はなぜエルマに会いに来て、本当は何をしようとしていたのだろう……。
二人とも頭を抱えたタイミングで、寝室の扉がノックされた。
「か、閣下……エルフェミ、ア。そろそろは、話は、ま、まとまりました、か……?」
スファルバーンだ。彼は真面目な働き者である。婚約者達の時間作りに協力を惜しまないが、一方で監視役として定期的に声をかけることも忘れない。ユーグリークがはー、と大きく息を吐き出した。
「スファル、もう少し待ってくれ。……エルマ。ひとまず今日は、王城に行こう」
「……えっ。あの、これからですか!?」
「もちろん。安全だし、魔法に詳しい人間が集まっている。行かない手はない」
当然のごとく、王の居場所は最も警備が厚い。加えてやんごとなき血筋の方は、優れた魔法使いであることが多い。
避難先及び相談先として、これ以上適当な場所はないと言われれば、一理はある。
だが、毎日気軽に勤務しているユーグリークと違い、エルマにとってはそんな簡単に行ける場所ではないのだ。予定もないのに今日すぐになんて言われても、心の準備が追いつかない。
が、こうと決めた時の魔性の男は有言実行の鬼だった。エルマが固まっている間に、ユーグリークは顔布の装備を直し、扉を開く。
「スファル、いつもご苦労。少し急だが、エルマはこれから王城に連れて行く。準備を手伝ってくれ」
「は、はい……え。えええっ、おおお、王城――!?」
「お祖母様と伯父上に話がしたい。どこにいる?」
「う、うあ……あ、えっと。お、お待ちを、閣下……!」
従弟も目を白黒させていたが、ユーグリークがさっさと歩き出したので慌てて後を追っていった。
◇◇◇
結論から言えば、ユーグリークの提案は遂行されることになった。
今から王城にと言われた保護者達は、さすがに当初は急な申し出に困惑していた。
だがユーグリークから「昨晩エルマの部屋に狼藉者が押し入り、指輪を盗まれた。エルマ自身、そのことを他者に説明できないよう魔法をかけられた」と説明されると、事態の深刻さを思い知ったらしい。
「わかりました。エルフェミアもこの半年、遊んで暮らしていたというわけではありません。準備万端とまでは言い切れませんが、今から王城に出仕しても恥ずかしくない令嬢になっているはずです」
「既に侵入されてしまっている以上、この屋敷が安全とは言えません。婿殿、姪をどうぞよろしくお願いします」
保護者の了承も無事得られたら、後はもう粛々と行動あるのみである。主に先代魔法伯夫人の号令のもと、ファントマジット一家は家族から使用人総出できびきびと動き出す。
エルマはてっきり、あれこれ支度をしてから送られるのだと思ったが、「そんなのどうとでもなりますから、まずはとにかくお行きなさい」と祖母に言い放たれてしまった。
「俺はエルマを連れて行くから」
……というわけで、エルマはほとんど着の身着のままで連行、もといユーグリークに伴われて王城に行くことになった。
筆頭騎士である彼の主な移動手段は、純白の天馬フォルトラだ。転移魔法を除けば、天馬での移動が一番速い。天馬は翼の生えた馬、基本的には一人騎乗だが、フォルトラはユーグリークとエルマの二人乗りになれており、嫌がることはない。
ユーグリークにいつも通りのエスコートを受けつつ、最低限の身だしなみを整えておいてよかったと、心の底からエルマは思っていた。寝間着のまま会っていたら、本当にそのまま王城に送られかねなかった勢いである……。
だが、ここでまたも不測の事態が発生した。
「……きゃー!?」
「フォルトラ!?」
フォルトラは天馬には珍しいらしい温厚な性格をしており、エルマによく懐いていて顔を見れば人なつっこく撫でてくれと顔を寄せてくる。
その彼が、今日はエルマを見た途端にさっと耳を伏せて眼をつり上げ、突進したのだった。