番外編 エルフェミアルーム
スファルバーン=ファントマジットは、魔法伯家の次男である。
第二王子の覚えめでたい優秀な長男ベレルバーンと異なり、特に華やかな経歴や関係性はなし。
特技らしい特技はないが、逆に吃音癖という明確な欠点がある。
ファントマジット兄弟のいらない方。
……というのが少し前までの自他共に認める彼に対する見解だった。
変化のきっかけは従妹のエルフェミアだ。
エルフェミア=ファントマジットは、かつてメイドに恋をして家出し、その後夭折したアーレスバーン=ファントマジットの一人娘である。
彼女は自分の素性を知らず不遇な生活を送っていたが、とある縁からその存在が明らかになった。
その縁の相手は、大貴族ジェルマーヌ公爵家の嫡男、ユーグリークである。
ユーグリークはその強大な魔力と美貌のせいで他人に素顔を見せられない厄介な体質持ちだが、エルフェミアは彼が無自覚に放ってしまう誘惑に耐性があった。
偶然の出会いから惹かれ合った二人は、多少の波乱はあったもののついに婚約し、双方挙式の日を楽しみにしている――というところである。
スファルバーンは当初、この優しいエルフェミアに惹かれていたようだった。
しかし出会ったときには既に彼女はユーグリーク=ジェルマーヌの婚約者。
おまけに嫉妬深いユーグリークは、従弟だろうがエルフェミアに対する視線を感じれば警戒全開、ことあるごとに牽制していた。
この状況をよしとしなかったのがエルフェミアである。
当初はスファルバーンから向けられる好意に困惑していた彼女だが、親族としての良好な関係を続けていきたい旨を伝え、従弟との仲は安定した。
続けて彼女は、結構露骨に冷淡な態度であるユーグリークを取りなした。彼は自分と同じような人間だ、優しくしてと説得したのである。
その結果、ユーグリークはスファルバーンを恋敵から庇護対象へと認識を改めたらしい。
今度はことあるごとに婚約者の従弟に声をかけるようになり、すると一匹狼だった公爵家嫡男の側近く在るようになった魔法伯家次男に注目が集まるようになり――。
今では兄のベレルバーン同様、ひょっとするとそれ以上に脚光を浴びている、そんな状況なのだった。
スファルバーンは元々、内向的傾向のあった青年である。
世間の評価の変化には、喜びよりも戸惑いの方を多く感じているらしかった。
とはいえ、憧憬対象であるユーグリークに気にかけてもらえることは、素直に嬉しいようだ。お呼ばれされるといつも慌てて身支度を整え、いそいそと出かけていく。
――が、しかし。
「どう思う、スファル」
「ど、どう……!?」
公爵子息ユーグリーク=ジェルマーヌとの付き合いについて、悩みが全くないわけではない。
彼は今、幸せ絶頂期である。
何しろ運命の女性エルフェミア=ファントマジットと巡り会い、挙式秒読み状態なのだ。
本人だけでなく公爵家全体が、未来が絶望視されていた魔性の男のまさかの恋愛結婚に浮かれている。それ自体はたぶんそう悪いことではない。
だが、そこにユーグリークの私的な友人が未だ片手で数えられる数しかいない事情が加わると、多少の問題が発生する。
要するにスファルバーンは、公爵子息が婚約者大好き過ぎによる暴走を起こす場合、自然とその犠牲になりがちなのである。
「スファル。このエルフェミアルームをどう思う」
「エルフェミアルーム」
場所は公爵邸、とある一室にて。
漠然とした問いに硬直したままだったスファルバーンは、今一度ユーグリークに問われ、おうむ返しに言葉を繰り返した。
部屋名に対する衝撃のあまり、吃音癖まで引っ込んだようだ。
(エルフェミアルームって、何)
当然の疑問である。内装や字面からすれば、どういう部屋なのか想像は難しくない。
が、その命名はどうなのかとか、なんで従妹の部屋に対する感想を自分が求められているのかとか、色々心の中で思うことが浮かんでは消えていく。
こういうときはまず深呼吸である。
スファルバーンは息を吸って吐いた。
そしてひとまず、認識の確認から始めることにした。
「え、ええと……つまり、エ、エルフェミアが、すす過ごす予定の、部屋、ですか……?」
「うん。正直に言ってくれ」
「しょ、正直に……とは……?」
「エルマはこの部屋を気に入ってくれると思うか?」
彼はちょっと重たくなってきた気がする胃の辺りにそっと手を添え、震える声をなおも絞り出す。
「な、な、なぜ、そ、そのようなことを、じじじ、自分に――」
「君は従弟じゃないか。エルマと似てる所が多い。それに他人の秘密を守る人間だ」
「か、閣下のなさることであれば、エ、エルフェミアがわ、悪く受け止めることは、な、ないか、と……」
「それが問題だ。エルマの奥ゆかしい所も可愛いが、不満を感じていてもなかなか言ってくれないこともある。だからエルマにお披露目する前に君を呼んだ」
答えにくい恋愛相談への必殺切り札「好きな相手のすることなら大体なんでも喜ぶと思うよ」を切るも、向上心の高い魔性の男には通用しなかったようだ。
スファルバーンの冷や汗は増えていく一方である。
ぽん、と覆面の男は優しく友人の肩を叩いた。
「スファル。確かに俺の対人スキルは低い。周りからも言われるし、俺自身自覚がある。でも君がさっきこの部屋に入った瞬間一瞬怯んだのは、見逃さなかったつもりだぞ」
魔性の男は基本鈍い男だが、婚約者が絡むと異様な鋭さを発揮することがある。そして大貴族らしく、人に言うことを聞かせるのに慣れていた。
「率直に忌憚のない意見を聞かせてくれ。別に趣味が悪いと言われても怒らないから。というか、むしろそうなら指摘してほしいんだ」
己の会話スキルでは適当にごまかすことが不可能だと悟ったスファルバーンは、今一度大きく息を吸って吐く。
(ジェルマーヌ閣下のため、あとエルフェミアのため……!)
己のことだといまいち頑張れない青年は、他人のためなら無茶ぶりでも乗り越える勇気を振り絞ることができた。
「……あの」
「うん。どこが良くない?」
「よ……良くない、わけでは、ななない、ですが……その。む、む……紫色、だったので」
そう。部屋の第一感想を述べるなら「紫色」である。調度品のあれこれがすみれ色カラーで統一されている。
確かに、エルフェミアは固有魔法加護戻しを継承しており、その力を使う時と感情が特に高ぶった時、瞳の色がすみれ色になるという体質の持ち主である。すみれ色は彼女のイメージカラーの一つだ。彼女が勝負服と気に入っているドレスの色も、瞳と同じすみれ色カラーである。
――が、しかし。
「そうだ、エルマの色だ」
「あ、あの……エ、エ、エルフェミアは、べべべ別に……む、紫色に囲まれたい、わ、わけでは、ない、よう、な……」
「お気に入りのドレスは紫色なのに?」
「じ、自分で決めるのと、た、他人からこうとき、決められるのは、ちち違う、ような……。そそその、エ、エルフェミアに、部屋の色のこ、好みを、聞き、ました、か……?」
「聞いてない。驚きと喜びをプレゼントしたくて」
「ま、前の部屋は、こ、ここまで紫色、でででした、か……?」
「いや。普通の内装だった」
「普通で……ふ、普通でいいと、お、思います……!」
心の中の従妹も力強く頷いている。
まあそんな彼女だからあれこれ飾り立てたいという男心も理解できなくはないのだが、この部屋のエルマカラー偏重っぷりはちょっと本人にも不評だと思う。
「そうか……普通でいいのか……そうか……」
「し、自然な色合いで、よよ用意して……慣れてきたら、ほ、本人に変えてもらったら、い、いいのでは……エ、エルフェミアルーム、なんですし……」
「そうだな。部屋はずっと使うものだ、サプライズより相談してからの方がいいか……」
スファルバーンはほっと胸をなで下ろした。
ユーグリークはエルフェミア愛が過剰過ぎるだけで、話のできない男ではないのだ。エルフェミア愛がどこに向かうか読めない時は、対話に慎重にならざるを得ないのだが。
ともあれ、彼は無事この高難易度ミッションを乗り越え、世界の平和を守った。
――そして後日ことの顛末が従妹に明らかになると、「紫カラー寝室を阻止してくれてありがとう……!」と大いに感謝されることになるのだった。
近々第三部開始を予定しています。
楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。