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閑話 子爵家の真実

 それは幼子が天馬に乗って空を駆け、エルマと手を振り合っていた――そんなわずかの間のことである。


 青くなったり赤くなったりしながら空のルビーニアを見守っている子爵の肩に、エルマの伯父――ファントマジット家当主がポンと手を置いた。魔法伯は、他の人には聞こえないぐらいの声量で、客人に語りかける。


「――可愛い子ですね。思慮深くて、我慢強くて……貴方によく似ている」


 魔法伯は子爵の傍らに佇み、ゆったりと空を駆ける天馬を見つめている。傍目には、客人と話しているようには見えない。子爵ははっと息を呑み、そして恥じ入るように顔を伏せた。


「……スファルバーン君から、何か聞きましたか?」

「いいえ。ただ、見ていればわかります」


 子爵はそっと周囲を見回す。エルマもスファルバーンも空に夢中で、男達の方には注目していない。少し羨ましそうに空を見上げている魔法伯子息に目をとめ、客人は小さく、消え入りそうな声で呟いた。


「貴方はきっと、素晴らしい父親なのでしょう。珍魚展で、ご子息は私に、ペンダントが開けられなくなってルビーニアが困っていることを教えてくれた。それから帰り際、貴方へのお土産を探していて……とても楽しそうに選んでいた。だから私はつい、零してしまったのです」


『君と同じ男の子だったなら、私もルビーニアに、もっと親らしい振る舞いができるのだろうか』


「……おそらく、そこで気がついたのでしょうね。あの子が私の、本当の娘なのだと」


 頭上では苺色の髪の少女が、相変わらずはしゃぎ声を上げていた。半日ほど前までは、ずっと隣の大人の顔色を窺い、俯いてばかりだった子が、心の底から喜びの声を上げている。子爵はその様子に、目を細めた。


「私もすぐ失言に気がついたが、出てしまった言葉は戻らない……勘の鋭い若者だ。お父上に似たのでしょう」

「素知らぬふりを通せれば良かったのですが、不器用者でして……それが長所でもあり、短所でもある。それに、私も全く、素晴らしい親なんかではない。現に長男には、愛想を尽かされ家出されています」


 客人が驚いた顔になり、魔法伯は苦笑した。


「次男も、ああして自由に振る舞えるようになったのは本当につい最近のこと……それも他人の助力を得ての結果です。私だけでは、どうにもできなかった」

「本当に? 伯は人格者とお聞きしています。息子さんも立派だと……」

「ええ、ベレルはしっかりした子だ。なのに……あれほどの怒りを抱えていたことを、のんきな私は知りもしなかった。可哀想なことをしました。いや……こんな風に言ってしまうことが、彼を侮っている何よりの証拠なのかもしれない。結局私は今でも、何故あの子が憤っているのか、はっきりとはわからずにいるのですから」

「伯のような方でも、それほどに子育ては難しいと?」

「子どもにはいつも学ばせてもらってばかりです。うまくいかないことだらけですよ。ただ、二人ともなんとか、概ね健康に育ってくれた。それだけは、親の仕事を果たせたと言えるのかもしれません」


 伯が言葉を切ると、ルビーニアのはしゃぎ声だけが響く。子爵は自らの足下に目を落とし、ぐっと拳を握りしめた。


「八年前――妻が病魔に冒された。私よりずっと、分別があって、賢くて、尊敬できる人で……でも、変わってしまった。毎日毎日、罵声を聞かされ……暴力もあった。私は疲れ果てて……ある時、メイドの一人に安らぎを求めました。妻が死ぬと、彼女は辞職して出て行った。……それで終わるはずだった」


 魔法伯は子爵の方を向こうとはしない。けれど耳を傾けてはいた。


「半年前、偶然、彼女と再会しました。一度は実家に戻ったが、父なし子を産んで……追い出されたらしい。娼婦になっていた」

「貴方を頼ろうとは?」

「思わなかったそうだ。……嫌がるだろうと思った、と。実際、否定できなかった。少なくとも……喜べなかった。実は娘がいた、だなんて……」

「……難しかったでしょうね」

「だが、知った以上は、あんな所に置いてなんかおけない。彼女もこのままでは、未来がないことがわかっていたのだろう。ルビーニアを家に迎えることに同意した。だから……」

「昔、贈った覚えのあるペンダントを見て、裏切られたような気持ちになりましたか?」

「いいえ。恐れたのです。中に私と彼女の絵が入っていると思って、発覚を。特に私の母には、なんとしても知られたくなかった。口の軽い人ですから」


 ゆっくりと、天馬が高度を下げ始めた。エルマとスファルバーンは、軌道を見守ってから、着地地点に迎えに行くつもりらしい。


 恐ろしい真実を告白した子爵は、けれどどこかすっきりしたような面持ちでもあった。

 動けずにいる彼の横で、屋敷の主人が咳払いをする。


「卿。差し出がましいことを申し上げるが……実感がなくとも、貴方は確かにあの子の父親ですよ。もう既に、そうなっている」


 そこでようやく、ファントマジット家の当主は客人の方に体を向けた。慈愛のこもった微笑みを浮かべている。


「お気付きでなかったのですか? 先ほど貴方は、閣下への無礼の前に、我が子の身を案じたのです。危ないからやめなさい、と叱ったのですよ。どの言葉よりも先に、そう言っていた」


 子爵は最初、何を言われているのかわからないようだった。やがて困惑が驚愕に変わる。

 魔法伯は彼に歩み寄り、もう一度肩を叩いた。


「行ってあげてください。貴方は自分が思っているよりずっと、あの子と生きる準備ができている」


 フラフラと歩み出す父親の背中を、もう一人の父は優しく見送る。


 幼子は行儀良くお礼を言って、ユーグリークに天馬から下ろしてもらっていた。彼女の脚が地面についた瞬間、ほっと子爵の体から力が抜ける。


「と、父さん……どうかした?」


 ずっと突っ立っているままの父を不審に思ったのか、スファルバーンが様子を見に来たようだ。

 魔法伯は何でもないよ、と返そうとして、ふと気が変わり、息子の頭に向かって手を伸ばす。


「わっ……な、何!?」

「スファル。お前、大きくなったなあ」


 背を丸めていることが多い次男だが、しゃんと伸ばせば父を既に越えていた。


 ――体の弱い弟は、成人しても冬には咳が止まらなかった。情熱だけで家を出て行ったが、数年後に血を吐いて死んだ。


 スファルバーンは弟によく似ていた。小さな頃は咳が絶えず、熱もよく出した。

 勉強も、運動も、人並みにできることがなくたって構わない。ただ、生きてさえいてくれれば。そう願って育てた。

 親の心配に反し、スファルバーンは年を経るごとに風邪を引かなくなり、成人する頃には普通の若者になっていた。喜ばしいことのはずだった。


(……だが私には、この子がずっと病弱な子どものままに見えていた。いつの間にか、私の背を追い越していたことも、知らず……)


 ぐしゃぐしゃと頭を撫で回すと、抗議らしい唸り声が聞こえる。

 思う存分息子に愛情表現をしてから、さて、と魔法伯は真面目な顔になった。


「ああして余所に発破を掛けたのなら、我が家のけじめもつけないとな」


 胡乱な目を向けてくる息子に笑いを返し、ファントマジット家の当主は夕日の中を歩き出した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ…… 前回のラストでひとつ誤解してたのは、ロケットの絵姿を確認して確証を得ようとしてたのかと思ってたのですが、なるほどこの理由ならすべての行動の理由が通る。非常に納得しました。 魔法伯…
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