1.妹と役立たず
「ひどいわ姉さま! あたしはラティーが食べたいって言ったのに!」
妹はいつも通りかんしゃくを起こした。
買ってきた果物が床に散らばって、姉――エルマの足下が汚れる。
「申し訳ございません、キャロリンさま。でも、この時期にラティーは買えません。だから代わりにブルードゥを――」
「姉さまはあたしを飢え死にさせる気なのね!」
わあっと大声で泣きわめかれ、エルマはおろおろした。
(キャロリンさまはもう晩ご飯を食べた後だから、デザートがなくても、大丈夫だと思うけれど……)
エルマの妹はわがままで気まぐれだ。
先週は「ブルードゥが食べられないなら家出する!」と暴れ、エルマに怪我をさせた。
今日は風で体を切り裂かれる前に買い物に行ったが、ラティーは夏の高級品だ。
秋も深まるこの季節、その辺りの市場で見つけられるわけがない。
しかし、ほしいときにほしいものが与えられなければ納得しない妹は泣き続ける。
まもなくバタンと、勢いよく扉が開いた。よろよろとふらつきながら歩み寄ってきた赤ら顔の男は、姉妹の父親だ。酒臭い息を吐いて、妹にだらしない表情を向けた。
「おお、かわいいキャロ。どうしたのだ?」
「パパ! 姉さまがあたしにいじわるをするの!」
「なんだと! お前、またキャロを泣かせて、この性悪の役立たずめが! おまけに床まで汚して!」
姉をにらみつけた父は、いつでも妹の味方だ。酒瓶を握った手を振り上げられて、エルマは体を小さくする。
「申し訳、ございません。あの……探し回ったけど、ラティーは季節が違うから、どこにも置いていなかったんです。それに、たとえ売っていたとしても、高すぎてとても買えな――」
「言い訳をするなっ! キャロがほしいと言えば何が何でも手に入れてくる、金がなければ頭を使え! 大体、今日のお前は帰ってくるのが遅すぎた。この屋敷の掃除も終わっていないのに、常識というものがないのか!? 姉としての自覚は、いつになったら芽生えるんだ!!」
「も、申し訳ございません……。でも――」
「聞き苦しいだけの言い訳など聞きたくない! まずは家族に、誠意を見せるべきだろうが!!」
振り回された酒瓶が顔をかすめ、エルマはすくみ上がった。
こわばる体を動かして両手をつき、いまだ残骸が飛び散ったままの床に額をこすりつけた。
「キャロリンさま、ゼーデンさま……この度は愚鈍でのろまなわたしがご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした……」
「ふん、役立たずめが。お情けで家に置いてやっているのに、立場というものがわかっていない。今日はラティーが見つかるまで、帰ってこなくていい! 金が足りないとかいう言い訳も聞きたくない、なんとかしろ! わかったらうちを出て行け! 今すぐにだ!!」
両手で顔を覆ったままの妹が、姉の醜態にくすくすと笑い声をもらしている。
これがエルマ=タルコーザの日常だった。
タルコーザ一家は、父と姉妹で構成されている。
ゼーデン=タルコーザは、妹のキャロリン=タルコーザを溺愛している。
プラチナブロンドの髪に、空色の目。鈴が転がるような声。
天使のように愛らしく美しい彼女の手は、常に真っ白に保たれていた。おまけに風の魔法の才能もある。
最近、借金してまで王都の屋敷に引っ越したのも、キャロリンを社交界にデビューさせ、良いところの男に嫁がせるためだ。
父は昔からこう言っていた。
自分たちは貴族だ。
キャロリンに魔法が使えることがその証拠。
それなのに、長女のエルマが全部台なしにした。
エルマが平凡に生まれたから、一家は本来の居場所を追い出された。
母が早死にしたのも、エルマが無能だったせい。
エルマの容姿はさほど目立つものではなく、もちろん魔法の才能もない。
できそこないの役立たずは、家族に誠心誠意つぐない続ける必要がある。
エルマは二人をさまづけで呼び、敬わなければならない。
エルマは二人の言いつけを何でも守り、もし破った場合は、二人が満足するまでおしおきを受けなければならない。
それがタルコーザ家の常識なのであった。
エルマはあの後もガミガミ言われながら、散らばった部屋を片付けた。
二人の就寝支度まで整えると、もう用はないとばかりに家を追い出された。
すっかり外は暗く、つぎはぎだらけのぼろ服にすきま風が染みる。
(探しても、どうせラティーはどこにもない。今夜、寒さをしのげる場所を考えないと……)
こうやって夜中に放り出されるのは、今回が初めてではない。
以前は寝場所を確保するために、橋の下までとぼとぼ歩いて行く必要があった。
幸いなことに、引っ越し先は広い庭つきの屋敷だ。
建物は大分古いが、ゼーデンとキャロリンの過ごす場所は、昼間エルマがピカピカに磨いてある。
(これだけ広いお屋敷なら、敷地内でどこか寝られそうな場所……そういえば庭に、あずまやがあったような)
生い茂った雑草の中を歩き出そうとしたエルマだが、止まったまま耳を澄ませ、顔をこわばらせる。
(……気のせいじゃない。だれか来る!)
一家が引っ越してくるまで、ここは幽霊屋敷だったと聞く。
肝試しの子どもたちでも押しかけてきたのだろうか。いや、ならず者の寝床になっていたとしたら。
(でも、父もキャロももう寝てしまっているし、どうしたら――!)
迷っている間に、すぐそこまで気配が近づいてきている。
エルマは咄嗟に、木の後ろに身を隠した。
こっそり様子を窺っていると、侵入者は二人のようだ。
片方は腰に剣を下げた黒髪の男性。身なりなどから、騎士なのではないか? とエルマは推測した。
もう片方は、背の高さや体格から、こちらも男性ではないかと思う。どうやら頭にかぶり物――覆面をしているようで、道を照らすためなのだろう、灯りを片手に持っていた。
「呼び出しの用件はわかっているな?」
「いや」
騎士が口を開くと、覆面の人物は短く応じた。
やはり男だったようだ。低くかすれて引っかかるような声は、けして聞き取りやすいしゃべり方ではないのに耳に残る。
エルマの視線は、自然と覆面に引き寄せられた。
「とぼけるのか! ミリアをたぶらかしておいて、心当たりがないだと!?」
「……たぶらかした?」
「そうだ! この“魔性”めが!」
顔を隠している男は淡々とした口調だが、騎士の方は既に随分感情を高ぶらせているらしい。
声の荒げ方や体の揺らし方が、どこか父ゼーデンを連想させ、エルマの心臓をしめつけた。
(もしかしてあの人、酔っ払っているのでは……)
よくない雰囲気だ。このまま立ち聞きはまずいが、気がつかれずに立ち去るのも難しそうだ。かといって、今出て行ってもエルマにできることはない。
(お願い……何事もなく帰って……)
「おれは三日前、ミリアと約束をしていた。それなのに、迎えに行ったら、彼女はあんたといた。布を被った騎士なんか、あんたしかいない。見間違えるもんか!」
「確かに数日前、女性と会話した記憶はある。だがそれ以上の事は何も起きていない。……君の恋人が、私に誘惑されたと言ったのか?」
「うるさい! そんなの知るか! 苦労してようやく、初めてのデートだったはずなのに。あんな笑顔、他の男に向けてるところ見せられて、まともに話なんか――全部、あんたが悪いんだあっ!!」
騎士はいきなり剣を引き抜くと、覆面の人物に斬りかかった。
エルマは口を押さえて悲鳴を我慢し、ぎゅっと目を閉じる。
引き裂くような音が耳に痛い。
「は、はなせえっ!」
が、聞こえてきた悲鳴は、どうやら騎士のものだ。
震えながらまぶたを開いて、エルマは更に驚く。
どうしたことか、襲いかかったはずの方が地面に倒れ伏し、腕をねじり上げられて押さえ込まれていた。
膝で彼の背中を押してしっかり相手を確保しているのは、見事な銀髪の人物だ。
「みだりに剣を抜くな、愚か者」
一拍ほど遅れてはらりと顔から落ちた布の残骸と、先ほど聞いた印象的な低い声で、エルマは状況を察した。
この銀髪の男は、先ほどの覆面と同じ人だ。
破れるような音は、彼の被っていた覆面が立てたものだったらしい。
吸い寄せられる視線のままに観察すれば、その男は寒気を覚えるほど、おそろしく整った見目をしていた。
顔だけではなく、体のどこもかしこもが、計算し尽くされたように均整が取れているようだ。
「事情によっては、制裁を受けることも覚悟していたが。逆恨みまでわざわざ背負ってやるつもりはない。ミリアという人と何も起きていないし、そもそも相手を知らない。君は私をどうこうする前に、まず彼女と話をするべきだと思うが」
麗しい男が冷ややかに言葉を連ねれば、騎士は見苦しくもがくのをやめた。
相手が力を抜いたのを確認してから、銀髪の男は静かに体を離す。それから数歩下がり、くるりと背を向けた。
「今日、私は何も見なかったし、聞かなかった。だから君も、振り返らずにそのまま帰れ。“魔性”の虜になんか、なりたくないだろう?」
騎士はうめきながら立ち上がり、落とした剣を拾いに行った。
先ほどの乱闘で力量の差を痛感したのか、頭が冷えたのか。
そのままとぼとぼよろよろと、ふらつきながら去って行く。
(よかった……どちらも大きな怪我をしなくて)
エルマはほっと胸をなで下ろした。
ちょうどその、気が緩んだ瞬間、体に入っていた力が抜けてしまったせいだろうか。
すっかり忘れていた空腹の虫が、盛大に自己主張をした。
突然の物音に、ぱっと男が振り返る。
エルマと男は、互いの顔をはっきり見てしまった。
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