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暗翳の火床(アンエイのカショウ)  作者: 蒸奇都市倶楽部(シワ)
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第十七章『炉前にて邂逅』2

「すいません、ぬか喜びでした」

「ぬか喜びなのかどうか説明してくれなきゃ俺には分かんないよ」

「ご、ごもっともです――」

「仮にさ、この火が感情を持ってて、その感情が地縛霊? てのと似てるとしようよ。でもさ、それをつなぐ線ってのがまるでないよね。そもそも地縛霊なんてものを認めるところからはじめなきゃならないわけで」

「……そうです、ね」

 楓の顔が曇る。

「あ、あくまで私の感覚でしか――」

「発想と発見はなかなかよい線をいっているかと思われます。が、そこから先の結びつけかた、閃きはまだまだでございますな」


 声と乾いた拍手が二人に割って入る。


「悪くいえば未成熟、良くいえば未知数とも評せましょう。思うに探偵は――」

 炎に負けんばかりの真紅の絹で織りあげられた燕尾が熱風に揺らいでいる。

《無銘道化師》だった。

「――お嬢さんには向かない職業ですな」

 市谷が手にしていた銃をとっさ構える。

 当の道化師は炎を挟んで二人の向かいに立っており、傍らに大柄な誰かを従えている。

 自然と二人の視線がその人物に向けられる。

 ルンペン帽に煤で黒くなった(あご)(ひげ)、開襟シャツ、色あせた作業着という男の姿は市谷には小汚い浮浪者にしか映らない。

 が、楓には見覚えがある。世話になりさえした。

 瞬間、楓の脳裡で(もや)がかかっていたような記憶がにわかに鮮明になる。


「おじいさん!」

 帝都に降り立った楓に初めて話しかけた元技師ではないか。老人は顔を上げて何か意味ありげに、「とびらを」などと口ごもるが、彼女の耳には届かなかった。


「ええと、その、大丈夫、でしょうか?」

 言ってから楓はしまったと思う。

 ――大丈夫じゃないなんて見ればわかるのに。なんでこう……

 大丈夫ならばこんなところに連れ込まれているわけがない。

「うむ、別条はない」

 それでも老人がほほ笑んで返してくれるのがせめてもの救いだった。

 しかしそれを気遣われてしまったと感じてしまうのも楓である。

「道化師てめぇ、人質なんてとりやがって!」

 市谷が照準を定めかねながら叫ぶ。

 道化師に当てられるか、すぐ横に立つ老人に誤って当たらないか。

 何もなければ当てられる自信はある。

 だが彼我の()に巨人が立ちはだかっている。

 ゆらゆらと揺れる炎に空気が揺らぎ、向こう側をかすかにゆがめていた。

「道化師さんはなにがしたいのですか?」

「主賓の到着を待ちながらの暇つぶしでございます」

「はっ、まさか《軍団卿》のことじゃねえだろうな」

然様(さよう)でございます市谷様。皆様に救いを与えうる可能性を持ち、かつこの場この事件に関わりを持ちうるものといえば、かの《軍団卿》閣下をおいて(ほか)にはございません」

「それ、たぶん無駄だぜ」

 市谷が忌々しげに舌打ちする。彼が知る《軍団卿》はそんな餌に軽々と釣られるような人物ではない。あれは冷たい思考の人間だ。割り切り、損得、損益で行動を決める。坂下ならば動きはするだろうが、それを期待するのもあまりよくはない。想定は悪い方にせよ、だ。

「無駄かどうか、それはお待ちいただければわかりましょう。大人しくしていればむざむざ手は加えませぬ。ゆえにしばしのお時間をいただければ幸いに存じます。その間はあなた方とお話でもして時間を有意義に使えればとの下心もございます」

「物は言いようだな。要は時間稼ぎだろ」

 こっくりとうなずく道化師の口元が満足げにゆがむ。


「わしのせいで、すまぬの……」

 老人は肩を落とし、すっとどこかを見る。それは東部市駅の北側に広がる区画の方角で、そこでは今まさに坂下が〝誰か〟と話している最中であった。

「や! 私は大丈夫です。それよりおじいさんが」

「『わしはもう大丈夫であるよ。なんともない』」

 と老人はどこかの〝誰か〟と同じことを同時に口にする。

 それを知る由もない楓はきっと道化師をにらみつける。

「この方は何も関係ないでしょう」

「ははは、どうでございましょうか?」

 捕らえているはずの道化師が、捕らわれているはずの老人をうかがい見た。

「私が……、私が代わりになるというのではだめですか」

「なに言ってんだよ姉ちゃん!」

「お年寄りが困っているのを黙って見ているのはみっともないです」

 老人は苦手だが、だからといって嫌いというのではない。

 それに楓は好きだとか嫌いだとかで相手を選別できる人間ではない。

「みっともないから身代りになるって……、ちったぁ後先考えてくれよ」

 さすがに苛立ちまぎれに言う市谷であった。

 老人も首を横に振る。

「若い子が苦労を買って出ることはありません、ただ、あなたのその心がけはとても立派です。そう、とても輝いていらっしゃる。とても、とても……」

「ほほう、実に優れていらっしゃいますなぁ」

 老人がちらりと横を見たので、道化師も煽るように付け加えた。


「だいたいこんなもの燃やしてなにしようってんだよ」

 市谷が顎をしゃくって火柱を示す。その拍子に汗が頬を伝い落ち(あご)からしたたる。床に落ちた珠は小さな濡れ跡を作るがすぐに乾いていく。地下空間はそれほどに熱せられていた。少し息苦しく、市谷も楓も熱気にあえいでいる。

「それくらいならばわたくしが独断で語ってもよいでしょう」

 反して道化師の顎の下には汗が珠ほども浮かんでいなかった。

「この場にいるあなたがたにも聞く権利がございま――」

「道化師ぃ! 戻ってきていたのなら、な、ぜ、真っ先に、私の元へ来ない!」

 最悪だ、と市谷は頭をかかえた。

 え、と振り返った楓の目に蝙蝠(こうもり)仮面が映る。

 人形を一体だけ前に従えて、楓と市谷の背後の入口に立っていた。

「み、見なさい! 貴様がもったい、ぶるから、こいつらが逃げ、出ているではないか」

 怒り心頭の《猟奇博士》は肩で息をしていた。地上からここまで通路を一気に駆けてきたのだ。スーツの上に白衣を羽織り、さらに仮面までつけていてはさぞ蒸し暑かろう。

「今すぐにでも炉にくべてやる! くべてやる! お、……お前らをぉ!」

 肩をわなわなと震わせながら、瞳に強い怒りを宿している。

「《猟奇博士》閣下、どうか心安くなさってくださいませ」

「大体お前――」

 言いかけた博士に道化師がさっと手をかざして、口元に嘲笑を浮かべながら言葉を被せる。

「ちょうどよく現れてくださったので助かりましてございます」

「なにを言っ――」

「今からわたくし、こちらのお客人方に〈地下炉〉の説明を行おうと思っていたのでございました。しかしこれはわたくしよりも、主幹たる《猟奇博士》閣下手ずからお説きになったほうがお嬢さん方にとってもよろしうございましょう」

 畳みかける声も勢いも、口が達者な道化師に分があった。

「う、うむ……、それは一理も二理も道理もある」

 一瞬で乗せられた猟奇博士はうなずいて、いかにも大儀そうに「それでは……、おっほん」と威厳ぶった咳払いをする。まだまだ呼吸は荒っぽい。

「いいでしょう。聞かせてあげましょう。講じてあげましょう。この〈地下炉〉――正式には『猟奇式地下巨大燃焼機構』についてのあれこれを」


 ――人質のじいさんを助けるか、すぐ後ろのこいつを撃つか

 道化師に向かって構えた銃を《猟奇博士》に向け直すかどうか、市谷は判断に迷っていた。盾のように博士の前に控える人形を一発か二発で倒せないと返り討ちに合ってしまう。博士を撃った後の道化師がどう動くかも読めない。

「ところでお前たちは帝都中に張りめぐらされた暖房蒸気管を知っているか?」

「ち、地下に埋められているという暖房用の蒸気を通す管ですよね」

 博士の急な問いに楓がつられて答える。

 ――楓姉ちゃん、いまはそれどころじゃねぇっての!

「その通り! 排出蒸気を用いた帝都の暖房施設です」

 満足げに猟奇博士がうなずく。

 それを見た市谷は、

 ――いや、待てよ!

 と思いなおし、

「そ、それくらい帝都育ちの俺だって知ってらぁ! あれがなきゃ家無(やな)しは凍死しちまうんだ。まともに冬を越せねぇじゃないか」

 博士の話に口を出す。相手はいかにも何かを語りたそうにしている。それに乗じてうまく時間を稼げれば坂下が駆けつけてくれる可能性もある。そうでなくても、相手の気を逸らせば付け入る隙が生まれるはずだ。

 ――そうだよね楓姉ちゃん!

 と市谷が楓に目顔を向けると、彼女はきょとんとしていた。頭に疑問符が浮かんでいる。表情こそ違えど、市谷の同僚である小鳥遊もよくそんな態度を示す。

 ――意図してやったんじゃないのかよ!

 天然な楓に内心がっくり肩を落とすがもちろん顔には出さず、博士の話を引き伸ばさせるためさらに口を開く。

「気送管とか機関情報網とかと一緒に埋まってる帝都の重要な設備だろ」

「正解だ。ところが聞いて驚け! この『猟奇式地下巨大燃焼機構』こと《地下炉》はその暖房蒸気管をはるかに上回る放熱機構なのである!」

《猟奇博士》は二人のやり取りなど気付かず続けた。


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