第十六章『並走する者たち』7
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「行方不明だと?」
「はっ、寺町通第八区画一番から七番まで、どの地点でも合流できませんでした」
部下の報告に射扇捜査官は眉をひそめて不快感をあらわにした。
現地から大慌てで戻ってきた交代要員が「本当です」と訴える。
日進をはじめとした班員五人が交代時間になっても現れないというのである。
射扇班は〈結社〉の拠点がありそうな区画の捜索にあたっていた。
もしかすると彼らは人形に遭遇、最悪の場合そのまま消された可能性もある。
――深入りさせすぎたか。まさか先走って突入していないとは思いたいが……
調査を命じていた部下が五人も姿を消したとあっては、任じた射扇の責任問題となる。特高内部は過酷な競争社会だ。経歴に微瑕でもあろうものなら出世の道からたちまち除けられてしまう。そういう業界事情はあるにせよ、射扇自身は出世の道を往くのにさほど熱心な人間ではない。
それより大事な部下がどうなったかが気がかりである。
――やはりあの南海楓という女が〈黄金の幻影の結社〉に与しているのか?
東部市駅に情報収集に出ていた部下が少し前に持ち帰った証言を思い出す。
店じまいの準備をしているイノダコーヒー東部市駅店へ向かわせ、急いで情報を集めさせた。楓に応対した給仕係はまだ仕事をしており、首尾よく当人から証言を得られた。のであるが、その報告は射扇を驚かせた。『南海楓の身辺に問題なし』との聴取結果を再考させるに十分な内容であったからだ。
――南海楓は確かにその店を訪れている。だが……
イノダのコーヒーに憧れて入社したという給仕係は、
「ええ、女性の方です。そうです。大柄な外套に着られたような小柄な女性です」
と楓のことを覚えていた。だが、
「その人と……、あれ……、誰だったかしら」
南海楓に同伴したと思われる者――調書には彼女の言葉で『駅で知り合った方』と記されている――を覚えていなかったのだ。
「そのお客様はお一人ではなかった、と思うのですが」
「本当に二人だったのですか」
念を押して聞く捜査官に給仕係は歯切れ悪く、
「ええ、だった、と思います。そう、確か紅茶のおすすめとサンサスタのエスプレッソを注文したの。一人で紅茶と珈琲を一杯ずつ頼むなんて珍しいから、そうだったのならきっと記憶しています。でもそれを覚えていないのだから、二人だった、とは思うのですが……」
注文伝票にも目を通させてもらったが、給仕係が記憶している注文に間違いはなかった。
その彼女が楓は一人だったはずだと言う。
彼女は注文を運んでいった際、楓が顔をしかめていたことまで覚えていた。
「その人、帝都の外から来たんだな、と思ったんですよ。きっと煤煙に慣れてないから顔をしかめるんだな、って」
と、そこまで記憶していながら、なぜ連れ合いがいたのかどうかだけは覚えていないのか。
当の給仕自身も記憶の曖昧さに気味が悪そうにしだす始末で、
「だいたいその日に来た客、ああいや、お客様のお顔は寝るまでは覚えてるものなんだけど……」
なお困惑しながらそう言うのだった。
他の従業員にも聞いたが、女給が嘘をついている疑いは持たれなかった。
本当にそこだけ記憶が曖昧になっているらしい。
さらには清算係までおかしなことを証言しだす。
「いえね、そのお客様が『お勘定は連れ合いの方にしていただきます』と言って先に出たのは覚えているんですよ。でも、その連れ合いの方が清算した覚えがないんです。でも、確かに清算伝票と共に代金がきっちり置かれていますし、集計しても誤差がない。もちろん店に被害は出ていませんので……」
と一応は警察である特高に言いにくそうに話す。
楓は店に入ったと証言しており、給仕の発言もそれを証明している。
しかし駅で出会った人間と店に入ったと言っていた楓の話は、給仕の証言からでは疑わしくなる。清算係の証言も楓が言う知り合った人の存在を曖昧なものにしている。
果たして本当に誰かといたのか。
該当する時間帯に駅にいた通行人にも広く話を聞かなければならないが、夜が明けないと厳しいし、そもそもその時間帯に駅に居合わせた通行人を探すのに大きな手間を割かれる。
――南海楓の相手をしたのは誰なんだ
彼女の言葉を信じるのならば、かなりの高齢者だと推測される。帝國のことや戦前のことを語れる者はすでに例外なく老境にさしかっているからだ。
さらに彼女の言を信じるのならば、この人間は楓に路地裏を歩く経路を教えたという。すなわち特高が張っている網にかかるように示唆したとも取れるのである。
――この者が〈結社〉の人間である可能性を追っておくべきだった
射扇は己を恥じる。話を聞いている最中は人形と彼女――捜査員が張り込んでいた場にむざむざ現れて、その尻尾をつかめそうな機会をふいにした――との関係から、その失敗の収拾に躍起になって冷静に判断できていなかったのだ。
楓がわざわざ路地裏の、それも人形の通る道を通りかかったのは、その道を教えられたからである。これは帝都の土地勘がまったくない楓にだからこそ使える手だ。帝都を知っている者は好んでそんな路地裏を歩かない。
そう考え合わせると、楓に道を教えた者が怪しくなってくる。
もっとも、そんなに都合よく人形の出現にあわせて楓を向かわせられるか、という疑問もある。
――それに、特高への妨害のためだけにわざわざ外国人に接触を図るだろうか?
噛みあわない、妙なじれったさがあった。
もう一度本人から詳しく話を聞く必要がある。
ところが件の楓は坂上探偵と警察署を出た後の足取りが途絶えてしまっていた。御山ビルの〈全弌巫機構〉帝都支部に彼女が戻った様子はなく、かくまわれているわけでもなさそうだ。
再び令状を取って今度は荷物から探るという手もあるが、組織の支部長を相手に乱暴な手は何度も使えない。
――ここはいっそ銀嶺支部長に疑いを打ち明けて、南海楓を説いてもらうか? いや、もっと材料を集めなければ。疑いだけでは銀嶺支部長を説得できない。それにいずれにしても肝心の南海楓本人がいなければ手詰まりだ
もともと射扇捜査官は慎重である。南海楓を被疑者だとみなし、令状による取り調べを強硬に訴えたのは日進だ。その彼も姿を消したと部下の報告があったばかりであった。
それに加えて坂下や市谷もどこへ行ったのか。
神楽坂和巳に問い合わせても、坂下は別件で捜査中だからいないと突き返された。むろん別件の捜査についても聞いてみた。が、冷え冷えするような声で「そのことは特高には関係ない」と告げられると、彼女が苦手な射扇には取り付く島もないのだった。
「あの、どうしましょうか班長」
長く黙考していた射扇に、部下がおずおずと尋ねる。日進の一期下だ。
求められて、射扇は左右無く(*48)決断する。
「これより追加調査を行い、その後に本部に応援を求めるか判断したい。各捜査官は念のため防弾着をつけておいてくれ。追加武装として班に散弾銃二丁の携行を許可する」
(*48)左右無く:左右無し。あれこれ考えない。簡単である。どちらでもない。




