第十四章『暗き翳りへ』4
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たいまつの炎が風に揺れる。進む先から風が吹いているようだ。
先へ進むたびに、轟音とほとばしるような光が薄れていき、七つ目の角を右に曲がるころにはすっかり静かになっていた。
こっちが地上に続いていたのか、と日進は舌打ちする。
七回目の右折を果たすと通路は急な上りになっていた。しかしいまさら引き返すのも、偉そうに言い置いて出てきた彼の面子の上で都合が悪い。行けるところまで行くしかないと先へ進む。水平距離にして、大よそこれまでの通路と同じくらい進んだところで八つ目の角が見えてくる。勾配はその手前で終わっている。
行き当たりとなる通路の壁はこれまでとは大きく異なっていた。
それを間近で確認する前にしなければならないことがある。
角にさしかかった日進は、曲がった先から見えるようにたいまつを突き出す。曲がった先に誰かがいるとして、角からたいまつがにゅっと突き出すのを見たらどう対応するだろうか。おそらく確認のためにこちらに向かってくるだろう。
そうやって確認に顔を出した相手めがけて、壁沿いに待ち伏せた日進が銃床で一撃を食らわす、あるいは一発ぶっ放す。そういう作戦だった。
もっともここまでその方法で倒すべき相手とは一人も遭遇していなかった。
息をひそめ、全神経を集中させてしばらく待つ。
反応はない。
誰もいないのを慎重に確認し、八つ目の角を曲がりきると地下からの通路は途絶え、四角く広い階層に出た。
だだっ広いばかりで、なにひとつないがらんどうの空間だ。
一切が引き払われて空き室になった階層のようであるが、この大部屋はそうした普通の状態にとどまりきらない異様な状態に置かれていた。
というのも階層の中央には、床にも天井にも大きな穴が開いていたからだ。何か巨大なものが部屋の中央を突き破っていったような錯覚さえ受ける。
下の穴からは下水が詰まったような音が聞こえ、そのたびに何かがちらちらと、熱風を伴って駆けあがってくる。通路ではほとんど消えかけていた轟音と光が、ここに来てまた勢力を吹き返したようであった。
――こちらが当たりとはな……、見るべきものは多そうだ
すぐ穴のそばに駆け寄って確認したい興奮をおさえ、日進は慎重な足取りで通路から一歩を踏み出す。振り仰ぐと、ビル側の内壁となる煉瓦が荒々しく打ち砕かれて、今まで彼が歩いてきた通路に通じている。おそらくはビルの天井と床面を破砕し、結社の潜む地下通路に接続させたのだろう。
ビルの一角には扉がある。しかしその表面は鉄板で覆われており、肝心の取っ手も錠前で厳重に封印されている。日進は周囲に人形がないかよく確認してから、少し距離を置いて扉に拳銃を撃つ。すぐに近寄って鉄板と錠前を確認するが、
――びくともしてないな……
ここから外へは出られそうもない。
他の窓枠らしき部分も全て鋼板で塞がれていた。扉と同じで堅牢だろう。
――しかしこの窓と戸の形状……、やはりあの廃ビルと見ていいだろう
彼は少し前まで同じ班の者と共に、入り口に仰々しい封印が施されたビルを調べていたのだ。その時にどこからともなく人形が現れて襲われ、どこをどうしたのか地下へ担ぎこまれてここにいたっている、
――そうした状況から考えると
いま日進が立っているのは、襲われる直前まで調べていたビルの内側なのだろう。入り口はおろか、出入りできそうな穴という穴の全てを鋼板によってふさがれていたビルは、ものものしいまでに立ち入りを拒否する意志を放っていた。それを内側から見るのは不思議な感慨を催させる。
――俺たちは正解までたどり着いていた
自らを鼓舞しようとするも、日進はすぐに舌打ちした。
疑惑は確証に変わったが、それを外へ伝えられなければ意味はない。
払った犠牲も少なくはない。
――俺だけが生き残ったことに意味はあるのか?
班員の断末魔と命がちぎれる音がいまも耳にこびりついていた。そのため日進はいつになく、つい暗い考えをいだいてしまう。しかしすぐに持ち前の傲岸さで、いや、と無理に振り払って、
――あの二人がここに着いていたとしても、おいそれとは出られなかったわけだ。しかし博士がこちらに向かったということは、奴は錠前を開けて外へ出たのか? それとももっと上に潜んでいるのか
ここまでに分岐はなかった。
疑問を一旦置いて探索を続ける。
部屋の中央、穴に近づいていくと音と熱が強く迫った。
さらに進んでそっと中をうかがおうとした日進であるが、穴からあふれ出んとしている皮膚を焼くような猛烈な熱気と、とどろく轟音のすさまじさに、四尺より内へは寄れなかった。それでも少し背伸びして内部をうかがうと、炎と熱気がすぐ下まで噴き上がってきているのが確認できる。
轟々と盛る火勢は、ちょっとやそっとの散水では鎮火しきれないだろう。
それが〈地下炉〉という言葉と結びつくのはすぐだった。
――これが炉の正体か。燃やしているものはおそらく連中が確保した死体だろう
牢屋に転がっていた、水分が抜き取られた同僚の遺骸を思い浮かべる。乾燥させていたのは検死からめどがついている。おそらくは燃えやすいようにしているのだろう。
だが、地下から地上まで届くような火力を用いて遺体を燃やし、何をしたいのか。
〈地下炉〉にて何をする気なのか。
連中の目的など日進には皆目見当がつかない。
それでも彼は炎を見つめながら、予測のできない答えを探ろうとする。
穿鑿(*43)された床の下で、ちらちらと妖しげな焔が揺れて輝く。
いつかこの炎がビルをも包み込こんで燃え盛り、それだけでは飽き足らず帝都中を舐め尽くすのではないか。それはやがて悪性の炎となり、世界の全てを蹂躙していく。特高の努力も灰燼に帰そうとする。いままさに炎の巨人が手を伸ばし、地底から起き上がろうとしている。
ふと日進の脳裡にこんな想像が駆けめぐった。
特高にあるまじき予断だ。
日進はかぶりを振って妄想を打ち消そうと務める。
だが、彼はすでに炎の大きな力にとらえられていた。
物が燃える。
燃焼。
それは帝都のどこででも、四六時中発生しつづけている現象だ。あらゆるものが蒸気機関に支えられる現代において、燃焼を欠かすことは都市機能の停止を意味する。
物を燃やすため石炭をくべ、薪をくべ、悪魔は人をくべる。
文明は、人は、果たして燃焼を制御できているだろうか……。
かちきん、かちきん、かちきん
耳にした瞬間、慌てて振り返る日進であったが、組み合わされた両拳がすでに振り下ろされていた。振り向きぎわの側頭部に重い一撃が命中する。膝をつき、たいまつをとり落としてしまう。
が、銃だけはしっかりと握ったまま離さなかった。
いつの間にか背後に立っていた人形が、日進の背にすかさず次の一撃を加える。
続けざまの痛みをこらえながら日進は前に飛び出す。人形の腹部に頭突きを食らわせてそのまま押し倒そうとするも、押しきれず逆に腰を掴まれてしまう。
直後、手に持つ銃を至近から三発、ためらいなく放つ。
腰に回された手が緩んだ隙に、相手を横へ突き飛ばしてすぐに距離をあけた。
銃を食らった人形はよろめいて、足を踏み外して穴に落ちていった。絹が焼ける臭いがかすかにただよう。
日進が来た反対側、地下通路からまっすぐ進んだ先にある階段の踊り場に、猫背で構える人形が二体立っていた。その背後には蝙蝠を模した仮面を着けた白衣の男もいる。
「いつ鍵を盗った!」
猟奇博士の浴びせる甲高い怒号に、日進は銃を構えて応じる。
引き金が引かれるのと博士が慌てて壁に身をひそめるのはほとんど同時だった。
銃声を合図に人形が左右に散開する。被弾を減らそうというのだろう。
日進は懐からすかさずもう一丁を取り出して、それぞれを左右に向けて撃ち放つ。二発、三発と片手で引き金をひくたびに腕が大きくぶれる。片手での命中率などたかが知れているが、距離が近いだけ当てやすいと判断した。当たらずともけん制になればそれでいい。
博士は角に飛び込んで身を隠している。
――首魁さえおさえこんでしまえば人形などどうとでもなる
と日進が通路に飛びこんだところへ強い攻撃が飛んでくる。
鼻先への痛烈な一撃だった。
激烈とした痛みが鼻柱から脳天にかけぬけ、鼻血が噴き出す。
日進はその場に膝を折る。
うずくまらないようにこらえるのが精一杯だった。
「相手が予想通りに動くというのは実に気分がよい。世界が私を中心に回っている気がしてくる。さて、答えんのならむりくりにでも確認するしかないな」
階上の博士が得意げに言うその手前、角にひそんでいた人形が日進の顎めがけて足を振り上げる。間際、銃を撃つが相手に命中することなく、銃声だけが虚空に響いた。
顎が外れそうな衝撃を受けて、日進はとうとうその場にうずくまってしまう。
床に転がったたいまつは自分が役目を終えたのを知ったか、火勢を弱め、吹かれるようにして消えた。鋼板で覆われたビルの内部は、開いた穴から飛び上がる炎のため十分な視界が保たれている。
ぽっ、ぽっ、と閃光が稲光のようにほとばしり、そのたび煉瓦の赤い壁に男たちの影や詰襟の黒、博士の白衣が無気味に映発する。
人形が馬乗りになって日進を殴りつける。
――痛みに気を取られたら、そこで、終わりだ
力を振り絞って掲げた拳銃があっさり払いのけられる。
ならばせめて拳を、と必死にもがく。
しかし腫れ上がったまぶたでは相手の動きを正確にとらえきれない。
抵抗むなしく頬に拳が打ちつけられる。口の中は切れたか、歯は折れたか、頬は腫れたか、唇は噛んだか、鼻は潰れたか、……、無視できないほどの痛みが日進にわっと襲いかかる。
倒れこんだ日進の顔に影がさした。
左右に散開した人形が合流して、仮面越しに見下ろしている。
彼らもすぐに攻撃に加わり、日進は苛烈な袋叩きにあう。
「やめ、がっぐ、いたい、やめろ……」
けして上げまいとしていた声が漏れ出る。驚くほど悲痛で弱々しい声だったが、懇願の色はどこにも含まれていなかった。日進は受ける痛みそのものよりも、痛いものを痛いと言ってしまった己に強い怒りを感じていた。
――くそ! 俺も!
「やめ――」
望まぬ言葉を口にしかけて舌を噛んでしまう。もはや舌を噛み切るだけの力は残されていなかった。しかし仮に力が残っていたとしても、彼自身の怒りがそれを許さなかっただろう。追い打ちをかけられて自害を試みるなど特高にあるまじき諦めである。
――帝都の治安を守る特高の一員ともあろう俺が、〈結社〉にこのような目にあわされるなど、あってはならないのだ
だが現実に遭っている。
――こんなものは認めきれない。認めきれないこれは、これは一体なんなのだ……
それきり目蓋が下りた。
そして彼は、死ぬことも叶わなかった。
(*43)穿鑿:穴を掘る。細かなことまで知ろうとする(詮索)。




