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暗翳の火床(アンエイのカショウ)  作者: 蒸奇都市倶楽部(シワ)
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第十三章『為すべきことは』2

 起き上がったのは威丈高な特高の捜査官、日進であった。

 驚く市谷、楓とは対照的に、日進は意外な邂逅(かいこう)にさしたる驚きも見せず、かえって不機嫌そうに眉を吊り上げる。

「坂下んところの助手と……、うちの縄に突っこんできた女か」

 覚めたばかりの声は気だるそうだが、それでも怒っているのが分かるほどであった。

「縄に突っこむとはどういうことですか」

「楓姉ちゃんが最初に人形に襲われた時のことを言ってんのさ」

 さっぱり身に覚えがない楓の疑問に、状況を把握したうえで(つぶて)を投げた市谷が補う。

「あん時に特高は人形(にんぎょう)を待ち構えてたんだよ。んで、そこに裏道を抜けようとした楓姉ちゃんが通りかかって、人形が反応したもんだからこいつらの仕事が上手くいかなかった。あとは俺が石を投げて助けた通りさ。監視をしっちゃかめっちゃかにされたのを怒ってんだろ」

 楓は監視を邪魔しようとの意図で踏み込んだわけではなく、ましてや特高の見張りなど予覚できるはずもない。彼女からすれば怒りをぶつけられる覚えは毛ほどもなかった。

「だ、だとすれば、特高はそれを見ていて何も――」しなかったというのか。

 楓はその事実に驚いて日進を見た。

 しかし当の特高は悪びれないで、

「あんたが危なくなったら助ける〝つもり〟だったさ。だが実際のところ、あんたは人形相手にずいぶん上手く立ち回っていたじゃないか。あんた自身が取調室で説明したようにな。あげくそこの助手も助けに入った。助けるほどではなかったということだ」

 ぎろりと市谷をにらみつける。探偵助手は特高が見張っているのを知りながら民間人を助けに入ったのだ。特高からすれば探偵およびそれに準ずるものの不当介入である。公務の妨害とまではいかないが、特高が正式に協会へ抗議すれば、該当人物に注意、もしくは警告を与えられる類のものだ。

 ただ秘密裡に行動していた射扇班としては、抗議して捜査が表ざたになるような事態を避けざるをえなかった。その黙過(もっか)がまた、探偵の助手に捜査を邪魔されたという事実も相まって、この男にとっては歯がゆくもあるのだが、むろん八つ当たりの一種だ。

「私が人形と呼ばれる者の攻撃をかわせたのも、市谷さんが礫を投げて助けてくださったのも、結果にすぎません。そうした結果となったのは、あなたがたが襲われている人を見ながら助けなかったからです。警察がそれではあまりにも――」

 言いきっていいのか、楓は少しだけ迷ったが、仕事に対する情熱が抑制を許さなかった。

「――お勤めをないがしろにしすぎです」

 男は「ほ」と発音するときのように口を丸めた。感心しているのか、女のくせにといら立っているのか、楓には見当がつかない。

「特高に言っても無駄だよ楓姉ちゃん。こいつらは帝都の治安と北部市の華族様碩学様を守るのが仕事だからな。そこにおれたちゃ含まれてねぇんだ。興奮して何言っても聞きゃしねぇ。特に探偵をよく思ってねー連中はな」

 市谷が割って入ると、楓は我知らず興奮していた己を顧みて口をつぐむ。

 射扇と坂下のやり取りを先に見ていた彼女は、特高と探偵はてっきり共生関係にあるものと受け取っていたのだが、目の前のやり取りを見るにつけ、それは一面的な見方にすぎなかったのを思い知らされる。彼は明らかに探偵を嫌っていた。

「いつもくちばしを挟んでくる連中をどうしてよく思えるんだ」


 探偵と特高。かたや民間団体、かたや国家の治安維持組織。

 帝都における二者の関係を概括するのは難しい。そこには共生、競争といった相反する関係が含まれており、昨日今日で成り立った間柄ではないからだ。

 警察権の保持や最大動員力においては特高が勝っている。ただし強大な権限を与えられているがために暴走を防ぐ観点から法で厳重に縛られており、適宜の即応性がないという弱みを持つ。また集団戦術を得意とするため突破力はあるものの機動性に欠き、個人で跋扈(ばっこ)する犯罪者相手に翻弄される事態も多々ある。しかし本格的に動きだしてさえしまえば、その制圧力は国軍を除いたあらゆる国内勢力を上回り、生半可な犯罪組織では太刀打ちできない強さを秘めていた。

 他方、探偵はほとんど特異といっていい個人が独立して動き犯罪者と渡り合っているが、いかんせん個人の動きにとどまってしまうのが大きな弱みだ。互助組織も兼ねる帝都探偵協会が各々をそれなりに補佐していてもなお、その活動には局所戦のような傾向がある。かてて加えて極度な個人主義であったり協調性に欠ける者がいたりと、人間としてもあくが強い者も多く、協会所属の探偵には倫理や法制での逸脱がないとはいえども、およそ統制しきれる類のものでもなかった。探偵協会が尽力してつなぎとめているのが内情といえよう。

 特高と探偵、もしくは協会が手を組めば強大な勢力となるのは確実なのだが、世の中そう上手くいかない。特高は公共の治安維持を担うという自負と体面のために、探偵と協会の側は独立性保持のために国家権力から距離を置いて、それぞれ大々的に手を取り合おうとはしない。

 だからといって二つの組織が対立していると考えるのは短絡的だ。

 あくまで両者は干犯を避けるべく離れているに過ぎず、実状としてはなんとなく共存している、という曖昧な形で並び立っている。その中に持ちつ持たれつで動く者、ほとんどを探偵と連携して動く者、探偵を一顧だにせず動く者など、様々な形が存在している。

 楓が目にした射扇と坂下の関係、いま目にしている日進と市谷の関係はその顕著な例といえよう。探偵と特高の微妙な間柄を知らない身の楓でも、特高と探偵の間に横たわる込み入った事情が、二組の関係を通じて察せられるほどであった。


「こいつらの〝つもり〟なんてたかが知れてるよ」

 市谷が口をとがらす。

「お得意様の探偵の助手風情(ふぜい)が知ったような口を叩きやがる。〈結社〉の尻尾を掴むためには多少の犠牲は止むを得んというのに」

「へぇ、身内から犠牲が出てもかい」

「なんだと?」

 指摘されて、特高の男は自分の横に並ぶ四つの死体に初めて気付いたらしかった。損壊した死体を()めつ(すが)めつ(*36)眺められるのはさすがに特高というべきか。直視してもまったく平気らしい。

「最後まで抵抗するから本当に息の根を止められちまうんだ」

 観察を終えた日進が吐き捨てる。言い草自体はこれまでと変わらぬ尊大なものであったが、声音はいささか異なっており、わずかな嘆きがにじんでいた。

「犠牲は止むを得んとはいえ、五人いて一人だけが潜入成功とはな、当たり外れの大きいくじだ」

 と自嘲気味につぶやいて立ちあがる。ほこりを払うように、自分の身を手で何度も叩いて探り、それからぐるりと牢の内部を見回しはじめる。

「市谷さんはわかっていたのですか?」

 まだ事態を呑みこめない楓が市谷に小声で問う。さっきのやり取りから亡骸が特高の者というのはわかる。だが、まだ検死もしていない市谷にどうしてわかったというのだろう。

「いんや、初歩的な引っかけだよ。当たってたらしい」

「こんな時に」このような状況下でも鎌をかける胆力に楓は驚く。

「それぐらいでいい気になるな。で、だ、お前たちはどこまで情報をつかんでる?」

 背広姿ではさすがに蒸し暑いらしく、日進は乱れた襟元をさらに緩めてネクタイをほどき、上着も脱ぎ捨てる。

「さっぱりだよ。今から検死しようかと思ってたところだ、あんたも含めてな」

「なら手伝え。一人でやるよりは効率的だ」

 言うが早いか日進はすぐに死体のそばにしゃがみこみ、さっそく一体ずつ(あらた)めはじめた。口調は荒いが手つきは丁寧だ。だしぬけに主導権を握られた市谷が不満そうに顔をしかめるものの、黙って日進の手伝いをはじめる。状況的にそうするのが得策と判断したのだ。こうして子供じみた意地のぶつけ合いは一時休戦と相成った。

 こうなると手持ち無沙汰なのは楓である。といって彼女は検死作業を行う知識もなければ技術もなく、それ以前の話として骸を探る神経も持ち合わせていなかった。あるのは固い道徳心ばかりである。


「乾燥してるのは血と水分が抜かれているからか」

「だろうね、運び込まれた後すぐに加工されたんじゃないかな。ほら、ここに穿刺(せんし)(*37)(こん)らしき傷があるから、多分これで血抜きを」

「やつら干骸(ミイラ)でも作る気なのか」

 干からびた遺体や、乾燥してなお原型をとどめている遺体のことだ。元来は人為的に加工された貴人の骸だけを指していたが、いまは乾燥した遺体全般を指して言う。言葉が和州に入ってきたのはずっと昔で、その風習がどこの地域のもので、どういう意味を持っていたのかはすっかり忘れ去られてしまった。

 という現状では役立たぬ知識だけは持っているのが楓であった。

「短期間じゃ無理だよ。体の水分を完全に消し飛ばすにはもっと干さなきゃ。これじゃ本当に乾かしただけだ。それにミイラを作るといっても、元がこんなに損壊してるんじゃ難しいよ。四人とも腕をもがれたりしたのはいつなんだろう?」

「死ぬ直前だろうな。それが致命傷だ。こいつらは今際(いまわ)まで抵抗して人形にぶちぶちっとやられた」

「じゃああんたはなんで?」

「それは――」日進はいささか逡巡したが、

「内部に潜入するまたとない好機だ。とっとと気を失ったさ。そういう判断も技術のうちだ」


(*36)()めつ(すが)めつ:あるものをじっくりと見る。色々な方向からよく見る。

(*37)穿刺(せんし):注射針などを指すこと。通常は血液や体液などの採取のために行う。

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