第十章『そのころの〈巫機構〉』1
「それで『探偵』がついていながら、楓先輩が連れ去られたっていうんですか」
「もし万が一のことがあったら、抗議だけではすましませんよ」
経緯を聞いた山吹が探偵を強調し、不満の色も隠さず頬を膨らませる。
銀嶺も同調するのは彼女の怒りが真っ当だからだ。
「申し訳ございません。目下全力で捜索に取り組んでおります」
坂下は二人にそれぞれ深く頭を下げて詫びる。六尺はあろうかという大柄な身が恐縮しきっていた。
彼が〈巫機構〉帝都支部を訪れたのは十数分ほど前のこと。
早く帰ってこないかな先輩、と気を揉んで待っていた山吹は、探偵の突然の来訪にぽかんと口を開けていたが、彼が楓の身に起こった出来事をかいつまんで説明するにいたって、開いた口が呆けから驚きへと変わり、しばらく声も出せなくなってしまった。
「帝都探偵協会の全責任において救助に全力を尽くす」
と探偵は述べたが、
「起こった事実については把握しました。救助に全力を尽くすのも、あなたの失態ですから当然と言わざるをえません。黙って見ていた、とは思いませんが……」
承服しかねると銀嶺は怒りを隠さない。切っ先は探偵と特高に向けてであるが、その刃は支部長として楓を監督すべき立場の自分にも向いている。
「誘拐犯は単独なのか集団なのか。集団だとして、計画的なものなのか、場当たり的なものなのか。今後犯人側から我々に何らかの要求がなされると見ていいのか、このまま音沙汰なしなのか。それと帝都探偵協会は今回の一件をどこまで把握しているのか。あなたが失態を隠そうと独断で動いている可能性もありえますからね。そういった諸々も含めた協議には応じていただけるのですよね。もちろん勝手に安請け合いした特高の射扇さんにも同じ要求をします。こちらも方面本部に連絡したうえで、相応の手を取らざるをえないので」
銀嶺が坂下を鋭くにらむ。
帝都に赴任したばかりの部下がなんらかの嫌疑で特高に連行され、あまつさえその帰途に探偵が付いていながら犯罪者に拉致されたとあっては、たとえ全面的な謝罪を受けようとも到底これを受け入れるわけにはいかなかった。帝都における〈巫機構〉の代表として、果たすべきこと追及すべきことがある。
むろんそうした役割上の責任論ばかりでなく、彼女を喪う感情的な側面もある。
また、令状を前に諾々と行かせてしまったことや、彼女がなんらかの事情に巻き込まれていると気付けなかったことへの悔いもある。探偵に責を求めるのとは別に、自分もしかるべき責を果たさなければならない。
「現在は状況を綿密に精査し、慎重に対応しているところです。協会にご依頼いただいた事件とはまったく性質が異なりますので、もちろん今後の展開によっては〈巫機構〉にご判断を仰ぐ部分も出てきます。協会へはすべて事実を報告しています。これについては協会へ裏付けを取っていただいても構いません。また状況が変わるなり新たな情報が入るなり、逐次に遣いをやって迅速に状況をお伝えする所存です」
「……満額回答とは言いづらいですが」
坂下の答えはどことなく書面的だ。一応は前向きな姿勢を示した妥当な回答ではあるものの、深く納得がいくものではない。銀嶺は規則を読み上げられているような印象を受けた。
もっとも相手は現場に立つ探偵だ。細かな部分は協会の事務方とやり取りをして詰めていく方がよいだろう。そう判断した銀嶺は渋い顔でさらに詰め寄り、
「そもそもとして、この件の担当者は坂下探偵、あなたでよいのですか?」
「それは――」
坂下は間を置いてから、とても言いづらそうに、
「神楽坂和巳です」と口にする。
「え! 神楽坂さんが!」
山吹が勢いよく立ち上がって、銀嶺を押し退ける勢いで坂下に迫る。
「それ本当なんですか? 《軍団卿》の神楽坂さん?」
余りの勢いに坂下までもが気圧され気味に、「は、はい」とうなずくと、がぜん鼻息を荒くした山吹が今度は部長に迫って、
「部長! 提案があります!」
「却下します」
「まだ何も言っていません」
「わかりますよ。思い付きでろくでもないことを言って混乱させるだけなのが」
即答とすげない返事は人間性を把握していればこそだ。
「ひどいですよ、聞いてから判断してください。というわけで部長、あたしたちでも神楽坂さんに協力して、楓先輩を卑劣漢から取り戻すための手助けをしましょう!」
坂下に抱いていた不信も怒りも吹き飛んだ山吹が気炎を吐く。
「やっぱりろくでもありませんでしたね。いくら《軍団卿》がひいきの探偵だからって、その豹変っぷりはないですよ。提案というよりも下心からの申し出だというのがまるわかりです」
「心外です部長」
山吹がまじめな顔つきで首を振る。
「あたしは帝都市民の一人として真に神楽坂探偵を応援したいんですよ。楓先輩の身を案じるとともに、先輩の失踪に神楽坂さんが何らかの形ででも関わっているとあっては、不肖この山吹吹子、目の前で他人事のように『お任せします』なんて口が裂けても言えません!」
帝都の人間にとって特別な地位を占めている碩学級探偵のうちで、最も認知されているのが《軍団卿》の号を持つ神楽坂和巳と言ってよい。この女探偵は雑誌の特集や新聞への露出が非常に多く、そのため帝都探偵協会に属する探偵のうちでもとりわけ人々が目にする機会に恵まれているからだ。
媒体への度重なる露出は、探偵により親しみを抱いてもらおうと行っている探偵協会の広報活動の一環でもあった。もっぱら神楽坂が選定されているのは、華やかで見映えが良く、受け答えもはっきりしているなどの理由による。
号を持つもう一人の碩学級探偵、黒坂城史郎は黒一色で身を包む出で立ちから見栄えが悪く、また本人の性格からしても、広報や敷衍(*30)という点において十分な貢献を果たすとは考えられていなかった。
その他の碩学級探偵は号を持たず、神楽坂と比すると閲歴ならび知名度の観点で一歩も二歩もおよばない。号の有無はそれほど大きく知名度に作用するのだ。
折しも女性の社会進出が奨励される女働主義の隆盛や、婦人運動が盛んな当今の風潮とも相乗して、彼女の存在感はここ数年で急速に増し、協会の喧伝も相まって社会進出を果たす女性の象徴と見られていた。
そもそも依頼に基づき内密に動くことの多い探偵が顔を知られては活動に支障が出かねない。その点においても、名が知られ、顔も知られ、それでもなお探偵として躍進する《軍団卿》神楽坂和巳は男女の別なく異質であるといえよう。
「それにですね部長、あたしを最近になって神楽坂さんを知ったようなみいはあと一緒にしないでくださいよ。あたしは二年前から神楽坂さんを応援しているんです!」
二年では大差がないでしょう、と言いかけて部長は口をつぐむ。勢い付いた彼女はさながら蒼茫たる平原を駆ける悍馬。尻に鞭を打つようなからかいは慎まなければならない。さりとて放置していては颯然と走り去ってしまう。監督権限を持つ者の責務として部下の暴走は制止せねばならぬ。
「吹子さん、落ち着いて聞いてよく考えてください。第一に担当が神楽坂探偵ならば、なぜ坂下探偵がここへ来るのでしょうか。担当が神楽坂探偵だというのならば、南海さんがさらわれた落ち度も彼女にあるはずで、訪れるべきは当人であるべきでしょう」
「そりゃ神楽坂探偵は多忙ですから? 坂下探偵を代理に立てているんですよ」
「肩を持ちすぎです。要するにそれは、多忙で来られないという理由で足を運ばないほど、南海さんの件が軽んじられていると、そう言っていませんか?」
「……あっ」
我知らずとはいえ、神楽坂と楓を天秤にかけていた。
銀嶺の指摘でそれに気づいた山吹の顔が青ざめる。
言いすぎたかなとも思う銀嶺であるが、事の重大さを鑑みれば、彼女の言動はあまりに軽率だ。上司として事後の慰めは必要にしても、ここはいまひとつの自省を求めるべきだろう。
(*30)敷衍:趣旨が徹底するよう説明する。おしひろげて説明する。




