9.走馬灯のバラク ①
春の草原を駆け抜けている時だった。それは八歳の時だった。
僕は花畑で妖精の女王と出会った。
それは偶然である。僕が花畑の横を通りかかったときに見かけたのだ。
その名は、ナオミ。
シロツメクサで王冠を造り、それを頭に乗せていた。
シロツメクサの白い花が大地を覆っていた。受肉した妖精の女王。白色が染めた大地にポツンと咲いた長い黒髪。僕の心を何処までも引き込む黒曜石のような瞳。
僕は、通り過ぎるだけのはずが、手綱を引き、馬から降りた。
少女と、少年は最初は警戒していた。
「ここで何をしているのか?」と僕は領主の息子として威厳を放って言った。
少女はボクと同じくらいの年齢であろうか。少年はボクよりも少し身長が高い。
「申し訳ありません」と二人は地面にひれ伏した。
僕が身分の高い人間だと分かったのだろう。白馬は身分が高い者が乗る馬だし、僕の着ているジャケットには領主の紋章が刺繍されている。
街から大分離れた場所だ。馬で遠乗りでもしなければ来られない。街から遊びに来たにしては遠すぎる。
人が住んでいるとも聞かない。このあたりでは、イタチやキツネの方が、人間よりも多いだろう。
二人の衣服がボロボロであることに気付く。
なるほど、森の中の孤児院の子どもか。この草原をちょっといった場所には、ご先祖様が使っていた領館があり、いまはそこを孤児院として使用していると聞いたことがあった。
「孤児院に住んでいるのか?」
ひれ伏している二人の肩が震えている。
「何か答えないか」
すっと少女は顔を上げて僕をまっすぐに見た。
整った顔立ち。小さな額。黒髪が草原に吹く風で揺れていた。
「その通りでございます。ですが、私がわがままを言ってこの花畑まで連れてきて貰ったのです。どうか罰を与えるのは私だけにしてください。孤児院も……それにこのナッシュにも」
少女の発言で気がついた。二人は処罰を恐れている。
「罰を与えようとか思っているんじゃない。ただ気になっただけだ」
少女の瞳に吸い込まれながら僕は答えた。同じ年齢くらいの子どもと話したのは初めてだからだろうか。心臓がドキドキする。
「よかった。ありがとうございます」
ほっと胸に手を当てる少女の動作はまるで女神のようだった。
「僕は、シャロン領領主エリアムが次男、バラクだ」
どうして僕は孤児たちに名乗っているのだろうか。自分でも不思議だった。
「おいらはナッシュ」
「私はナオミです」
金髪に青い目の少年の方はこの地方の方言なまりがある。少女の名前はナオミ。長い黒髪に黒い瞳。遠い異国の船乗りたちにそのような人種がいるとも聞いたことがある。
ナオミという少女は名乗るだけだった。カーテシーなどの挨拶を知らないのだろう。
だが、不思議とそれが不快ではなかった。ナオミからはどことなく気品が漂っている。
「いつもここで遊んでいるのか?」
「一日の仕事が終わったあと……夕暮れまんでは。遅くなるとテレジアさんが心配すっから」
ナッシュが答えた。
「それで、ここではなにをしていた?」
「花を摘んでいました」
少女の両手にはシロツメクサの花束があった。
「僕も今度から参加しよう。友達になってくれないか?」
たまたま遠乗りの最中に見つけた同年齢の少年と少女。
ナッシュとナオミは顔を二人で見合わせたあと、頷いた。
僕は、ナッシュとナオミと握手を交わした。
シャロン領領主エリアムが次男バラクは、ナッシュとナオミの友達となった。
そして僕はナオミと友達となったことを数ヶ月後には後悔するようになった。
どうして僕は、遠巻きにみたナオミに興味を持ったのか。
僕はその感情が産まれてから初めてのもので分かっていなかった。
僕のこの感情は一目惚れというやつで……僕がナオミとなりたいのは友達ではなく、恋人であったのだと思い知ったのだ。
ナオミと、そしてナッシュと過ごす時間はとても楽しくあっという間だった。あっという間に時間が過ぎる。
そして、ナオミと別れる時間は、身が引き裂かれるような思いだった。次はいつ会えるのかと。
「お待たせ。バラク」
秋が深まりはじめていた。
「ずいぶんと遅かったね」
「ごめんなさい。冬支度で孤児院は大忙しなの。私もナッシュも……しばらくここにくることはできないわ。薪をたっぷりと森から集めなきゃいけないもの。そうしなければ暖炉に火がつけられなくてみんな凍えてしまうもの」
「いつなら会えるのだろう?」
「春になれば……だと思う」とナッシュも残念そうに言った。
四ヶ月もナオミに会えない……。一気に胸が苦しくなった。
そんなのは嫌だった。
「そうだ……僕の屋敷で生活しないかい?」
父が、縁談の申込で困っているという話を聞いた。
シャロン領の豊かな海岸の一部を開拓して、塩田を父は造る計画を立てている。安定的な販売のために、内陸の塩を手に入れにくい領地と友好関係を築き、そして販路を築きたいと言っていた。
繋がりを作るための常套手段は政略結婚だが、兄のアムノンと次男の僕。どちらも男だし、アムノン兄さんは次期領主だ。僕を婿養子に出すというのは、アムノン兄さんに万が一があった場合にシャロン領を受け継ぐ者がいなくなってしまう。
かと言って、嫁を迎えるほど塩田事業がシャロン領の事業の柱になるかと言われれば、その重要度はまだ低い。
父は、親戚など血筋の者たちに娘をもらえないかと掛け合っているが、色よい返事はもらえていない。父上の最近の悩み事の一つである。
「え? でもバラク。あなたは領主様の子どもでしょ。私やナッシュがお邪魔していい場所ではないでしょう?」
「だから、方法があるんだ。ナオミ……僕の妹にならないか? きっと父上ならナオミのことを気に入って養女にしてくれるよ」
僕の髪は金色で兄も金色で母上も父上も金色。明らかに血は繋がっていないけれど、血の近い親戚からは全部断られているし、遠縁ということになると、血のつながりなんてあって無いようなものだ。
ナオミが養女になれば……毎日、会えるようになるじゃないか。一緒に暮らせるようになるのだ。
「そんなことを急に言われても」
ナオミは乗り気ではないようだった。
「ナオミ、僕は君のことが好きだ。ずっと一緒にいたいんだ」
思い切って胸の内を告白した。
ナオミは目を大きく見開いている。驚いているようだ。
「私もバラクのこと、好きよ」
ナオミは顔を真っ赤にしながら言った。僕は嬉しかった。
「じゃあ、父上に君のことをそれとなく父上に話してみるよ」
「あなたといつも一緒にいれるなんてなんだか素敵な話だけど……でも……ナッシュはどうするの?」
僕は口籠もってしまった。
「ナッシュも、バラクのお父様に養子にしてもらうことはできないのね?」
「あぁ。男の養子は……無理だろう」
ナオミの問いに僕は答える。
「じゃあ……お屋敷で働いたりすることは? あなた言っていたじゃない。お屋敷には、孤児院の子ども達よりも沢山の人が働いているって」
「ナオミ、気持ちはありがたいけど、おいらの身体じゃ無理だ」
僕はナッシュの右腕を見る。ナッシュは、赤ん坊の時の怪我で右腕があまり上手に動かすことができない。
男の使用人は主に力仕事担当だ。庭師なども無理であろう……。執事などの仕事もあるが、それは専門に教育された人間で、身元が確かな人しかなれない。
孤児で身元がよく分からないというのは、養子に迎えるには好都合なことかもしれないが、孤児で身元が不明というのは、屋敷で働くには大きな障害となる。
「私は、バラクと会えなくなるのも嫌だけど、ナッシュと会えなくなるのもいやよ」
ナオミは珍しく語調を強くして言った。三人一緒……。この結論をナオミは変えたりしないと僕は思った。
ナオミは時々、頑固なところがある。いつもは僕やナッシュに合わせて遊んだりするが、ときおり絶対に譲らないことがある。
たとえば、おままごとをするときに、絶対自分はお姫様の役をする。ナオミのお気に入りはシンデレラで、シンデレラの役をナオミは必ずする。カボチャの馬車を出す魔法使いはナッシュだということもナオミの中では決定事項なようだ。
そしていつもそんなとき、僕は、王子様の役、意地悪な継母の役など、色々とな役をしなければならなくて大忙しだ。
だから、ナオミは三人一緒でないと養女になることを了承しないだろう。
「ナッシュのことはなんとかなるかもしれない。御者が最近交代したばかりなのだけど、まだ若い御者で仕事が回っていないと聞いた。御者の下で働く者ならなんとかねじ込めるかもしれない」
御者にはやはり確かな身元が必要だが、御者の下働き、馬小屋の世話係ならそれも必要ないかもしれない。
「それなら一緒にお屋敷に暮らせるわね」とナオミの顔がぱぁと明るくなった。
「いや、ナオミ……それは多分違う。同じお屋敷と言っても、バラクとナオミは屋敷の中で、僕は屋敷の敷地のどこかで暮らすということになるんだと思う。それに……きっと僕たち三人が友達……いや、顔見知りだということさえ周りにはバレてはいけないと思う」
「それだと一緒に遊んだりできないの?」
「たしかに……下働きと貴族家の者が一緒に遊んでいると咎められるかもしれない」
「それにバラク。君だって、ナオミがシャロン領主様の養女になったとして、君はナオミの兄になりたいわけじゃないんだろう?」
ナッシュが核心を突くことを言った。
たしかに……僕はナオミと友達でも、兄弟姉妹でもなく、恋人になりたいのだ。
「じゃあ、同じ場所で暮らしても、他人同士にならなければならないの?」
「いや……違う。これから長い、長いオママゴトをするんだ。バラクは、ナオミのお兄さん、ナオミは養女としてバラクの妹、そして僕は屋敷で働く使用人として遊ぶんだ」
「だけど本当は、私はシンデレラということね」
「あぁ。そしておいらは、本当は魔法使いだ」
ナオミとナッシュが言った。それならば僕は、ナオミの王子様ということなのだろう。