8.子爵一家転落事件 ⑧
王都の宿屋でナタンとシムアはお互いの今日の調査の成果を報告しあうことになっていたが、ナタンにはシムアに特段報告するようなことはなかった。
孤児院に行ってはみたものの、ナオミが証言した通りだった。
十一月十一日から十四日、ナオミは孤児院に滞在していた。
テレジアはもちろんのこと、孤児院の子どもたちが証言をしてくれた。
無邪気な子どもたちの証言が複数得られたことは大きい。
ナタンのメモでは、
☆☆
十月末 出発(予定)
十月三十日 バラク様のご病気
十一月二日 医者が屋敷でバラク様診察
十一月四日 馬たちの異変
十一月上旬 子爵家王都到着(予定)
十一月十日 ナオミ様お見合い(予定)
十一月十日 馬たちの異変が治まる
十一月十一日から十四日 ナオミ様孤児院へ
十一月十四日 ナオミ様、屋敷へと戻る
十一月十五日 馬車出発 ナオミ様、子爵様たちを早朝見送る
十一月十五日午後~十六日 一家崖より転落、死亡
十一月二十日 王都で捜索願が出される
十一月二十八日 遺体確認
十一月三十日 王諸侯会議
☆☆
と書かれている。聞き込み調査の内容をまとめたものだ。
ナオミが実行犯ではないのは、十五日にアリバイがあるからである。ナタンはナオミを疑っていた。
『十一月十四日 ナオミ様、屋敷へと戻る』とある。
だが、ナオミ、セバス、また屋敷の使用人、孤児院長テレジアが証言しているが、実は、本当は『十五日』であったらどうだろう。
『十一月十五日 馬車出発 ナオミ様、子爵様たちを早朝見送る』とあるが、そもそも貴族へと嫁がせるために養女となったのがナオミだ。
駄々を捏ねようが無理矢理にでも王都に連れて行き、どこかの貴族と見合いをさせるのが普通ではないだろうか?
それにナオミは『「十四日には私は連れ戻されましたから」と証言をしていたが、連れ戻したとなれば、それは意地でも王都へと連れて行くというシャロン領主エリアムの意思表示と言えるだろう。
真実は、
十一月十一日から、十五日もしくは十六日
ナオミ、孤児院へ行き殺害計画の準備
十一月十五日
屋敷にナオミ戻らず。エリアムは諦めて馬車を出発。
十一月十五日午後~十六日
一家崖より転落。ナオミ転落現場あたりで待ち伏せか?
十一月十五〜十六日 ナオミ、何食わぬ顔で、孤児院から屋敷へと戻ってきたふりをする
ということだろうとナタンは予想を立てていた。
孤児院は人目につかない場所にある。
あとは、屋敷の者たち、また孤児院長テレジアが口裏を合わせれば良いことだ。
だが、子ども達も証言している。屋敷の者がやってきて、無理矢理にナオミを馬車の中へと引き込んで行ったと。日時も正確である。ナオミは、子ども達の遊び相手をしていた。十一日から十四日の間、子ども達と遊んだり、子ども達と一緒に落ちた枝を森で拾い集めていた。
屋敷の者たちの証言でも、十一日にナオミはいなくなり、十五日には屋敷にいて、馬車の出発を見送ったと言っている。
さらに、シムアの調査では、屋敷の使用人たちからのエリアムやイザベラの評判は良い。給金も高く待遇も良い。貴族によくあるような、人格が破綻している人物ということでもないとのことだ。
現に、今回亡くなった御者ジークは、屋敷のメイドであるレイナと結婚をしたが、敷地内に一軒家を与えている。
広い敷地の確保が難しい王都では、使用人は屋根裏部屋に詰め込まれるという待遇が当たり前だ。
つまり……屋敷の使用人たちからも恨まれているのであれば、口裏を合わせることが可能だ。だが、使用人たちからシャロン領主家は慕われていた。使用人たちの悲しみは本物だとシムアからの報告があった。
孤児院も、ナオミが養女に迎えられたことをきっかけに経営状況が改善し、子どもの生活の質も上がった。
動機の不在である。
ナオミ………
領主一家を殺しても、領主代行にしか女の身ではなれない。全員を殺害するにはリスクが高すぎる。
子爵一家は、屋敷の使用人たちとの関係も良好。
領地の経営も上手くいっており、民たちからの人気も高い。
ナタンは、コップにつがれたエールをぐっと飲んだ。エールは喉をくすぐるが、ナタンの胸のつっかえはとれない。まるで喉ではなく胸に魚の骨が詰まったようだ。
「今日もこのあたりの特産を頼むぜ! ナタン警視もそれでいいですよね? あと、エール二つ、お変わりで」
お互いの報告を終えて、夕飯を頼む。
「あいよ」
「あっ、あとワサビモドキも頼む」
「気に入ったのかい?」
「体の奥から温まるからな。昨日はよく眠れたんだ。警視もどうです?」
「じゃあ、私も一個もらおう」
「じゃあ、ワサビモドキ二つな。あんまり食べ過ぎると次の日ケツが痛くなるから注意してくれよ」
先に運ばれてきたエールと皿の上にのったワサビモドキ。
ワサビモドキを酒のツマミにしてエールを飲む。
「胃に入った瞬間に辛さがくるなぁ」
ナタンはエールを胃へと流し込む。
「面白い食べ物ですよね。生で食べるこの時期は旬だそうです。これから冬には天日干しにしておくことによって、空気で酸化していって自然と辛く、それこそ山葵みたいな辛さに落ち着くそうですよ」
「ずいぶんと詳しくなったな」
「それはもう。これを王都へのお土産にしようと思っているんです。話題性がありますよね」
公安の同僚たちへの土産にするのだろう。他殺ではなく自然死、もしくは事故であった場合、お土産を買って王都へ帰るのが公安の伝統である。
「まぁ、食べたらみんな驚くだろうな」
「それで、これから捜査はどうします?」
「シムアの見解では?」
「事故ですね。ナタン警視はどうお考えになっています?」
「ああ。俺も事故だと思う」とナタンは言った。気になることはいくつかあるが、それは調査するのは、砂浜から特定の砂粒を探すようなものである。
「そうなりますよね」
「王への報告書を頼む。明日、捜査の結果をシャロン領主代行様に報告して王都へ帰るぞ」
「了解しました」
ナタンとシムアは次の日、王都へと帰り、今回の事件の報告を王に行った。
ナオミは王からも正当後継者と認められ、シャロン領主代行の地位についた。そしてナオミと結婚をした者が、将来のシャロン領主となる。
ナタン警視がナオミと再開するのは、子爵一家転落事故から四年後のことである。場所は王立学園中等部。
ナオミは貴族の子息女として、王立学園に入学していたのであった。