3.子爵一家転落事件 ③
応接室のソファーの前で、ナタンたちを待っていたのは、黒色の蕾であった。
長くて黒い髪は、カーテンレースの隙間から入る太陽の光によって光沢を放っている。
一家の死を知り、喪に服して黒いドレスを着用しているのであろうが、ドレスの光沢のない生地が、黒髪の美しさをいっそう引き立っていた。
背筋を伸ばし、両手を腹部で重ね合わせ立っているだけである。だが、その仕草からただならぬ気品を感じる。
十歳の少女。
幼さが残りつつも、少しだけ開いた蕾からは美しい花びらが見えており、将来美しい花が咲くと確約されている。
間違いなく美しい女性へと成長をする。
エリアム子爵が養子にしたことも頷けるものである。この少女が開花したとき、男たちを周りに惹きつける香りを放つのは明らかである。
「どうぞお掛けになってください」
黒い瞳が儚く揺れていた。
大切な家族の死を嘆き悲しみたい中、領主代行として気丈に振る舞おうとしているのが分かった。
「失礼いたします」
シムアが緊張した声で言った。十歳の少女に飲まれた。
「この度は、エリアム子爵様たちのこと、心からお悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます。孤児であった私を実の娘のようにエリアム様もイザベラ様も私を大切に育てくださいました。アムノン様もバラク様も……私を実の妹のよ……う…」
ナオミは右手で口を押さえ、嗚咽している。
ナオミの瞳から大粒の涙が落ちた。
シムア警部補がとなりでナタン刑事を見た。
家族の死を悲しむこの少女を尋問する気ですか?
そんなことを言いたげな視線であった。
おいおい……それが俺たちの仕事だろうが、とナタンは心の中で思う。
すでに、シムアの中で、この少女は被害者で無実であることが確定しているかのようだった。事件の取り調べではなく、この少女の悲しみを癒やしたい。
悲しみのなか、気丈に振る舞う姿が、シムアの庇護欲をかきたてたのだった。
まだまだシムアも半人前か……いや、むしろ若いというべきか。ナタンはシムアの評価を一段下げた。
悲しみに暮れる、虫も殺さぬような未亡人が、実は、愛人と共謀して夫を毒殺した張本人であったというような事件は貴族の間では良く起こることだ。
まぁ……十歳の少女が、領主代行となるために、転落事故を仕組んだ……と考えるのには多少の無理があるように思えた。
男子であれば、後継者としてシャロン領の領主となることができるが、女の身では領主代行だ。婿として迎えた男に当主の座を渡すことになる。
「いくつかお伺いしたいことがあります」
「答えられることでしたら」
「エリアム様たちが出発したのは何日であったのでしょうか?」
「十一月十五日です」
王都で務めていたシャロン領主の家臣は、十一月上旬に到着するというのが元々の予定。
しかし、実際に出発したのは十五日。大分出発が遅れている。
だが……十五日に出発したというのは事実であろう。
それは、シャロン領主一家の死体がそう語っている。遺体の腐乱状況から見て、死んでから二週間といったところであった。
予定通り十月の下旬に出発していたのであれば、三週間以上が経過し、遺体はもっと酷い状況である。本人確認に苦労をしたであろう。
「出発が遅れたのには何か理由があるのでしょうか? 王都で子爵様たちの捜索願いが出されたのは二十日です。あまりに到着が遅いということでした」
出発が遅れたこと。それが、子爵領主が崖から転落した遠因に他ならない。時間は七日かかるが安全な南方ルートを通らずにギルガル山道を通ったことが事故に繋がった。
「バラクお兄様が体調を崩され……それが回復したと思ったら、今度は馬たちの調子がおかしく……」
体調を崩したのと……馬の調子が? 一気にきな臭くなった……とナタンは思った。
「バラク様が? どのようにですか?」
「私も看病をいたしました。初日は頭が割れそうになるほど痛いと。また、次の日はお腹が痛いと仰っていました」
「医者を呼んだのでしょうね?」
「はい。領都で一番の名医の先生がきてくださいました」
「領主様の大切なご子息ですからね。それで?」
「精神的なものであるということでした」
「精神的な? 癲癇などをお持ちだったということですか?」
「いえ……」
「ではどうして?」
「お医者様のお話では、ただの仮病だということでした」
「バラク様が仮病をお使いになった?」
「義父は、王都に行きたくないからだと判断したようです」
馬車の旅は、子供には退屈でもある。狭い馬車内でじっとしていなければならない。
また、王都が好きな貴族もいれば、王都を嫌う貴族もいる。貴族のお茶会や晩餐会、舞踏会など、人付き合いが好きな者だけが貴族であるということではない。
バラクも、年齢は十歳。このナオミという少女より半月ほど年上という年齢。まだ子供だ。
甘やかされた貴族のお坊ちゃんが駄々を捏ねたということだろう。
あとで、バラクを診察した医者の所へ行って、裏を取るとして……
「馬がおかしかったとは? どのように?」
ナタンは本題とも言うべき質問をした。
馬車上の貴族を暗殺する手段は実は少ないのである。馬車に乗っているところを襲撃する。馬車の車輪に細工をする。馬を暴走させる。
いずれにしても、馬車の移動を止めるために、馬と御者が最初に狙われる。
「御者の鞭を無視するほど暴れると聞いています。私もそう聞いただけですので、詳しくはセバスの方が分かると思います」
「原因はなんだったのでしょうか?」
セバスに聞いて欲しいというナオミの以降をナタンは無視した。馬には襲撃を受けたような刃物や矢傷はなかった。また、谷底で調べたかぎり毒の類いも検出されなかったと報告は受けている。
「原因は分かっておりませんが、満月が関係しているかもしれないとアムノンお兄様はおっしゃっていました」
「満月ですか……たしかに……満月は狼や馬を狂わせますからね。そして、満月は人をも狂わせると聞きます」
ナタンはカマをかけたが……ナオミには動揺が見られなかった。代わりに、ナオミは口を開いた。
「あと、もう一つ、出発が遅れた原因があるのです」
「それは?」
シャロン領主の次男バラクの仮病、馬の体調不良。それに加えてまだ何かある。
「私が……家出をしていたのです」
「家出? ですか?」
となりでメモを取りながら会話を聞いていたシムアが顔を上げた。
貴族の少女が家出……お忍びで街に出かけるというようなことをするお転婆な貴族もいるにはいるが、家出?