①霊の未練を突き止めよう
「そうよ!生きてた頃のあたしは病弱美女で、結婚直前に風邪こじらせて死んだの!ベタでしょ!ベタすぎるでしょ!笑いなさいよぉ!」
「あの、いくら霊でもお酒はその辺になさった方が」
私が短く切ってもらったばかりの赤髪を揺らしてたしなめても、女性の酒のペースは落ちない。
「生前は家族に止められてて酒も飲めなかったのよ!霊体の時くらいいいじゃない!」
「構いませんが、何度も言うようにこのホテルでは霊も実体を持つので二日酔いにもなります。吐きます」
それでも彼女は止まるどころか、意地を張るように益々豪快にグラスを煽った。
「上等じゃない!どうせ泊まってる間しか飲み食いできないんだから限界までやってやるわ!おかわり!」
私は諦めて、女性の向かい側に座っている師匠をちらりと見る。
いつもカフェモカ色の髪をボサボサのままにして、目の下にクマを作っている師匠──リカルド様は肩を竦めている。
「彼女の好きにさせよう。それが成仏への1番早い道のりだ」
「消されてたまるかっつーの!」
言いつつ、彼女は運ばれてきた料理を素直にかっこんでいた。
私はいわゆる『霊能者』──の見習いをしている、アルナ。数週間前までは奴隷だった。
『私、生きる理由がないから』
『俺のところに来い。俺と一緒に探そう』
といったやり取りが「とある事故」の後にあって以来、私はそう言ってくれたリカルド様の『ホテル』で住み込みで働いている。
見習いとは言ったけれど、残念ながら本来なら私には霊が見えるとか話せるなんて特別な能力はない。
特別なのはリカルド様と、このホテル──ルーズヴェルトだ。
ホテル・ルーズヴェルトでは、リカルド様が霊の宿泊手続き(という名の召喚儀式)をすることにより、死者も実体を持つようになる。
と言っても、生身の肉体を取り戻すわけじゃない。
霊力を濃く宿す木材で作られたホテルで、生まれつきずば抜けた霊能者であるリカルド様が霊たち自身の霊力を増幅させ、他者や物との干渉を可能にするだけだ。
霊力の強い神様や精霊が人間世界で願い事を叶えたり、イタズラしたりするのと同じ仕組みだそうだ。
でも人間霊にそんな霊力はない。だからその人の持つ霊力により、実体は1ヶ月からどんなに長くても1年が良いところだという、限定的な顕現だけど。
そして、その力を利用して、心残りがあり成仏出来ずにいた霊たちを穏健に成仏させる。
放っておいても穏やかな霊ならば成仏する可能性はあるけど、本人にも制御できず悪霊となってしまう可能性もあるからだ。
けど、それさえも建前のようなところはある。
(困っている人を、リカルド様が放っておけないから)
理由なんてなくても、それが死者でも生者でも、リカルド様は手を差し伸べる。
──それは、私自身が誰よりも、何よりもよく分かっている事だった。
「それで?これだけ食べても消えないわけだし、あなたの未練は空腹ではないだろう。心当たりはないのか」
「あたしもう消されるの!?自然消滅まで好きにさせてよ!」
私とリカルド様で使い終わった食器を片付け、シェフに作ってもらった食後のデザートを食べさせても、彼女はなお不満げだった。
「何度も言うが、あなたは本来なら既に世界との干渉を絶たれている身なんだ。
数週間後に消えてもおかしくないし、あまりに強い意志でいつまでも生きようとすると、悪霊として永遠に残り続けることも有り得る」
「シーナさん、でしたっけ。せっかく美人だったんですし、どういう姿になるかは悪霊にもよりますが、ドロドロに溶け切った腐敗肉のようになるのは嫌ですよね」
「そんなんなるの美人じゃなくたって嫌なんだけど!」
「なら大人しく未練を考えてくれ…というか、さっき気になることを言っていたな」
私が首を傾げると、霊のシーナさんまで同じようにした。
「えぇ?さっきアイスで頭が冷えるまで結構酔ってたから、覚えてないわよ」
「…結婚直前に、病死したそうだな。辛かったんじゃないのか」
リカルド様は、まるで自分の事みたいに口ごもる。対するシーナさんは平然と2杯目のアイスに手を伸ばしていた。
「え?別に。長く生きられないだろうなーってのは子供の頃から分かってたしねぇ」
「…あの、失礼ですがそれでも結婚したわけは?旦那様は承知の上だったのですか?」
「あぁ、大層な変わり者だったのよねぇ、あの人。あたしは早死するってわかってたし、ましてや子供なんか絶対産めないってわかってたから、結婚なんかする気無かったわけよ。街の人もみーんなそれを知ってたわけ。
なんだけど、1度あたしが住んでた王都から離れた街に静養しに行った時、ガッツリ惚れられちゃってさ…どんなに言っても聞かないわけ」
シーナさんは不味いものでも食べたみたいに口を尖らせた。
「最初はあたしの遺産狙いか?って思ったけど、よく考えたら狙うほどの遺産もないわけだし…でも、話しかけて来た理由だって、本当に変なやつで」
「なるべく早く死にたいから体に悪い食べ物を教えてくれとかですか?」
「そこまで変じゃないわよ!しかも闇深ッ!」
「すまない、俺がいつもアルナにそう聞くから」
「聞くな!あんた陰気臭いとは思ってたけどそこまで暗いやつだったの!?」
たしかにリカルド様はとっても素敵な方なのに、自分に対してとてもネガティブだ。物心着いた時から数週間前まで奴隷で、まともな生活を送れなかった私より暗い。
でも、一緒にいるうちに死にたいと言いつついきなり本気で死のうとはしないと分かっているから、ひとまず安心だ。
「安心ではないでしょ!死にたい奴が生きたかった霊を成仏させるって色々どうなの!?」
「ぐうの音も出ないな…俺は本当に仕方の無い奴だ…死にたい」
「あっちょっコイツッ…生きたくても生きれない人間に向かって余計なことを!」
シーナさんは向かい側に座るリカルド様の胸ぐらに手を伸ばし、思い切り自分の方に引き寄せて頭突きした。止める間もなかった。
「リカルド様」
私が突っ伏した肩を揺らしても、もはやビクともしなかった。
どうすればいいのだろう。
焦りたいけど焦り方がわからないし、困っているけど彼の助け方もわからない。
「…あ、アルナ、俺なら大丈夫だ。大丈夫だから心配はいらない」
「いや、心配されてないわよ。めっちゃ平然としてるわよ」
そんなわけない。何となく、全てのことが──ちゃんと心があるってわかるのに、自分の気持ちまで遠く感じられて、感情を表現するやり方もわからないし、そもそも意味も感じないだけ。
私一人の気持ちを世界に表現したところで、世界が救われるわけでも滅ぶ訳でもない。何も変わらないし、どうしようも出来ないのだ。
でも──。
「…そうか、ならいい。
でも、顔や仕草に気持ちを出すことが苦手な人間もいるだろう。俺もそうだ」
…分かろうとしてくれる人がいるから、頑張って笑ったり困ったりしたいと、最近は思う時もある。
が、そんな機械のような私と裏腹に、シーナさんは勢いよくリカルド様の頭とテーブルをキスさせていた。
「あんたは全身のオーラで陰気臭いのがわかるのよ!腹立つのよ!」
テーブルクロスに鼻血が滲んでいる。どうしよう。
「あぁ、こうしていると思い出すわね、あいつと初めて会った時のこと…こんな風に病院送りにしてやったっけ」
「…初対面でですか?」
「うん。あたしが湖の近くで楽しく日光浴をしてた時にさ、『一目惚れしたんだ!』とか言って話しかけてきたのよ」
随分な電撃恋愛だ。
私は恋なんてしたことがないから分からないけれど、そんな話は大量に蔵書があるこのホテルの図書室ですら読んだことがない。
ひとまずジャンルは問わず読んでいたからたくさんの恋愛物語にも目を通していたが、それはおとぎ話よりも破天荒な出会いに思えた。
「まぁあたし金髪色白の美人だし、別にそれ自体には驚かなかったわけよ。でも、そいつがなんて言ったと思う?
『あまりに綺麗で、寂しそうで目が離せない。放っておけない』って」
「…寂しそう?」
「信じられる?あたしは穏やか〜な気候の中でのんび〜り日光浴を楽しんでたわけ。鼻歌歌いながらね。
それをいきなり『寂しそうで放っておけない』よ。お前あたしの何を知ってんだよってムカついて、病院送りにしちゃったのよ」
リカルド様が頭をさすりながら呻いた。
「街で出会った時から思っていたが、あなたは本当に病弱だったのか」
「嘘なんかついてないわよ!風邪こじらせて死んだっつってんでしょ!」
でも、体力のない女性でもぶちのめすことは出来るのだとわかったのはありがたい。シーナさんに護身術を教えてもらえれば、いざとなった時暴漢からリカルド様を守れるかもしれない。
「それなら俺を練習台にするといい」
「恐れながら、遠慮します。うっかり打ちどころが悪くて死ねたらいいなぁと考えていそうなので」
「怖すぎて教えられないわよ!言っとくけどさすがに死んだりはしないからね!
その後、当然親に頭を下げさせられたし」
「そりゃそうだろう」
リカルド様はこけかけた頬をつねられていた。
「…だけど、そいつがまだ言うのよ。
君のそばを離れるつもりはないって。放っておけないって。
確かに子供のときから早死するのは分かってたし、外出できなくて友達も少なかったけど、家族はその分あたしにたくさんの思い出を作ってくれたし、なら中で出来る遊びを考えようって言ってくれる友達もできた。あたしの人生はずっと幸せだったの。周りの人がそうしてくれたし、あたし自身も努力してきたのに」
「なるほど。激怒なさったのも無理はないことだと思いますが…ご結婚なさったということは、彼との縁を切らなかったのですね」
「ううん、切れなかったのよ。こんな体のあたしにいい人ができたってんで、家族や親戚が喜んじゃって…毎日強制デート」
リカルド様が小刻みに頷いた。
「…そうだな。うちのように貴族なら恋愛や結婚を無理やり決められることもあるし、気持ちはわかる。でも、あなたの家庭にはそこまでの強制力がないのに、結婚したということは」
シーナさんは目をそらすと、遠くを見たままトン、トンとテーブルを指先で叩く。
「…そいつと会ううち、言われたの。
『君はいつもどこを見ているの?』って。それで気づいた。
あたしは未来のことしか見てなかったのよ」
それが悪い事なのだろうか?
有名な詩。おとぎ話の主人公の台詞。仕事で大成功を収めた商人の随筆。
どれもこれも、「前を向け」「過去ではなく未来を見ろ」と叫んでいる。
私が何も言えずにいると、シーナさんはもどかしそうに首を振った。
「あたしは死ぬっていう未来のことしか考えてなかった。家族や友達と交流するのも、死ぬ時に幸せな思い出を抱きしめて逝きたいから。本を読んだり手芸を楽しむのも、死んだ後に病弱だったから不幸でかわいそうなんて、誰にも言わせたくなかったから。
大切な人と話すってことや、趣味そのものを楽しめてなかった。
今を生きてなかったのよ。
寂しそうなんて陳腐な言い方しか出来なくても、あいつにはきっとそれが分かってたのね」
シーナさんはアイスクリームがカップの中で溶けていくのも忘れたみたいに窓の外を見ている。
こんな時、人徳も教養もない私は何も言えない。
けれど、リカルド様は真っ直ぐにシーナさんの目を見た。
「もう一度、彼に会いに行かないか」
「ええ!?いいわよ、別に」
「え。会いたくはないのですか」
「いや、どんな顔して会いに行きゃいいのよ!」
「それが本音か」
今まで強気だったシーナさんの顔がカッと赤くなった。反対に、リカルド様はこういう時だけ目付きが凛々しくなる。
「いや、ほんとにいいのよ!
嘘でも何でもなく、結婚したのだって恋っていうより信頼が理由なの。こいつになら人生半分預けてもいーかなみたいな…正直あいつが好きって言うより、こんな体のあたしが結婚って楽しみを味わえるならラッキーって気持ちだったのよ」
「だから何なんだ?
恋ではなくとも信頼出来る相手なんだろう?
結婚できるなら誰でもよかったのだとしても、置いて言ってしまって顔を合わせづらいと感じる程には彼が好きなんだろう」
「だ、だって、それは──」
シーナさんは何かと喚くが、全部文章になっていない。そんな彼女を置いて、リカルド様は私に向かって目を細めた。
「明日からはまた仕事になる。今日は旅の荷造りをしてゆっくり休んでおくんだ」
「ちょっと!だからあたしは会いに行きたくなんかないって──」
「私、頑張ります」
リカルド様は笑った──と言うには表情の変化が小さすぎるけど、笑うみたいにますます目を細めた。
「今日のうちに好きなものを沢山食べておけ。デザートのお代わりでも作らせよう」
「いや頑張らなくていいのよ!本人の意向無視しないでよ!」
「チョコミントアイス、お好きですか」
「好き!」