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黄金色の涙 1945 himawari  作者: 日南田 ウヲ
53/54

後編㊽

 

 ――時代を回転する雲が降らせる雨雫の様だ


 哉が語る言葉の側で涙する老婦人を見て綾子は思った。

 老婦人の兄が語ったことは一人で死に向かう孤高の画人と、また時代と言う混沌に刃を入れて向き合う孤高の政人が重なり合い時代を交錯させてゆく、それはまるで激しいリュート奏でて見せる激しくも張りつめられた琴線のように綾子は感じないではいられなかった。

 そして老婦人もまたその琴線に触れたのだろう、何かが切れて顔を伏せて涙をこぼしたのだ。

 綾子は目の前のソファに座る白髪交じりの端正な顔つきの老人、――森哉を見た。

 彼は自分が抱え込み仕舞い込んで来た最愛の弟の最後の時を、その弟を愛した妹に告白したことで心の焦燥が見えてはいたが、それでもしっかりとした眼差しで綾子を見た。

 綾子は自分を見つめる哉の眼差しの奥に何か僅かに開かれたものを感じた。それは長年隠して来た秘密を背負って来た孤独から解放された、――風、かもしれない。

「哉さん、いま語られたことこそ貴方が長年隠されて来た秘密…、そこにあなたは長く寄り添われてきたんですね。それは最愛の人の最後を伝えるべきかどうかという苦しみを一人背負って…」

 綾子は長い黒髪を揺らす。揺らした黒髪は時代の幕の様に滑るように肩から落ちて行く。そしてそれが上がる時、新しい時代が来るのだと信じる誰かの声を聞く様に、綾子は顔を上げた。

「そして語られたそこにこそ、——向日葵の秘密もあった…」

 哉は首を縦に振った。

 否定はしないという事だろう。

 綾子は頷く。

「つまり弟の護さんが仕掛けたことこそ、――我が家に長年隠され続けた『芦屋の向日葵』の秘密…」

 綾子の鼓膜に此処には居ない姉、玲子の声が聞こえる。


 ――綾子、あなたはあなたの方法で向日葵の秘密を探るのよ


「…それは」

 言ってから綾子は哉を見た。そして隣で涙する頼子老婦人も。

「…731部隊と新島新平を繋ぐもの」

 哉の眉間が深く皺寄る。

「そうだ、しかし頼子はこの向日葵の具体的な事は知らない、今私が語って初めて知ったことだろう。私が頼子に言ったのは――これから亡霊が動き出すんだとしか言っていない」

「亡霊?」 

 綾子が哉に問いかける。

 その意味を。

 哉が意味を推し量ろうとする綾子に強い口調で言った。

「それは、――新島が試した薬で苦しんだ人々の亡霊が動きだすのだという意味だ」


 ――亡霊


 綾子の心の壁が動く。

 …亡霊、

 それは正に『ファントム』


 綾子はその言葉を心の壁に打ち付けた。打ち付けた時、心の中で影が揺らめいて動いた。それは自分の心の奥底に潜む自分の『亡霊』なのか、それが突如浮かんで揺らめいたのだ。

(私にも亡霊が見える?)

 綾子はその影を認識した時、老婦人が兄の背を摩るのが見えた。

「いいのよ、兄さん。私は兄さんが漏らした新島への一言で全ての意味を図れる程の人生を歩いてきたの。ただ、哉さんの最後だけは知らずのままだった。でもね…」

 老婦人が綾子を見る。

「…これで、新島に対して立ち上がった人々の全ての気持ちの破片が完成したのよ。最後まで完成されなかった私の過去の欠片は今、兄さんが語ってくれたことで、私は完成したのだから」

「頼子…」

 哉が妹を見た。

 見て、綾子を見る。

「全ては芦屋の向日葵に在るんです」

 哉が強い口調で言う。

 それから立ち上がると時計を見た。時計を見て、彼は何かを確信するように頷いた。

「そしてそれをあなたのお父さんが持っていることを私は知った。だから私は暗喩の意味を籠めて昔、お父様に私が護の部屋で撮った向日葵の写真を送ったのです。それはお父さんの手元に在る筈だ、あなたは見たことがないですか?」


 ――写真…


 そこで綾子は不意に顔を上げた。

 そう言えば父の書斎であるアルバムを見た記憶があった。

 それは父が海外出張へ行く際に手元に置いていつでも見れるようにできている向日葵だけが集められた写真のアルバム。

(…まさか、あれば)

 そう思うと亡霊を認識した綾子の心眼が先程認識した亡霊の影を再び浮かび上がらせた。

 綾子が認識した影、

 それは

 自分の父、乾洋一郎の姿だった。


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