後編㊵
「近松さん!!」
権田の声は飛び上がらんばかりの喜色だったかもしれない。何故ならそこには今自分が一番会いたいと願っていた二人が居たからだ。
それは
近松刑事と
そして
水野静
自分が得た推測というか回答をこの二人に話したくて仕方がなく、大阪駅の人混みを年甲斐もなく駆け出した自分を、このような奇禍が訪れるとは思わなかった。
「何や、すごく嬉しそうやな」
権田へ言った近松の目深く被る帽子の鍔下から覗くサングラス越しの目が優しい。
それに破顔して権田が答える。その視線は近松の背後にいる水野にも向けられた。
「ええ、勿論です。自分で言うのも何ですが…、この一連の件で私なりに分かったことがあって…それを、どうしてもお二人にお伝えしたくて」
権田の言葉に思わず近松と水野が顔を見合わす。そこにはまるで時間という釣り針が落ちて来て、まるでそれを同時に見たと言う感慨が表情に浮かんでいた。その釣り針は自分も見たものであるような、そんな何とも言えない感慨を権田も感づいた。
だから二人に言った。
「もしや…お二人も、綾子さんの誘拐の件で何か…」
近松が急くように権田と水野に言った。
「歩きながら話そう。何やらめいめいで何かが起きているようだ。水野先生のアトリエへ向かおう」
言ってから近松が肩を切らせて天満橋のアーケードの人混みを掻き分けて進んでゆく。その後に続くように権田と水野が続いてゆく。
雑踏の中を歩く三人はこの時、まさに同じ時代を生きている。生年が互いに異なる各々に一体何が迫ろうとしているのか。
唯同じ時を生きていると感じさせる夏風が商店街を長く繋いでいる縄下で白い紙垂が揺れている。
それを見つけた権田が誰に語ると無く言った。
「もうすぐ天神祭ですね」
それがどういう意味を指すのか。
無意識の内に、乾玲子との約束の刻限を暗に指し示しているのか。それとも自分達に降り注いでいる乾綾子の誘拐事件の解決を期待しているのか。
それはすべからず答えるべきものが答えるべき問答かもしれない。
「…権田さん、向日葵は描き終えましたよ」
水野の声に権田が振り返った。水野の表情はやつれているように見えたが、その眼差しは凛としてその奥深くで青い情念のような炎が見えた。まるで紅蓮のような炎ではなき、何事か隠されていた秘密を探し当てた、それを暗闇で照らす青い炎の様な眼差し。
「水野さん…」
思わず声を出す権田。
しかし何事か次の言葉を出そうとする前に近松が言う。
「まぁ、権田さん。そう言う事や。それでそれ以外に厄介なことが起きた」
「厄介な事?」
権田が近松に問う。
「まぁはっきりとは言いたくないが、権田さん。少しばかり水野先生と向日葵をあんたに…預けたいんやが」
「預けたい?それは一体?」
僅かに首を逸らせて、近松が権田に言った。
「まぁ、つまり水野先生の身柄をと向日葵をLEONに匿って欲しいんや」
「えっ?」
理解できぬことに権田が足早に近松に足早に寄る。
「それは…どういう事です」
近松は帽子の鍔に手を遣りながら言った。事の成り行きを水野が見つめている。
「権田さん、どうも誰かが先生に近寄ってきている。それも…ちと厄介な連中がな…」
「厄介な連中?」
権田の声が汗ばんだ。
「せや、まぁここは何も聞かんと黙って俺の言葉を聞いて先生の連中からの逃亡を手助けして欲しい。なんせ先生はアトリエ以外にいける場所は無いし、それに絵を隠すなら、それは絵の中が一番いい。…玲子嬢ちゃんが言う誘拐犯に渡すまで大事に隠しとくには、LEONが一番見つからずに安全やからな」
権田は何も言わないが、どうも事は性急を要するのを感じた。
権田は首を振った。
「…ええ、良いでしょう。LEONには倉庫もあり、簡単な仮眠ができる様にベッドもありますから」
言って水野を振り返る。
「絵はどうします?水野さんはバイクが在りましたね。それでLEON迄来られたらいいですが」
それに近松が即答する。
「まぁしゃないけど、タクシーでもこっから捕まえて、俺と権田さんとでLEON迄運ぼう」
決まってゆく決定事項に水野は何も言わず聞いてる。
今は刑事の行動に全てを委ねる方が賢明だと言うのは水野にも分かる。事実、誰とも知れぬ者が確実に自分に迫って来ているのだ。自分は画家である。近松のように犯罪と背を突き合わすように生きて来た訳ではない。
「ええな?先生?」
近松の確認に水野は頷く。
頷くとアトリエのビル前に来ていた。そこで立ち止まると権田に言った。
「権田さん、少し世話になります」
言うやビルの中に入り螺旋階段をあがりアトリエに向かった。その姿が消えるの見届けると今度は権田が近松に言った。
「近松さん」
声に近松が視線を上げる。権田の口調に何か強い意志を感じた。
自然と瞼が細くなる。
「実は私の方でも…お話したいことがあるのです」
なんや、とは言わず近松は視線を送る。
「実は田川洋子の事です」
「田川洋子?」
「ええ、私実は彼女の事を昔から知っていたようなんです」
近松の眉が動く。
「それは?」
「ええ、実は…」
そこまで言うと螺旋階段を向日葵の絵を抱えて降りて水野が現れた。それを見て近松が言った。
「先生、それを俺らが預かる。先生はこのままLEONへ向かえ、それから…」
近松が権田に振り返る。
「権田さん、大阪に来ていきなりとんぼ返りですまないが…今の事は戻るタクシーの中で聞こう。今は直ぐにでもここから逃亡や」




