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黄金色の涙 1945 himawari  作者: 日南田 ウヲ
39/54

後編㉞

 

 ポケット奥に仕舞い込んだメッセージ文。その中に何が書かれているか気がかりではあるが、洋一郎は今中庭に面して置かれたテーブル席に腰かけている。それは一人ではない。この中庭を有するボザーリ家の前当主トニオ・ボザーリと共に。

 運ばれてくる料理に口に運びながら互いに談笑し合う。その時間はやがて運ばれて来たカフェの香りに中に於いてより一層の香気を発し始めた。

 香気とは、それはカフェの香りではない。二人が互いに口を寄せる様に話している事。それはこのボザーリ家が有していると言われているある秘密の作品についてだった。

 このボザーリ家はルネサンス頃には新興国であったオランダに居た一族だったが、やがて貿易商人として毛織物の扱いを始めると一族の一部がここイタリアに移り、やがてフィレンツェに居を構えた。それがいまの面前に居る老紳士のボザーリ家だった。その事を洋一郎が知ったのは息子のアントニオからだ。

 アントニオは歴史あるフィレンツェの名家として、芸術の教養と理解があり、また美術コレクターであった。無論、洋一郎もそうした気質があり、そうした側面がまた二人の気心を許す間柄となりアメリカでの友情を育んだ。

 唯、洋一郎はアントニオには大事なことは伏せながらもゴッホが描いた芦屋の向日葵の事について折に触れて話を切り出していた。それは消失する前の現存する向日葵を見たという事をだ。そして、事実としてある向日葵に事も。

 アントニオはその事に大きな感銘を受けたのは事実で彼自身もその事は秘密裏にすることを洋一郎に約束した。それは彼等も同じような事実を隠して居たためだ。それがために彼は彼ら一族が秘匿しているある名画のデッサンを有していると洋一郎に密かに言った。秘密を共有する互いの世界の果ての異邦人としての繋がりがより二人を親密にさせたのは事実だった。

 しかし洋一郎はアントニオが言った秘密の名画が誰のどの作品のデッサンなのか知らない。唯彼は「それはいつか洋一郎がイタリアを訪れた際にお見せしよう」という約束付きの事だった。その機会を今洋一郎は得る為、フィレンツェに来たともいえる。

 唯、洋一郎は父であるトニオ・ボザーリと話しいている内に、この父親にもアントニオに負けないぐらいの美術作品に対する造形とオマージュを感じ得ていた。

 だからこそ、このひと時の中庭での時間でこれほどの香気を発する会話が続いたのだ。つまり香気とは芸術へのオマージュ。そして彼ら一族が愛してやまない芸術作品への愛。

「――それで、トニオ・ボザーリ…」

 洋一郎はカップから唇を離すと中庭に差し込む陽光を眩しそうに見つめて、老紳士へ言った。

「アントニオと私には約束があります」

 それを聞いてトニオ・ボザーリは眩しそうに洋一郎を見た。カップから湧き上がる湯気の向こうに東洋人の細くて長い瞼の内に何を感じとったのか、彼は微笑している。

「ボザーリ家にある――ある作品を拝見させていただきたいのです」

 軽く眉を動かすとトニオ・ボザーリは杖で床を軽く三度叩いた。その音に反応するかのように誰かが回廊伝いに消えてゆく。

 洋一郎はその気配を感じながら続けて言う。

「…何でもアントニオが言うには、表には出てこない、いや出せない一族秘匿の作品のようですが…」

 老紳士はそこで頷く。

「そうだね。それは君が見たというゴッホの向日葵と同じ価値があるかもしれない」

 ゴッホの向日葵…

 トニオ・ボザーリの口からその言葉が出て来た時、洋一郎はアントニオから恐らく聞いたのだろうと察した。

(…という事は)

 洋一郎の唇の端に浮かぶ或る事実。

「そう、息子から聞いているよ。君は焼失前の原画を見たそうだね」

 洋一郎はトニオ・ボザーリを見て首を縦に振った。 

 その時、僅かに心の中で波打つものを感じた。


 ――あの時見たあれこそが私の原画である


 そして秘匿すべき《芦屋の向日葵》は今、自分の屋敷の奥深くに眠っている。深く何かを感じ入る洋一郎の表情にトニオ・ボザーリは何かを自得したのか笑った。

「いや…もしかしたら本当は焼失せずにあなたが所有しているのじゃないかな?」

 思わぬ言葉に中に含まれた心臓が張り裂けそうなくらいの穏やかな指摘に洋一郎が顔を上げさせたのと同時に背後に立つ気配を感じた。

「見たまえ、洋一郎。そこにある一枚を」

 洋一郎は振り返ると、そこに立つ一人の男が持っている額に入った絵を見た。それは茶色帯びた紙に描かれた女が振り返る瞬間を捉えた素描画。

(これは…?)

 やがて素描の全体が洋一郎の網膜にはっきりと映し出された時、彼は声も無くその場で立ち上がり、それから再びまじりとその素描画を見て、驚愕の眼差しでトニオ・ボザーリを見て信じられないと言う声音で震えながら言った。

「トニオ・ボザーリ…こ、これは」

 老紳士がさも楽しそうに頷く。

「これは…フェルメールの真珠の耳飾りの少女では!?」

 洋一郎の言葉に頷くとトニオ・ボザーリは言った。

「いかにもそうです。私達の一族は遥か昔、オランダにいましてね。そこで幾人かの画家たちのパトロンをしていたんです。そしてこれはその内の一人の画家の作品」

 トニオ・ボザーリは軽く手を振る。それを合図に男は静かに回廊奥へと去ってゆく。その背を見ながら老紳士は洋一郎へ言った。

「…さてこれでアントニオからあなたへの約束は果たしました。では洋一郎。次はあなたが息子との約束を果たしていただければなりません。そう、あなたは息子に言ったそうですね。――ゴッホ作の芦屋の向日葵、それは密かに今も描かれ続け、そして秘密裏に隠されていると」

 洋一郎はトニオ・ボザーリを見た。老紳士は洋一郎を見てにこりと笑った。

「このことは秘密の事です。ですが、いつか今のようにお見せいただけることでしょうな?さて、その時息子はそれを日本で見ることになるのでしょうかね?」




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