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黄金色の涙 1945 himawari  作者: 日南田 ウヲ
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後編㉔

 夕闇が迫り小さな室内を照らす。

 それ程広くはない畳の敷かれた部屋に布団が一枚在って、側に布が敷かれたイーゼルがあった。それだけで哉は弟があの戦後の一別以来今まで絵を描くのをやめていなかったのだと瞬時に理解した。理解すると哉の心の内に何とも言えない感情が沸き上がった。久方ぶりに見た弟は確かに病状の影響もあって酷く痩せていたが、しかしながら乾家を出た後、一人漁師として生計を海で立てていたのが分かる陽の焼けた肌がその後の弟の生活の厳しさを浮き彫りにさせ、沈み込んでゆく感情が哉を責め立てた。それが再び哉の瞼を濡らす。

「護…」

 哉は言葉を詰まらせる。

「兄さん…」

 答える弟を見向くことができない。唯拳を強く握りしめた。

「…すまない」

 言葉が途切れて哉は何も言えないまま弟から視線を外した。側に立つ新島は揺れ動く兄弟の感情に何か思うところがあるのか、ただじっと沈黙を保っている。

 暫くその沈黙に続く静寂が響いた。その静寂はこの夜限りだけの特別なものになろうとはここにいる誰もが勿論知る由は無い

 。

 静寂を破る様に護が言った。

「今宵…不思議に僕は体調が良くて、実は夕暮れを今眺めていたんです。そしたら窓下から隣の田川さんの声がした。すると誰かの声が聞こえ…まさかあの有名な議員になった新島さんがここに来るはずがないとは思っていましたが…それでも、どうも懐かしい新島さんの声だった。そうおもっていたら…」

「私が現れたという訳か…」

 護は頷いた。それからゆっくりと布団に腰を下ろす。

「すいません、調子が良くてもあまりたつほどの体力が無くて…兄さんも新島さんもどこかそこら辺で楽にしてください。割合綺麗なアパートでね。行政の方の目配りが良いのか最近できたところに入れてくれたんですよ」

 新島は壁に身体を持たれかけ、哉は弟の側に身体を気遣うように背負った鞄を静かに置いて腰を下ろした。

 それから徐に護は口を開いた。

「…新島さん」

 新島が壁越しから視線を下げて護を見る。切れ長の瞼の下で瞳が護を見つめている。

「ありがとうございます。僕の為にこのような配慮を頂いて」

 その言葉に哉が僅かに揺れ動く。

(護…お前…)

 思わず言葉が出そうになるのを喉奥で押し殺す。ただ新島は護の言葉に動じることなくただ僅かに首を動かした。それからもたれかけていた背を僅かに揺らして言った。

「…知っていたのか」

 護が微笑する。

「ええ…まぁ何となくですが。たかが病人ひとりに行政の対応が良すぎるのは大物政治家と繋がりがあることに違いないからだと…」

「瀕死の病人の割には冴えわたる頭脳と明瞭さだな」

 護はそこで急におかしくなったのかぷっと噴き出した。

「ですかね…死の間際に頭が冴えるとはこのことでしょうね」

「護…!」

 兄の言葉が困惑に揺れ動く。動揺が隠せないのだ。弟の言葉から出た死という言葉に。

 護が瞼を開けて兄を見る。

「兄さん…頼子さんはお元気ですか?」

 この瞬間、部屋が凍り付いた。その言葉はここ居る全てを瞬間に凍らせる強さがあった。


 ――しかし、弟は言った。


「聞きたいのです。僕の人生の全てはもう夕暮れ向うの遥か彼方に消え去るのです。あの夕暮れの向こうにやがて星空が輝くように、僕はその星になる。それから僕は…」

 そこで言葉を切ってから二人を交互に見る。

「きっとこれからの皆の人生を星空から眺めることでしょう」

 そこで護は大きく咳き込んだ。咳き込む弟の背を兄が優しく撫でる。

 激しく咳が続いて、やがて護が落ち着きを取り戻すと、哉が弟に言った。

「すまない、護。いくら自分の事とは言え、お前に…お前に…」

 涙含む言葉が言い終わらぬうちに、新島が護に力強い口調で端的に言った。

「護君、頼子は元気で息災だ。幸せかど羽化は分からないが私の妻として立派に努めている。子供もいる」

 その強い口調の言葉向こうで哉が振り返る。そこには困惑と怒りが含まれていた。


 ――よくも弟の前でそんなずけずけと


 感情が哉の膝に力が入り、思わず立ち上がろうとするのを弟の言葉が制止した。

「兄さん…」

 掛けられた言葉に振り返り弟を見る。弟の顔がじっと新島を見ている。新島も弟を見ていた。

 それからややあって弟が首を僅かに振って、微笑した。

「…ありがとう。新島さん」

 新島の瞳に護が映る。

「僕は人生で恋に破れた。それもあなたに」

「後悔しているのか」

 鋭い口調で新島が問いかける。

「いえ…」

 護が静かに兄に視線を向けた。

「今となっては良かったと思います。頼子さんにとってこうして病気で消え去る僕と人生を共にせず、新島さんのような成功者と共に歩んで行ける道があったことを…僕は良かったと思っています」

 護は視線をゆっくりと動かしながら話してゆく。

「勿論、僕は最初激しく、兄さんも新島さんも…そう、頼子さんも激しく恨みました。いえ呪ったと言ってもいいです。僕は人生の希望を失い、肝臓癌に犯される病魔の潜む身体になった。でも…」

 護の視線が止まった。

「あの向日葵が僕に問いかけるのです。戦後のあの焼け野原で誓った夢がお前にはまだ残っているじゃないかと」


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