後編㉑
駅舎を出た電車はフィレンツェに向かっている。
洋一郎は駅舎を出て行く列車に揺られ、遠くに消えゆこうとするミラノの市街を眺めていた。
これから自分は一人フィレンツェに向かう。
空を見れば青天で素晴らしい。
アレックス卿とは先程駅舎で別れた。自分はその後の時間を小さな旅行に充てた。勿論、心中は娘の誘拐の事で気がかりだが、しかしながら、何処かその危険が無いように感じられないではいられない自分がいる。
自分に対して敵意無き敵ともいうべき彼等に自分はどこか懐かしさを感じられないではいられない自分がいるのを感じているからかもしれない。
それはもしかすると自分の心に浮かぶ幼少の頃兄のように慕った土岐護の眼差しをここ数日思い浮かべることが多くなったからかもしれない。
列車が音と立てて揺れた。緩やかなカーブに差し掛かっている。
(自分は綾子を誘拐した犯人が誰だか既に心の中で検討がついている…)
洋一郎はカーブの先を見つめる視線を厳しくする。
それはその先に有る危険を探そうとしているのではない。その先に見落としていた過去の自分を責めているのだ。
――そう過去の自分を。
洋一郎は目を閉じた。閉じて過去へ向かって歩いていく。
その過去の中で、あの日権田が現れ自分に手渡したものへと歩み寄って行く。
それは白い便箋だった。
(僕が護さんから頂いた白い便箋。それは或る人物宛ての手紙の複写だった。その人物名はそこで消されていたので分からないが…確かに向日葵の絵に隠された秘密が暗に示されていた。その時、同じように渡された古い便箋は一読して直ぐに封をしたが…護さんの肉親である方から護さん宛への手紙だった…)
洋一郎が手に取った便箋を読んでいる。
(自分は少し忘れていたのだ。忙しい日々の中で社長としてすべきことをなしてばかりで過去にあった自分という形をどこかに置き忘れてしまった。それが今、綾子の誘拐事件と共に急務な事として浮かび上がって来た)
手に取った便箋に中で懐かしい文字が浮かび上がる。
(思えば不思議だった。私は権田さん、いや、清君から護さんの死を聞いた後、写真のフィルムが郵送で届いたので、あなたからのものだと思ったがあれは違っていたんだ。勘違いだった。私が所有している向日葵の絵の写真はそう…、あなた森哉さん、あなたが撮ったんだ)
過去の手が伸びて便箋の文字を撫でた。洋一郎はそこで深いため息をついた。
(しかし森さん、あなたは…いつ…それを撮られたのですか?芦屋の向日葵を)
洋一郎はそこで目を開けると窓から見える空を見た。そこには真っ青に広がるイタリアの空が続いていた。




