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黄金色の涙 1945 himawari  作者: 日南田 ウヲ
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後編⑦

 その日は九月の長雨が去った十月も近いと言うのに残暑が厳しい暑い日だった。

 修復されたピカソの絵を受け取ってから、権田は暫く護に会っていなかった。

 少し暑い日が続いたこともあって権田自身が夏バテしたのも外出をしなかった理由だが、どちらかというとどうも得も言われない不安が心の中にうずくまっていたのが本音だった。

 別れた後、手紙が届いたのである。護の体調がすぐれないと書かれていた。それが絵も言われない不安を権田の心の中で掻き立てた。

 だが、このまま訪れないでいれば不安が増すと思い、すこし暑さも落ちついた今日、久しぶりに護の所に行こうと思って三宮で果物を買い、西宮までやって来た。

 病気見舞いである。届いた手紙には新しく越した住所が書かれた簡単な地図が一緒に入っていた。

(護さん、大丈夫だといいが・・・)

 権田は初めて訪れた街を、そう思いながら地図を片手に歩いている。

 幾つかの道を曲がると地図に書かれている住所の標識が見えた。

 目の前にアパートが見えた。するとちょうど良いところに少女がアパートの階段を下りて来た。少女は手にスケッチブックを持っていた。

 権田はその少女に声を掛けた。

「お嬢ちゃん。ちょっと悪いんだけど・・」

 少女が振り返る。腰を屈めて少女に問いかける。

 残暑の陽ざしが少女の頬を照らす。

「このアパートのどこかに土岐さんって人いる?」

「トキぃ・・?」

「そう・・土岐護さんと言うんだけど」

 権田が噴き出す汗をハンカチで拭いた。

「どんな人?」

「そうだねぇ・・」

 言ってから権田は少し考えた。少女が分かるような特徴などあるだろうか?護自身は別段普通の男だった。特別何かあるとすれば絵を描いているだけだ。

 ふーん、と言って権田は少女を見た。スケッチブックが目に入る。

「あ・・そう、その土岐さんてね。絵がうまいんだよね。もしかしたらお嬢ちゃん知ってるんじゃない?」

「絵がうまい?」

「そう、絵がね」

 すると上で声がした。

「おたく・・うちの娘にご用かね?」

 権田はその声のする方を見上げた。すると階上の方で白いシャツを着た男がこちらを覗いている。

 三十代ぐらいだろうか、きちんと分けた髪をして黒縁の眼鏡をかけていた。

 権田を見つめる視線が厳しい。

 もしかしたら変質者かと思われたのかもしれない、権田は焦りながら階上の男に言った。

「いや、怪しいものではないんです。実はこの付近に僕の友人で土岐護さんという方が越して来たらしくて、それでお嬢ちゃんに伺った次第です」

 焦りを消すように地図を振って男に見せる。

 その様子を見て男が驚いて権田に言った。

「土岐さんだって?・・」

 男が間を置く。その間が終わるの待ちきれずに権田が言う。

「ええ、そうです。土岐護さんです。ご存じないですか?」

 すると男が階上から消え、階段を下りて権田の前に現れた。

「あんた?お知り合い?」

 男が眼鏡を持ち上げて聞いた。

「ええ、そうです。昔からの知り合いです。戦後からの付き合いなんですが・・」

 男が権田の顔を見つめた。それがひどくどこか悲しそうに見えた。

「そうか・・じゃぁ知らなかったんだね」

「えっ・・何がです?」

 権田は胸騒ぎを感じた。

 すると少女が父親の側に来て、見上げるように言った。

「ねぇ・・お父さん・・この人、あの綺麗な女の人の絵をくれた亡くなった絵描きさんの知り合い?」

 少女の突然の言葉に驚いて、権田は思わず手にしていた果物を落とした。落ちた籠から林檎が滑り落ちて道端に転がって行く。

「な、なんですって!!・・亡くなった??土岐さんが??」

 大声を出して驚く権田を落ち着かせるように男が権田の肩に手を置くと近くの日陰に誘うように連れて行った。

 そこで男は辺りを見回すと誰もいないのを確認して、権田の気持ちを落ち着かせるように話し出した。

「そうですか・・ご存じなかったのですね。まぁこちらに越してきて日も浅かったですしね。一応、亡くなったことは行政にも届けて土岐さんの身内の方にも連絡をするようお願いはしたつもりですが・・・ご連絡は無かったですか・・まぁなんでも昵懇にしている身寄りもないとか行政の方はいってましたが・・・」

 呆然と権田は男を見つめている。信じられないと言う顔をしていた。

 自分には何も連絡が無かった。いや、おそらく洋一郎にも連絡が無かったに違いない。もし洋一郎が知っていれば自分にも連絡があるはずだからだ。

 昵懇にしているものがいない。そんなことがあろうはずがない。

 あまりの突然の衝撃に声もなかった。だがそんなことは今どうでもよかった。

 権田は叫びたかった。

(僕は一体・・何をしていたというのだ!!)

 自責の念が心を強く締め付ける。

(一体、何をしていたというのだ!!あの・・護さんが亡くなったのだぞ!!僕は近くに居ながら恩人の護さんに何をしていたというのだ!!)

「戦後の頃からのお知り合いでしたか・・?」

 男の声が遠くで聞こえた気がした。

 権田はただ茫然としていた。

「葬儀は・・先日近くの成願寺というお寺で執り行われました。土岐さん、身寄りはいなかったみたいですが議員さんに知り合いがおられたみたいで、その方が葬儀は小さいながらも執り行ってくれたようです」

 そう言ってから男がズボンのポケットから何かを取り出して権田に渡した。

「これはその時の議員の方の名刺です」

 権田は渡された名刺を手にしたが、それを見ることなくポケットにしまった。

 それから権田がうなだれるように言う。

「遺骨は・・」

「ええ・・その議員さんが持ち帰られました。なんでも東京の方に土岐さんの遠縁の方がいるとのことでしたから」

「そうですか・・」

 権田はアパートを見上げた。

「護さんの部屋はどこでしたか?」

 男が静かに指差す。それは四階の一番右側だった。

「亡くなった土岐さんを見つけたのは私です。日曜日の明け方でした」

 権田が小さく顔を上げた。

「隣の部屋で大きな音がして変だなと思ったのですが、こちらも寝起きだったので少し様子を見ていたんです。でもどうも何も気配がしないので不安になって部屋のドアを叩いたんです。しかし土岐さんとお呼びしたのですが声が無い。部屋の鍵はかかっているから病気をされていたのは知っていましたし、何かあったのかと思い一階の管理人を呼んで一緒に鍵を開けて部屋に入ったら・・」

 男が目を伏せた。

「静かに・・布団の上でお亡くなりになっていたのです」

 権田は頬から涙が溢れるのを抑えることができなかった。それはついに大きな嗚咽になって、やがて権田は泣き崩れた。

 男が権田の背を摩りながら言った。

「私が言うのもなんですが・・それはとてもとても満足した清らかなお顔をしていて、口元に微かに微笑が浮かんでおられました」

 権田は手の甲で涙を拭いた。それから男の手を取ると頭を深く下げた。

「ありがとう・・ありがとうございました・・・本来なら近くにいる友人の僕が・・護さんの最後を見送らなければならないのに・・見ず知らずのあなたにご迷惑をおかけしてしまい・・すいません。心よりお礼申し上げます」

 落とした時に転がった林檎が道路の端に見えた。

 権田はそれを取ろうと手を伸ばしたが、それに気付いた少女が小走りで林檎を手に取ると権田の所に持ってきた。

「はい、おじちゃん」

 権田は少女が手にしている林檎を受け取ると思いっきり涙目で笑った。

「お嬢ちゃん。絵描きのおじちゃんから絵をもらったのかい?」

「うん」と元気よく答えた。

 その少女の頭に父親が手を乗せる。

「この子、知らないうちに隣の土岐さんと仲良くなりましてね。すごい絵を頂いたんですよ。勿論、模写ですが。その絵、最近近くの美術館で開催していたルノワールの作品の模写なんです」

「そうでしたか」

 権田が答えて腕で涙を拭くと立ち上がった。

「その絵を見せていただきたいです。僕は実は画商なんです。土岐さんはうちのギャラリーのお抱えだったですよ。凄腕の絵描きでした。その絵をみせてください、お願いします」

 男は権田の涙で赤くなった目を見ると微笑して言った。

「ええ、これも何かの偶然かも知れませんん。実は私達も来月には滋賀県へ越すのですよ。あなたの訪れるタイミングがずれてしまっていたらきっとお会いできなかったでしょうしたから」

 権田は強く首を縦に振ると「きっと、そうです。そうですとも」と言った。

 男は権田を見て頷いた。

「私は田川と言います。良ければ家へ起こし下さい。娘が頂いた作品は確かルノワールの《イレーヌ嬢》と言った筈です」


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