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1.うわさ

 もうすぐ新しい総督がやってくるらしい。

 そのうわさは瞬く間にベルヌス族の間に広まっていった。


「帝国の人間なんて、みんな同じに決まってる」

 ウルスラはうんざりしたような声で双子の妹に応えた。


 初夏の朝まだき、双子の姉妹は身支度を整えながらうわさ話に花を咲かせていた。

「そうとも限らないかもよ」

 ウルスラの髪をくしけずりながら、ギーゼラはなだめすかすような口調で言う。

 つややかに波うつ赤みがかった金の髪。丁寧に梳いてさえおけば、誰もが目を留めずにはおかないであろう豊かな髪だ。けれども不精なウルスラは、放っておけばろくな手入れすらせず、飾り気もなくただ乱暴に束ねるだけ。

 ギーゼラにはそれが耐えがたいようだ。自分と同じ容貌を持つ姉が身なりに気遣いを見せないのは、まるで自分自身が恥ずかしい格好をさらしているように思えるらしい。


 ベルヌスの族長には十六歳になる双子の娘がいる。

 猛きウルスラと、麗しのギーゼラ。

 双子の容姿は瓜二つだ。しかし、その気質はずいぶんと異なっている。

 姉のウルスラは明るくて無骨。すぐれた剣士にして狩人である。男に比べれば膂力こそ足りないが、投石にかけては右に出るものはなく、鋭い目で的をとらえて正確に射抜く。

 妹のギーゼラは聡くてたおやか。幼いころから賢者のもとでさまざまな知恵を学んできた。今では一族に伝わる伝承歌をほとんどそらんじているし、薬師のわざにも心得がある。

 ただぼんやりと眺めただけならば、ふたりを見間違えるかもしれない。だが、その歩む姿を見れば、あるいは語る言葉を聞けば、双子を取り違える者はいないだろう。


「聞いたことがあるでしょう、東のヴェネラントを平定した副帝のことは。あの副帝がそのままこちらの属州総督に収まるらしいの」

「ふむ」

「それまで軍歴なんてまるでなかったのに、皇帝の義理の弟だという理由で軍を任された。それからたった三年で、ヴェネラントは帝国の手に落ちた。古今並びなき名将、とまで呼ぶ者もあるとか」

「む」

 うさんくさい、と言わんばかりに、ウルスラが鼻を鳴らす。

 そんな姉の態度に軽い笑いを洩らしながら、ギーゼラは続けた。

「古今並びなき、は、さすがに言いすぎよね。けれど、この間までいたあの総督とはだいぶ違うはずよ。あの、腐れた、豚野郎」

「豚野郎はないな。あんなのと比べたら豚に失礼だ」

「そうね。食い意地が張っててやたらと太ってるくらいの共通点しかないんだから、一緒にしたら豚がかわいそう。あいつには豚ほどの価値もなかった」

「だな」

「ともかく、武勇の誉れ高く、部下にも評判のいい人間なんですって。それと、もうひとつうわさがあって」

 ギーゼラは声をひそめて、もの思わしげな調子で言う。

「副帝は若くてまだ独身なんですって。それでもしかすると、私たちのどちらかを花嫁として求めるかもしれないって」

「む……」


 初耳だった。だがその理由はウルスラにもなんとなく推測がついた。

 かつて、この北の地の氏族は上王によって束ねられていた。

 ベルヌス族の族長の娘はその上王の血を引いている。

 上王への尊崇の念は、いまだ氏族の民の中に息づいている。氏族にとって族長の双子の娘は、栄華の日々の残光と言うべき存在だ。

 皇帝の後継者とも目されている副帝が、ベルヌスの姫を妻に得る。それは帝国がこの地の氏族と深いつながりを望んでいることを示すものとなるだろう。


「上下の順に従うなら、妹である私に声がかかる可能性が高そう。ただ私たちは双子だから、どっちが姉で妹かなんて、正直たいした違いではないけれど」

 どことなく投げやりな調子でギーゼラが言う。

「ギーゼラ」

「どっちにしても、まともな人だといいわね」


 なんと応えたらいいのだろう。

 返事に詰まったウルスラの耳に、屋外から呼びかける声が届いた。

「ウルスラ!」

 ウルスラは振り返って妹に会釈すると、つと立ちあがって窓辺に寄る。

 押し窓を上に押し上げてひょいと顔を外に突き出すと、箙を負った体格のよい若者が窓の脇に立っていた。

「アルベルン。すまない、もう少し待ってくれないか」

 返事だけをして、ウルスラはすぐに首をひっこめた。

「今日は狩りの予定?」

 首をかしげてギーゼラが問いかけてくる。

「ああ」

「アルベルンを待たせるわけにはいかないわね。せっかちな人だもの」

「気にしないで。あいつが来るのが早すぎるんだ」

「それだけ待ちきれないってことなんでしょう」

 ウルスラの気のせいだろうか。ギーゼラの声にはどこか棘が含まれているように思える。

「なるべく簡単に、でも崩れにくいように仕上げるわね。今日は編み込みに仕立てるつもりだったけど、束ねて編み下げるだけにしておいたほうがよさそう。それなら簡単だし、邪魔にもならないでしょう」

「うん、それでお願い」

 ギーゼラは手櫛で姉の髪をまとめると、慣れた手つきで素早く三つ編みにしていく。

 妹に髪を委ねながら、ウルスラはアルベルンのことをぼんやりと考えていた。


 アルベルンはウルスラよりも二つ年長の十八歳。獅子のたてがみのような金髪をたなびかせた、丈高い威丈夫だ。武術の腕前は抜きん出ており、同年輩の若者の中では一目置かれている。そんな彼を周囲の者たちは族長の跡取り娘――つまりはウルスラの婿候補と見なしていた。

 誇り高いアルベルンはそのことを喜んでいるようだ。だがウルスラはいま一つ納得できないでいる。

 アルベルンは幼馴染で、昔はいわゆるガキ大将だった。

 子供のころのアルベルンは、ウルスラを男仲間と同様に扱っていた。だからけっこう乱暴な扱いを受けていたし、いじめられたことだってある。今でもその名残はそこはかとなく残っていて、気安くはあるものの、胸を焦がすような慕わしさを感じたことはない。

 決して嫌いではない。むしろ気の置けない間柄だ。けれども歌物語に出てくる恋人同士のような関係を求めるべき相手とは思えない。


(だけどギーゼラは……)


 なんとなく気づいている。

 ギーゼラはウルスラとは異なる思いをアルベルンに対して抱いている。そしてアルベルンもまた、ギーゼラが相手のときは、ウルスラを前にしたときとはまったく別の反応を見せているように思う。


(もし本当に新しい総督がギーゼラに求婚するつもりなら、代わりに私が応じるべきなんだろうか)


 それなら四方まるく収まるのではないか。ベルヌス族は帝国と縁を結び、一方でギーゼラは意中の相手と夫婦になれるだろう。


(ああでも、そんなのきっと無理)


 そもそもギーゼラを差し置いてウルスラを求める男などいるはずもない。

 男勝りで、粗忽な女。同じ顔をしていても、ギーゼラとは大違いだ。

 ギーゼラは楚々としていかにも女らしく、その上聡くて賢い。

 ウルスラとギーゼラ、どちらを妻に迎えたいと思うかと問われれば、たいていの男はギーゼラを選ぶだろう。

 ましてや新総督は帝国人、しかも都育ちの皇族だという。

 麗しのギーゼラならまだしも、猛きウルスラなど、歯牙にもかけないのではないか。

 第一、ウルスラだって帝国人との結婚などごめんこうむりたい。

 先代の総督はいやな男だった。

 自分自身はろくに現地の言葉もしゃべれない。通辞なしでは会話を交わすことすら難しいくせに、ベルヌス族の者たちを蛮族とさげすみ、人間以下のものを見るような目で眺めていた。

 あの男は飽食を好み、色を好んだ。奢侈な品々を扱う商売人に限ってはいい思いができることもあったようだが、狩りと農耕を主とするベルヌスの民には、おおむね評判の悪い人物だった。

 帝国の人間とはそんなに付き合いがあるわけではない。だがあの総督のせいで、ウルスラの帝国に対する印象はろくでもないものになってしまっている。

 ただ、今度の総督はどうなのだろう。

 ベルヌスの民は武を尊ぶ。すぐれた将軍であるといううわさの新総督とならば、うまくやっていけるかもしれない。


(でもみんな、単なるうわさだから)


 実際のところどうなるのかは、まだなにもわかっていない。気を揉んだところで何の役に立つというのか。

 それよりは、今日の狩りの手順でも考えたほうがよほどましだ。

 心して頭を切り替えて、ウルスラは髪が仕上がるのを待つことにした。

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