表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「イベリアのサバト」 第1書簡 ・南欧の娘達・編 〜練習朗読台本〜

作者: 黒実 音子
掲載日:2016/12/05

■■■前狂言■■■


シデ虫、シデ虫・・


私の墓地の盟友・・

私の卑屈な相棒よ・・


私が死んで納棺された時、

誰も私の為には涙流してくれまいが、

神ですら私を忘れ、

アニュス・デイの調和に酔い痴れる時、

お前達だけは私の屍を喜んで、

貪ってくれるだろう。


それが唯一の慰め・・

我が喜び・・






■■■イベリア周辺の百姓娘について■■■


例えば、イベリアの貧しい百姓娘が神に祈ったとする。

すると、だいたいその内容はこんなものだろう。


「ああ、主よ!! 私達の主よ!!

なぜ私の暮らしには、

豊かさというものが訪れないのでしょう?

なぜ私はいつも貧しく、

硬い骨壺の中にいるかの様な

光の無い牢獄で

毎日を送らねばならないのでしょうか?

魂まで汚れる泥土の仕事に追われ、

手足の凍える水仕事を義務とされ、

貧しい(アンダリーカ)を潰すのです。

毎晩の夫の暴力にさらされ、

それを悲しむ間もなく眠ったかと思えば、

早朝に羊や雄鶏共より先に目を覚まし、

ああ!!

やはり、繰り返される日常を

生きてゆかねばならないのです!!

ああイエス様!! 

何も私は、ヘロデ王の様な

背徳の富を望むわけではないのです。

エンドルの魔女の様な

不相応な英知を望んでいる訳でもないのです。

聡明なる貴方様ならおわかりでしょう?

ただ、毎日の日々に

生きる望みが欲しいのでございます。

墓穴に至るまで、永遠に繰り返される日常に、

ほんの少しの安らぎが欲しいのでございます。」


しかし、大抵の場合、

神は哀れで無知な百姓娘に対して、

何の返答もしてくれない。

我らが全能なる主は、

最終的に、もっと大きく偉大なモノを

その娘に与えるつもりなのかもしれないが、

ともかく、

そういった目先の願望を叶えてくれるつもりは

当面無い様なのである。

そこで、我らが哀れで無知な百姓娘は、

次に、もう少し気さくに

自分の話を聞いてくれる

閑人に愚痴をこぼす事になる。

「人の良い若旦那」をその話相手に選ぶ事になるのだ。

ここで、少しでも分別のある信心深い娘なら、

そんな愚かな行為は踏み止まるものだ。

閑人で、人が良い、聞き上手の若旦那など、

少なくともここイベリアでは、

金貸しか、悪魔(あくりょう)しかいないからである。

悪魔は娘に対してこう言う。


「ああ、お嬢さん・・

硬土の中から叩き起こされ、

願いを叶える代わりに、

叶えた分の情けと、

手間賃に相応の報酬をいただきますよ。

ヤギの餌代位にはなるんでね。」


つまり、死後にその魂を自分に譲り渡せ、と言うのである。

ただ、悪魔の方も事情があって、

富や幸せを百姓娘に与える事は出来ないらしい。

なので、代わりに

ちょっとした悪知恵を娘に与える事で妥協させる。

聖書には書いていない

[地獄の知恵]をさわりだけ娘に教えるのである。


この話の大事な所は、知恵を授かった女達が、

多かれ少なかれ幸せになれない、という事である。

神は小賢しい知恵者よりも、無知な羊飼いを好むからだ。

だが、それを悪魔のせいにするのもどうだろう?

なぜなら、現実主義者と百姓娘は、

元々、悪魔と関わらずとも

幸せにはなれないものではないか?


真実をより多く見てしまったが故に、

彼らは平凡な帰路にはつけない。

絶望を踊る者にとって、

踊る相手が悪魔だろうと、ヒモ男だろうと、

砂蟹だろうと変わらないのである。


悪魔と百姓娘のやりとりは、

今も昔も変わらず、こんなものだが、

彼女達は不幸であるから悪魔を呼ぶのか、

悪魔を呼ぶから不幸なのか・・

それはわからない。

それとも意外に、彼女達は幸せなのかもしれない。

なぜならルシタニア人は、結局の所、

不幸を肴に酒を楽しむからである。


ああ、その哀れな賢人・・

百姓娘こそが、

我らが盟友にして、墓場の哲学者。

つまりはイベリアの魔女なのであるぞ!






■■■サバトで奏でられるフラメンコについて■■■


イベリア地方で開かれるサバトでは、

様々な滑稽な踊りや歌が披露される。

その地に昔から伝わる土着の踊りを、

魔女達は上手く自分達の踊りに取り込むのだが、

それは、随分と

卑屈で滑稽で醜悪な踊りなのである。


というのも、それには理由があって、

例えば、フラメンコの名手は、

決してサバトに来る事がないからだ。

サバトの出席者は、

世の中では日の目を見る事の出来なかった

落ちこぼれ、はぐれ者、追放者ばかりでなくてはならない。

ああ、よく考えて!!

そうでなければ、誰が好き好んで

このような悪趣味な

負け犬達の集会に集まるだろう?

彼らはフラメンコを弾き、それを踊る事はできても、

決して一流には弾けないし、踊れないのだ。

日常では一流の奏者の片隅で、

あるいは舞台下で

巻煙草を銜えて、

自分の靴に唾を吐いている様な連中が、

内戦で敗れた党員が、

世に認められない(げい)仏蘭西(じゅつか)が、

置いてはいけない場所に石を置く庭師が、

サバトでは、ここぞ自分達の晴れ舞台

とばかりに踊り狂うのである。


そこで披露されるフラメンコや、ギターラの技法も、

当然ながら正統なものではない。

サバトの主催者である悪魔は、

パロディをこの上なく好むからである。

ああ!! かつて

様々なものを自分達の文化として取り込んだ

ボヘミアの隠遁者達を悪魔は褒め称えたではないか!!

響かない割れたラテンギター、

足の折れた、水の滲むセロ、

合わさらないカスタニョラス、

党の色に赤く塗られたパエリャ鍋が

ここでは脚光を浴びるのだ。

甲虫の墓石(ホンド・ジ・トンベストン・)のロンドが

(ジ・エスカラベール)われる為に。


サバトというのはブロッケン山だけの特権ではない。

ドイツに限らず各国で開かれる。

また深い森の中や、山の頂の荒野ばかりでなく、

人気の無い墓地や、古代の神殿の跡などでも、

いわくつきの夜に開催される。

自分の親方が開いた祭りには、

例え、イタリアからスペインにだろうと

小物の魔女達は飛んで来なければならない。

その繋がりは絶対である。

それを覆す無頼な異端者達は、魔女の中でも外れ者であり、

悪霊達が最も恐れる女である。

怖れよりも、高く聳え立つ誇りを持つ者は、

悪魔すら眼中になく、秘術を捏ね繰り回す者だ。


魔女達の祭り、と言えば聞こえはいいが、

実際のサバトというのは、

これでもかという程の階級付けられた世界である。

それは姉弟子が、妹弟子の日々の行いや、

所業を師に報告する日でもある。

師というのはもちろん悪魔だが、

悪魔(例えば、人の姿すらしていない

蟹や、蜘蛛の・・

しかも、グトゥンなどと名乗る低級な霊)は、

各地からやってくる魔女や妖術使達から

心にもない賛美の言葉や、

贈り物を受け取っては満足そうに

ルンファルド(アルゼンチンの下町言葉)でこう魔女達に尋ねる。


「神を困らせてやる為に、

今まで一体どんな悪行をしたかね?」


そこで魔女達は、悪魔に気に入られようと、

周りの魔女達に見栄を張ろうと、

口々に自分のした悪行を誇らしげに語るのである。


この自慢大会の様なものは、

初期の頃は、

ただ口先で語るだけの嘘の飛び交う虚言の発表会だったが、

悪戯に誇張された嘘や、法螺話はキリが無い・・

と、何処かで誰かが考えたのだろう。

ある時期を境に、各々の魔女が

自分の悪行の証拠となるような物を

持参する様になった。

結果、やれ

[聖アントニウスの墓から盗んできた鎖骨]だとか、

[ティシドのサンタ・アンドレス教会を荒らした時に、

もぎ取ってきたドアノブ]だとかを、

妖術使達は自慢げに掲げる様になったのだが、

そのほとんどはやはり嘘八百で、

[聖者の骨]と言って、墓場犬の骨を持ってきたり、

[教会のドアノブ]と言って、

民家の豚小屋のノブをもぎ取ってきた物など、

胡散臭い物ばかりだったようだ。


だが悪魔はそんな者を裁くつもりもなく、

ただ適当に当人達を賞賛してやり、

自分の前から下げさせる。

ああ!! 小心者でちんけな悪党こそ、

悪霊に好かれるものではないか?


いや、何より、

それがサバトの本質なのである。

誤解してはならない。

古き時代の異教の神々だとか、

ドルイドの信託の巫女の時代は、

とうに終わっている。

サバトとは、日の光の下では生きていけない

負け犬達の酒宴であったのだから。


腐った緑のワイン、ヴィーニョ・ベルデを飲み干し、

塩気の無い食事をたらふく食べ、

宴も酣になってくる頃、

酔っ払ったヒモ男の妖術使が

皆の前に歩み出て自慢話を始める。






■■■サバトでのグリンゴ(よそ者)について■■■


イベリアの魔女にとって、姉弟子や師は絶対的である。

好き勝手に暮らす者の多い

西欧の魔女達とはえらい違いだ。

そういう意味では、

イベリアやルシタニアの魔女達にとって、

自分の上司に関わるサバトへの出席は絶対である。

中には、サバトに出席しない者もいたかもしれないが、

そういう者は大抵、

サバトにすら出席できない様な小物か、

絶望すら意に介さない曲者なのだ。


ただ、魔女の世界でも、グリンゴ・・

つまり、よそ者は存在する。

スペインのサバトで、

決してイタリア人がでかい顔をする事はできないし、

その逆もしかりである。

その土地に古くからいる顔役が何処の土地にもいて、

師の代わりにサバトを取り仕切るのだ。

その様な大物がサバトにやってくると、

祭りの場の空気は一変する。

蝋燭の炎は一斉に消え去り、

ビウエラをかき鳴らし騒いでいた農民達も、

ヤギの肉に齧りついていた道化師達も、

ガルドンの音に合わせて

ヨーロッパヒキガエルと踊っていた魔女達も、

腐肉から滲み出てくる騒がしい蟹達も、

しんと静まり返る。


例えば、その男の名は見栄張りカポ。

生粋のイタリア人にして、泣く子も黙る詐欺師。

全ての夜の女達の盟友にして、罪人共の相談役。







■■■南イタリアから来る魔女達について■■■


サバトには、

様々な地から魔女達が飛んで来るものだが、

住んでいる地域での

信仰や文化の違いは相当なものである。

しかし、サバトでは総じて

ルン・ファンドや、スラングなどでの会話が好まれる。

考えてみれば当然だ。

ここは幻想的な「下町」なのだから。


ロマ語は特殊である。

サバトでもジプシー達は孤立したコミューンを作り、

そこで自分達だけにわかる言葉で会話をする。

魔女達の間でも、ヒターノ達を嫌い、差別する文化があるが、

それはジプシー達が家族意識が高く、

何よりしたたかだからだ。

生き延びる為の意固地な爪は、

魔女であっても、白人には理解できない程に

深く鋭い・・。


他にもサバトでは、

ユダヤ人や、社会主義者などが

独自のコミュニティを作る。

メイガと呼ばれるガリシアの魔女一派も

サバトに参加する事はあるが、

メイガ達は独自の悪魔との連携や、コミュニティを持つ。


ちなみに、フランスの一部の魔女達

[若きフランス]と呼ばれる一派は、

決してサバトには参加しない。

そもそも

[フランスにはサバトが無い]という言い回しがある。

それ自体は、他国の魔女達による誇張であり、正確ではないが、

それでも確かに、フランスには

魔女を軽蔑する魔女の文化が存在する。

あらゆる魔女達や、人類に害を成す様な魔女の出現は、

フランスから生まれる事が多い。

個人主義とは究極の秘術だからである。

バスク地方のソルギン達が、

アケラレという特殊な集会を持つ様に、

フランスにはサバトではなく、

ラ・シャルネという魔女達の祭りが存在する。

多くの魔女達は一般的に貧困や怠惰な性格のため、

装飾品を身につける傾向がないが、

ラ・シャルネは伝統的に過剰な装飾が特徴的な祭りであり、

その影響を受け、他国の魔女達にも

ラ・シャルネを模倣する一派が存在する。

とはいえ、ラ・シャルネは、

古くは屍を装飾として身に纏う異様な祭りである。

いずれにしても、あまりに文化を異する

[若きフランス]と呼ばれる特殊な魔女達に関しては、

ここでは言及しない。



さて、サバトでは各地から飛んできた魔女達が、

各々の故郷に伝わる妖術秘儀や、

伝統技を悪魔に披露するのだが、

中でも、南イタリアの魔女達の踊る

毒蜘蛛ダンスは目を見張るものがある。

この地方では、毒蜘蛛に噛まれて半狂乱になった人間を

フィドルやギタラで躍らせる・・

という異様なダンスが伝わっていて、

その地方の魔女達は、好んでそのダンスをサバトで踊る。

半狂乱になり、

激しいイタリアギターのリズムで踊り狂うその姿は

まさにサバトの一場面だ。


老いた党員達の・・

若さを失い、

毒だけを研ぎ澄ました古老の悲しい夢こそがサバトだ!!

その一方で、そういった屍達の夢を嘲笑う喪服の女達がいる。

そういった女達は真実に沸く蛆虫を飼い慣らし、

その目は、もっともっと深く、

暗い墓穴の闇を灯している。







■■■南米から来る魔女達について

または墓場から死体を盗んで行われる妖術について■■■


17世紀から18世紀スペイン、

またはイベリア地域にかけて、

その地の魔女達が墓地から死体を盗み出す事は日常であった。


死体は特に罪人のものが好まれた。

神に祝福されている死体など、

魔女達にはどうにもできないからだ。

貧しい者達の墓が荒らされる事に関して、

多くの墓守達は、ほとんど対処する術がなかった。


死体はどうせ、ろくな事に使われはしないだろう、

と考えられていたが、

事実、死体は魔女達の様々な低級妖術に使用された。


19世紀にもなると、

墓荒らしは魔女達にとって難しい所業となったが、

墓を暴き、死体を盗む者は、

少なくなったとはいえ存在した。

南米へのスペイン移民のゲレロという女は、

ボカという町の墓場で、愛しい男の死体を掘り返し、

屍とタンゴを踊った。

その場合、死体が朽ち果て、土に還る事が出来ないのは、

女の呪いゆえである。

貪欲な墓場の大臣、蛆虫共の棟梁ジファーですら、

彼女の命令には服従するのだから。






■■■イベリアの魔女達が奏でる楽器や歌について■■■


古いサバトにはありえない話だが、

19世紀にもなると、サバトを主催する、

あるいは主催に何らかの形で関わっている

悪魔やパトロンが、比較的、力のある者だった場合、

そのサバトにピアノが置かれる事があった。

人が足を踏み入れない人里離れた荒野や、

墓場、廃墟にピアノを持って来るのだから、

それは異常な事であり、

驚くべき魔力の成す術であろう。


ピアノは勿論、ベーゼンドルファーである。

余分な低音鍵盤が悪魔のお気に入りだからだ。


大抵は海底に沈没した船に積んであった物や、

廃墟で持ち主もなく、

朽ちていた楽器を悪魔が調達して来るので、

音はとにかく悪い。

ああ!!その調律の狂いこそが悪魔的なのである。

調律の狂いに愚痴をこぼすような者は、

悪魔におしおきされる。

当然だ。


そもそも遥か昔、ルネサンスと呼ばれるような時代には、

サバトでの楽器といえば、

簡素な打楽器、割れたリュート、

朽ちた横笛、狂った調弦のフィーデル、低音ガルドン、

贅沢でも、猫を入れたチェンバロ

といった地味なものばかりだった。

さすがに19世紀にもなると、

バイオリンやウッドベースが加わる事になるが。


ルシタニアで開かれる大きなサバトで、

ちょっと豪華なピアノが登場すると、

魔女達はこぞってファドを歌いだした。

ファドはその地に古くから根づく歌で、

悲しみや、人の運命を歌い、

イベリアの酒場などで、古くは歌われていた。

そういった歌は、

ポルトガル人の妖術使、魔女達によってもサバトで歌われた。

ただし、その歌詞は、

サバトでは、より低俗に変えられ、醜悪になり、

反キリスト的になり、

伴奏も不協和音のものへと変わっていった。

そういったファドは、蛆虫の(ファド・マゴチ)などと呼ばれ、

悲しい労働党員や、組合主義者達が歌うのだ。

決して一流のホールで奏される様なものではない。


だが、それこそが、

それこそが音楽の本質であり、本当の姿だ!!

酔いどれが嘔吐しながら、ホールで寝転び、

貧者が自分勝手で利己的な音を奏でる。

そして、この世に呪いをぶちまけるのだ。


それは農園の自警団の呪いだ!!

撃ち殺されたヒターノ達の呪いだ!!

体制を憎むポルテーニョ達の嗚咽なのだ!!

虐げられた貧者達の魂の本質こそが音楽なのだ!!


ああ!!

[正当]という傲慢な偽りよ!!

お前は決してサバトに来る事が出来ない。

才を持たぬ凡夫の群れよ。

権威の捨て駒よ。

偽善者よ。

己の血漿の色を持たぬ者に

暗闇の路地に倒れた無尾類の屍は見えぬのだ。

そして、その腐敗した肉塊の中に、

お前の求めている憧れがある。






■■■信仰心と迷信について■■■


魔女が魔法を使うと信じている者達がいる。

あるいは魔女は、その魔法で様々な奇跡を起こす事が出来、

他者よりも優れた存在だと信じる者達がいる。

夜に生きる者達が、好んで夜の闇の中で、

他者よりも優位に立ち、

我々を見下ろしていると信じる者達がいる。


あるいは、そう見える事はあるかもしれない。

だが、それは、

生き残りの少ない兵隊達が

敵に威嚇する為に、兵の数よりも多い松明を

闇の中照らしているに過ぎない。


結局、マリア・ゾゾヤは貧困という狂気の中で、

悪魔の声が聞ける・・という妄想にとり憑かれた

哀れな田舎の娘に過ぎなかった。

埋葬虫を操るスペインの女妖術使も、

抑圧された恐ろしい時代の中で、

あらゆる感受性を、墓場の暗い穴の中に埋める事しか

逃げ道のなかった時代の犠牲者だったし、

そもそもサバトとは、貧困の中で生まれた不幸な夢だ。


タンゴは元々、

貧困層のヤクザ男と、娼婦達の間で生まれた踊りだった。

ファドは悲しみを歌う酒場の歌だった。


おお、神よ!!

もはや不幸は芸術なのだ!!

憎しみ、嫉妬、悲しみに彩られた愛すべき芸術なのだ!!


魔女が悪魔の力を使って世界を支配する?

出来るわけがない!!

悪魔が神の玉座を奪う日が来るのか?

来るわけがない!!


なぜなら、彼らは、

最初からそんな事を望んではいないからだ。


日の光が小窓より差し込む小さな教会で

人々はミサを歌う。

愛を求めて、救いを求めて。

彼らを追放したのは、教会と信仰かもしれないが、

同時にやはり、彼らが愛していたのは、

教会と信仰だったのだ。


イベリアのサバトは悲しみの遺産か?

だが、救いがなければ、信仰がなければ、

人は生きていけないのだとしたら、

同時に、悲しみがなくても

人は生きてはいけまい。

躓く事がなければ、人は

真っ直ぐに歩く喜びすら味わえないのだ。

魔女がいなければ・・

この哀れで無知な百姓娘がいなければ、

信仰者達は、誰が夜の山の中を眺め、

神秘と幻想に妄想を膨らませ、

哀れみと蔑と同時に、

羨望と嫉妬の想いを思い知らされるというのだ?


魔女は、いつも

童話や歴史の記録の中では笑っている。

神に対して、

偽りの正義に対して、

善良なキリスト教徒達に対して。

人々は魔女を恐れ、彼女達を地獄に葬り去ろうとした。

だが、魔女達は地獄の底でも笑い続けるだろう。

それは、あるいは

自分達の滑稽な人生に対してなのかもしれない。

臆病な善良なる人々に対してなのかもしれない。

だがやがて、

永遠に近い時間の中で、時は移ろいゆき、

絶望も、憎しみも、淡い風の中に消え、

百姓娘も、踊り狂う喪服の女達も、

そして永遠の褥ですら、

いつかは優しい光に包まれる日も来よう・・

まるで全ては、偽りなど一遍も無い、

主の愛に包まれているかの様に。

この作品を収録している「イベリアのサバト」という作品集は、四つの書簡から成り立っています。四つの書簡は全て魔女達について書かれた物ですが、第一書簡は朗読劇用の文章。第二書簡と第四書簡は演劇用の戯曲。第三書簡は曲とその歌詞となっています。

ここではその中から「第一書簡」を掲載させていただきました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ