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地獄の一つでしかない

 午後になっても、秋良波羅あつきは帰ってこなかった。

 しかし、彼のことを気にしているのは呂久谷ろくがや朱衣しゅいただ一人であり、教師でさえも意図的に無視しようとしていることは明らかだ。

 誰も彼も、触れると面倒なことにしかならない青年学生のことなど考えようとしない。

 もともと、この青年学校に入れるほど資産をもった家庭の出身ではなく、あの事件が起きる前は排斥される対象でしかなかった少年だ。

 もし、一言で語るとしたら、ただの「イジメられっ子」。

 そもそも資源も未来もないこの貧しい街で、子息に高等教育を受けさせるためにはそれなりの金額が必要である。

 ごく普通の家庭では、幼年学校まで通わすことができれば御の字というのがこの〈央京〉なのだ。

 だが、あつきだけは親や援助してくれるパトロンもいないのに、青年学校に通うことができた。

 それは何故かというと、あつきには〈央京〉の〈遺物回収代執行機関〉が見つけられなかった“雨人”の死体を発見する才能があったからだった。

“雨人”の死体を役所に届けるか、または通報すれば、かなりの額の報酬が手渡される。

 その“雨人”からITが発見されなかったとしても、行政は“雨人”の死体の排他的な支配権を欲していることから、無条件で報酬を渡すことで街民に回収を奨励しているのだ。

 何度も死体を届けたり、通報を繰り返せば、かなりまとまった金額が与えられるとあり、中には“雨”の最中にわざと隠してあとで通報するというインチキをするものもいないわけではないが、発覚すれば最高で死刑まである法律のおかげでそのような詐欺は滅多にない。

 しかし、時折、インチキなしで“雨人”の死体を何度も発見する人間がいる。

 才能としかいいようのない確率で見つけ続けるのだ。

 中には生業といってもいいぐらいに、死体探しを行い、それで暮らしているものもいる。

 あつきはそういう才能の持ち主であった。

 幼少期に親を亡くしたにも関わらず、あつきは子供の頃から多くの死体を見つけることで、行政からの報酬によって生活していたのだ。

〈遺物回収代執行機関〉も、彼の才能に目をつけ、幼年学校卒業と同時に同機関への就職を薦めたほどであった。

 ただし、当時の機関の長の申し出に対して、あつきの答えは「勉強をさせて欲しい」というものであったことから、〈遺物回収代執行機関〉の後ろ盾ありということで特別に青年学校への進学が認められたのである。

 そんな特別な事情でもなければ、あつきのような貧困層の子供が学問に触れることなど困難な話であったろう。

 もっとも、彼の希望がそのまま美しい未来に繋がっていた訳ではない。

 青年学校であつきを待っていたのは、執拗なまでのイジメであった。

 人はわかりやすい異物を排斥する。

〈央京〉は狭い世界である。

 あつきがどうやって青年学校に入学したかについては知れ渡っていた。

 そして、この街では“雨人”の死体を発見して生活する者の扱いは決していいものではない。

 街民が生活するために、なんとか生きていくために、“雨人”の死体から見つかるIT技術がなければならないというのに、人々は“雨”を嫌悪し、“雨人”を汚物と同様に考え、それを発見して暮らすものを虫けらのごとく見下した。

〈遺物回収代執行機関〉自体は、IT技術による超・性能を用いるおかげで、侮蔑の対象にはならないのと比べると、あつきのような人間に対する差別は酷すぎるものがあった。

 十三歳で青年学校に入り、十六歳になるまで、あつきは想像を絶する地獄の中にいた。

 口にするのも憚られる犯罪に等しいイジメの中、彼はずっと耐え忍んでいた。

 彼のような最底辺の身分では、学がなければ生きていけないことを誰よりもよくわかっていたからである。

 学生時代も前と変わらぬ遭遇率で死体を発見して生活する彼へのイジメはさらに加速していくのだが、それは一年前に急速に鎮静化する。

 理由は簡単だった。

 あつきがとある“雨人”の女性を助け、彼女が後見人となったからである。


 ―――一年前、あつきと〈勇者タム・リン〉は出会ったのだった。


(……ラッキーくんがあたしを恨んでもしかたないや)


 朱衣はこのクラスでは、いやこの青年学校では誰一人共感してくれないだろう後悔で胸がいっぱいであった。

 もともと、あつきの両親が死ぬまでの間、彼女の家と秋良波羅家はそれなりに関係の深かった。

 だが、秋良波羅夫妻の死によって、あつきは最底辺の孤児にまで叩き落されることになり、呂久谷家との縁は切れた。

 二人の再会は青年学校に入学したからであったが、その時にはすでにあつきへの迫害と差別は開始されており、〈央京〉でも名家の出身である呂久谷家の娘としてはそれに加担するしか道はなかったのだ。

 何度となく、あつきが無言で助けを求めてきたことはあった。

 しかし、朱衣はすべて無視した。

 自分が巻きこまれたくなかったからだ。

 とある高潔な人物は言った。

「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」と。

 それをまさしく体現してしまったのが、朱衣の学生時代であった。

 さっき別れるとき、あてつけとわかっていて、


「変わっちゃったね」


 と言った。

 だが、本当に変わったのは自分だ。

 かつての幼馴染の窮地を助けもせずに放置し、いや、むしろ積極的に加担したと言ってもいいぐらいに迫害したのは自分だ。

 あんな風に自然に接することが許されるはずもないのに。

 話しかけても逃げられない。

 たったそれだけのことに浮かれて友達だった頃のように接した自分がクズなのだ。

 だから、朱衣は自分の勝手さ、矮小さを恥じるしかなかった。

 

「あれ、なんだ?」

「ん、どうした」


 窓際の学生が校庭を指さしていた。

“雨”対策のために、校庭全体には幾重にもネットがかけられている。

 だが、それは屋上から壁に扇状にかけられているため、教室から校庭を見渡すことは可能なのだ。

 もっとも、校庭とはいっても学生の運動については屋根のある体育館で行われるため、かつてのような 用途で用いられることはほとんどない。

 この青年学校ではただの空き地や置き場と化しているのである。

 ゆえに、その使い道のない校庭に立ち尽くす男の姿というのは異様すぎる不気味さを備えていた。


「なになに?」


 朱衣もその異様さには気づいていた。

 まず、背が高い。

 遠目でもはっきりとわかるほどである。

 彼女の眼には見慣れた他の学生たちよりも頭ふたつほどは大きいことがわかった。

 確実にニメートルは越えている。

 次に、色が青かった。

 人の姿をしている氷を見ているような、そんな気分にさせられる青い色をしていたのだ。

 今はもう残っていない海の色というはああいうものだろうか。

 それとも氷が溜まってできていたという氷山しもしれない。

 少なくとも朱衣にとっては人間のためのイメージに相応しい色とは思えなかった。

 遠目だからこそより鮮明にわかるのかもしれない。

 しかし、はっきりと確信できることはただ一つだ。


(あの人―――人間じゃない)


〈央京〉には“雨”が降る前からの技術と“雨”によって得られたIT技術によって造られた、機械人間サイボーグが少なくない人数存在している。

 行政には勤められなくなった彼らサイボーグが民間で警備員や探偵をやっていることも多い。

 その意味で人間とは言えないものたちもいるが、あの青い男ほど完全に人間ではないと断言できるものはいなかった。


「おい、あいつ、こっちに近寄ってきてねえか?」

「いや、さっきから動いてねえはずだぞ。足が止まったまんまじゃねえか」

「嘘だろ。ぜってえ、近づいているって」

「ええ、後野宮あとのみやくんの言う通りだよ。なんか、知らないけど校舎から近くなっている。……機動警察コマンドポリスを呼んだ方がいいんじゃない?」

「指導先達員! 連絡していいっすか!?」


 窓際に集まってざわついている学生たちの声を聞いて、授業をしていた指導先達員もその男を見下ろした。

 確かに、おかしな様子をしていることは見て取れた。

 学生たちの安全を確保する必要のある指導先達員としては、見逃すことはできない。

 ただちに携帯端末を使って、各所に連絡を取る。

 あの男を排除するように依頼したのだ。


「でも、なんだろうね、変質者かな?」

「さあな。外れのあたりの貧乏人じゃねえのか。秋良波羅みてえな」


 その名前を聞いて、笑みが漏れる。

 どれもが他人を見下した嘲笑そのものの下卑たものではあった。

 思わず、朱衣が眼をそむけるほどに黒い笑いであった。


「ウジ虫みてえな貧乏人は、立場をわきまえずに勝手にやってきやがるからなあ」

「言えてら」

「けっけっけ」


 これまで散々あつきをいたぶってきたものたちにとって、かつての自分を省みるという姿勢はどこにも存在していないのだ。

 ただ、それはまだあつきが弱かった頃の懺泄であり、今の彼にとっては汚れた栄光でもあった。

 そして、強いものから弱いものへと与えられる不条理な暴力というものは、えてして螺旋のごとく回転するものなのである。


「えっ寒い……?」


 朱衣は全身の皮膚がいきなり冷気を感じ取ったことにより、ぶるっと震えた。

 突然、冬にでもなったかのようである。

 彼女は校庭の男のことなど忘れ、運動用の上着を羽織ろうと自分の席に戻った。

 ほんのわずかの動きが朱衣を救った。


 その瞬間、校舎の窓という窓が割れて破裂した。

 

 割れたガラスの破片と、どこからともなく飛んできた氷でできた角柱―――夥しい量の氷柱が教室内に突き刺さり、そこに集まっていた学生たちを刺し貫いた。

 そのうちの一本が朱衣にまで向いていたが、途中で犠牲となった学生の身体の重みで止まる。

 自分の眼前で止まった鋭く尖った氷の槍の恐ろしさを、朱衣はすぐには把握できなかった。

 いや、それで良かったのだ。

 結果的には、これよりももっと恐ろしい殺戮が校舎内に吹き荒れる前に、心が折れてしまわなかったことが朱衣の命を救う原因の一つとなったのであるから。




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