剣と刺客
秋良波羅あつきが住んでいるアパートは、〈央京〉の住宅街の端にある。
“雨”が降って来たらすぐに穴が空く程度の弱々しい屋根がついただけの建物だった。
住んでいるものは、あつきを除いてあと二人。
しかも、“雨人”の直撃を受けても耐えられる一階住まいであり、あつきのようにわざわざ二階を選ぶものは皆無である。
あつきを自室に運び込んだのは、さきほど、彼にぶっ飛ばされたITサイボーグであり、自分を凌駕する相手だとわかりきっているのか至極丁重に扱われた。
彼の部屋は、スプリングが壊れたベッドと小さなテーブルとカラーケースがあるだけの質素なものだった。
学生服以外の服は、作業用のツナギと平凡な昔ながらの青いスボン、シャツだけであり、生活に必要な家具類は足りていない。
勉強用具だけはそれでも揃っていたが、基本書の類いは不足状態だ。
学生のための部屋でも、社会人のためのものでも、ましてや少年の住む場所でもない。
生活感と呼べるものは隅にまとめられたゴミの山だけだ。
つまらなそうに室内を見渡して、迦陵頻伽火翠があつきに訊いてきた。
「……なにもない部屋だな。生きていて楽しいのか」
「ほっとけ」
「娯楽のためのものが見当たらないが、暇な時間はなにをしているのだ?」
「ぼうっとしているだけだ」
「なるほど。〈勇者〉と暮らしていたときの思い出をただ反芻して生きているだけか。楽しいとは思うが、随分と不健康だな」
あつきは顔を真っ赤にして叫んだ。
「ど、どうしてわかる!?」
すると、迦陵頻伽はすました顔で、
「貴様、あいつと過ごしたのは半年ほどでしかないのだろう。いなくなった女のことをいつまでも後生大事に抱えているには短すぎる時間だな。ま、あいつはかなりの美人だったからな、忘れられずとも無理はないか。……そういえば、男にしてもらったのもあいつなのか? 初めての女のことはやはり忘れられんものなのか」
「ふ、ふざけるな! 俺は、まだ、……」
「おやおや、まだ童貞なのか? なんだ、てっきり半年も同棲していたのだから当然やつているものだと思っていた。貴様、あれ以来、随分と大人っぽくなったとおもっていたが、なんだ、童貞のままだったのか。拍子抜けだ」
「うるせえ!!」
上司とあつきの話を聞いていたサイボーグが、思わずぷっと噴き出した。
あれほどの戦闘能力を持つ少年の秘密が噴飯ものだったからだ。
きっと睨みつけられても目を逸らすだけで口元は笑っている。
「……もういいから、おまえら帰れよ。」
「立てるようになったのか?」
「回復に〈魔力〉を全振りしたからな」
「さっきまで死んでいたのにそこまで回復するとはね。さすがは〈勇者〉の弟子だ。たいした〈魔法〉だよ」
「タム・リンならあんなダメージは受けたりしないがな」
サイボーグの肩から降ろされると、あつきはベッドの横に腰掛けた。
「確か、武器が必要だと言っていたが、どこにあるんだ?」
「……待ってろ」
床に這いつくばると、ベッドの下に手を突っ込む。
すぐに見つかった。
あつきの手には一メートルほどの長さの棒が握られていた。
船を漕ぐための櫂のように、一端の平らな部分と柄で構成された棒ではあったが、幅広の部分がほとんどで柄は二握り分しかなかった。
一見、両刃の無骨な剣のようにも見えるが幅広の部分があまりにも目立つことと、鍔がないため、武器とは思えないデザインである。
「何かの大工道具のようだが、その“剣”には見覚えがあるぞ」
「そりゃうそうだ。タム・リンが使っていた奴の『脇差』サイズだからな。剣としてつかうには小ぶりだけど、俺程度が使う分には十分だ」
「……刃がないが大丈夫なのか」
迦陵頻伽が、剣ならば本来は刃がついているだろう部分に触れても、切れ味などはまったくなさそうだった。
武器に含まれるとしても、これでは刃物ではなく鈍器でしかないだろう。
「切れる。俺の〈魔力〉を乗せればな」
「―――〈勇者〉が使っていたあれか?」
「ああ。特にこの〈無敵〉は偽臓が産みだす〈魔力〉のすべてを受けて増幅することまでできる武具だ。これがあれば、余計な〈魔力〉を手足に集中せずとも〈雷魔〉とかいう化け物も倒せるし、あのふざけたノゴロドって奴の念動力も切り裂ける。もう少し眼に力を籠めてみればきっと視えると思うしな」
あつきは自分が敗北したという事実をさして気にしていなかった。
彼はもともと強くない。
師匠である〈勇者〉の足元にも及ばないと思っている。
だから、そんな彼を凌駕する相手に一敗地に塗れたからといって落ち込んだりはしない。
むしろ、別のことを彼は気にしていた。
「……あの幼女は大丈夫だと思うか? さっきの〈雷魔〉はあいつを殺しに来たとみたいな感じだったが」
迦陵頻伽は首を振った。縦に。
「大丈夫だろう。わざわざ、〈魔王〉自ら止めに来た上に、あいつを回収していったからな。最初は殺すつもりで指示を出したが、予定が変わったというところかもよ」
「予定が変わる?」
「ああ。……あの〈魔王〉はこの街とこの世界でなにかをするつもりだ。その詳細についてはまだ不明なことだらけだが、それに必要だから碧薫を拉致したのだろう」
「碧薫……それがあの幼女の名か」
あつきは自分が彼女の名前を知らなかったことを思い出した。
たった数十分一緒にいただけの存在のことなど、本来は気にする必要はない。
だが、〈勇者〉と同じ“雨人”だということを考えると平静ではいられなくなる。
彼の人生は、いつも“雨”によって変えられてきたのだから。
「で、どうする?」
「どうするって?」
「武器を取りに来たということは、奴らと戦うということなのだろう? この街を護る騎士として」
今度、首を横に振ったのはあつきだった。
「ちげえよ。……俺はあの“雨人”の幼女を助けるだけだ。あいつが拉致られたのは、俺の失態だからな」
「そういうことにしておいてやる。構わないな、〈騎士〉よ」
「構うぞ」
手にした刃のない剣の重さを感じ取りながら、それよりもさらに重いものが肩にずっしりと乗っている気がした。
(俺はタム・リンみてえな〈勇者〉じゃねえのに……。また、見栄を張っちまったのかな……)
◇◆◇
「なぜ、妾を殺さないのだ! 汝らにいいようにされるのでは、妾の腹の虫が収まらん!! さあ、さっさと殺せえ!!!」
生体エネルギーをほぼ根こそぎ変化させられて、まともに口を利くことすらできないようにされていても、なお、自己主張をしまくる囚われの姫を無視しながら、〈魔王〉ノゴロドは部下たちに対していた。
「少々うるさいがあまり気にするんじゃねえぞ」
『そりゃあ、無理ってもんですぜ、お頭。そのガキの甲高い声は酒がまずくなって仕方ねえ』
『腹が立ちますが、〈刃魔〉と同意ですな。さっさと始末してただけると幸いです』
「ダメだ」
〈刃魔〉と〈凍魔〉からの苦情をむべなくカットした。
『なぜだい、お頭ああ。〈雷魔〉の雑魚に最初は始末しろって言ってましたよねええ』
「―――事情が変わったんだよ。この姫さまがちょっと必要になった」
『どういうことですかな、殿下』
ノゴロドは、テーブルの上のビールを一本とり上げて、
「このセカイな……。民主主義とかいう政治体系のせいで、王族も貴族もいねえんだわ。……だから、目的達成のために必要な高貴な種が手に入らねえ」
『なんと……。未開の蛮地だとは思っておりましたが……。そこまでとは』
「んでな。するってえと、やんごとなき血ってのが余のものしか手に入らないという面倒くさいことになる。とはいえ、余の血をここで大量に使う気はしねえ。そこで、この小娘だ。少なくとも妻城の姫として世界を渡る力は持っているのは確かだし、余のスペアとしてとっておく必要性を感じたという訳だ。わかる、馬鹿ども?」
『ほおほお、了解いたしました、我が君。そのような事情があるとされるのなら、この〈凍魔〉、異を唱えることはありますまい』
〈魔王〉と〈妖物〉の会話を聞いて、さらにヒートアップして騒ぎ続ける碧薫であったが、すでに悪魔たちの耳には届かない。
彼らは自分たちの黒い野望を語るので手一杯だったからだ。
「あと、〈凍魔〉さあ。おまえに命令がある」
『おおお、我が君から直接お声をかけていただけるとは! この〈凍魔〉、喜びのあまりどうにかなってしまいそうです!!』
「うるせえよ、変態〈妖物〉。おまえにやってもらいたいのはな、さっき余と〈雷魔〉が遭遇した敵の後始末だ」
『それは……どういうことでしょうか?』
ノゴロドは先ほどの戦いについて語り、
「大した奴だった。〈雷魔〉を退けたほどだしよ。ただし、あいつと同じような奴がまだこの世界にいないとも限らねえ。だから、余とそいつが戦った場所を探って、似たような奴がいないかどうかを探って来い。いたら、ぶち殺せ」
『御意、我が君』
「士官学校のような制服を着ていたからな、そういう施設があったらついでに皆殺しにしておけ。面倒はすべて排除だぜ。わかったかよ?」
皆殺しなどという恐ろしい命令を、〈凍魔〉は薄笑いを浮かべたまま、
「御意」
と軽々と受けるのであった。




