〈央京〉では……
〈央京〉は、かつてとある国の首都があった場所の西南部分に、人が住みつき行政府を建てたことで造られた街である。
人口はおよそ50万人。
面積は約30km²。
20のブロックに分割され、中央にある〈中央街区〉に〈政廷〉という行政府が備えられた政治体系としては民主主義社会である。
およそ一年間、十分な食料がない状態で過ごしたことがあるかという項目に対して、「しばしばある」ないしは「時々ある」とする場合を飢餓率というが、〈央京〉においては二十万人が「ある」と答えている。
そのことから、飢餓経験率は20.0%前後と非常に高い数値が算出されているのであるが、それは〈央京〉の周囲が汚染された海によって包囲されているからであり、他の街との貿易や漁業ができず、総面積と人口の比率による人口密度も高く、農業が盛んにできないことによる。
〈央京〉内で農作業に適した土地は少なく、人々の食糧は工場で加工された人工蛋白質製に頼らざるを得ないのだ。
そして、この閉塞した状況はすでに五十年以上継続しており、人々の中には厭世観と無常観が蔓延し、街はすでに死に至る寸前の、瀕死と言っても過言ではないどん底に陥っていた。
出生率の低下も問題視されているが、街民同士の婚姻による遺伝子異常の報告はまだない。
基本的に街民が従事している職業は、地表部分に在るプラント群における工業製品の作製と、地下を掘り進めることによる資源の開発と人の住む地域の拡張である。
もっとも、プラントが作成しているものはかつて存在したものの再生産でしかないし、〈央京〉はかつての国と同じように地下資源がほとんど見つからないし、地下に喜んで住もうとする人間は相当な貧困層に限られるという、まったく希望の見つからない仕事ばかりであった。
なにしろ、出ていくことも入っていくこともない閉ざされた完結した世界といってもいい街なのだ。
周囲を囲む土地には瘴気が漂い、歩いて進めば大地にこめられた呪いに犯され、空を飛ぶことができるという機械を産み出す技術は遠い過去のものとなっていたのだから。
世界の外、街の外に、別のものがあるかもしれないと夢見るものはいたが、確かめるために旅立とうとする覇気のあるものはもういなくなっていた。
旅立つものは、すでに五十年前に残らず出ていってしまったのだ。
残ったのは、惨めに故郷に縋る街民だけ。
希望のない街には夢の種子は育たない。
この街はまさに死にかけていた。
「ところが、だ。……その何も手に入らない孤島となった街に、ある時から“雨”が降るようになった」
「……それが、か」
「ああ、ヒトの雨だ。高度1500から2000メートルあたりに突然人間が現われて、重力に引かれてそのまま落下しておじゃんさ。週に一回ぐらい、だいたい300人ほどが降って来て死ぬ。それだけ高いとマットを敷いた程度じゃ助けられないし、実際色々と試行錯誤したが助けられる方法は見つけられなかった。街には落下して四散した部品があちこちに付着していた。初期は本当に酷いもんだった。―――で、そのうちに、街の連中は面白いことに気が付いた」
あつきは吐き捨てた。
そこが何よりも嫌な部分だからだ。
「“雨”となって降ってきた連中を調べてみると、この街というか、この世界には存在しない仕組みの機械を持っていることにな」
「機械だと?」
「ああ、中身のプログラミングこそすぐにはわからなかったが、どういう用途につかうものなのかは簡単だった。空気を水に凝固する機械、要するに水分を無限に作り出す機械だ。それを知った連中は色めき立った。すぐに模造品を作り出すことはできないが、資源のないこの街にとっては実に役に立つものだったからだ」
このような壊滅的な世界になる前に編み出され、開発されたテクノロジーを駆使して、時間を掛ければ利用価値はいくらでもあるとわかれば、あとは簡単である。
他にも使えるものはないかを探してみるだけだ。
「そして、連中は墜ちてきた死体を漁り、墓を暴いた。他にも何か使いものになるものがないか、とね」
その予想は的中し、墜落死体からはこの世界では発見さえもされていなかった物質や遺伝子形質、細菌、抗体などまで次々と見つかったのだ。
〈央京〉の人々はこれまでは迷惑なゴミ、同じ人間の成れの果てとして、埋葬して弔うぐらいはしてやろうという扱いだったものが、宝の山だったことを知ったのだ。
そうして、雨のように降ってくる人間たちの死体は、〈央京〉の大切な資源となった。
地面や建物を血と肉塊で赤く染めた“雨人”の死体は、〈政廷〉が立ち上げた行政組織である〈遺物回収代執行機関〉が現場を封鎖して、残らず回収していく。
専門の調査施設へと運び込まれた死体は、衣服だったものを剥ぎ取られ、解剖されて腑分けされ、体質を調べられ、まだかろうじて脳死状態であった場合は記憶まで洗いざらい読み取られた。
何も見つからなかった場合でも、数パーセントは念のために冷凍保存される。
そこに入らないもので問題がないものは蛋白質まで分解され、民衆の生活に|必要な物品に加工される(・・・・・・・・・・・) 。
〈政廷〉の発表では、一回の“雨”によって、街にとって有益な何かが一つは発見されるとされている。
そして、それがなければこの死にゆくだけの孤立した街は緩々とした滅びを加速させるだけであろう。
今となっては“雨”とそれによって得られる“雨人”がなければ、〈央京〉は成り立たないといっても過言ではないほどに依存しているのである。
街民にとっても、自分たちの身内でもない同じ街の住民でもないものたちが、ただ死んでいくだけだというのなら関係ないと言いきってしまうようになった。
死体によって怪我をしたり、建物や車と言った財産を傷つけられたり汚されたりしなければ、それでいい。
〈央京〉の民のほとんどはそう割り切っていた。
最初こそ、人の大量死というものに心を痛めていたとしても、それが日常にまでなってしまえばもうどうでもよくなってしまうものなのだ。
だから、“雨人”に同情的な活動をする街民はほとんどいなくなっていた。
他人よりも自分たちの生活の方が大事なのだから。
「……俺はそれに耐えられなくなった。十五の年まではみんなとたいして変わらなかったけど、ある日、俺は“雨”として降ってきた女に出会っちまった」
「それが、汝の師匠という〈勇者〉か」
「ああ。こんなクソみたいな世界さえも救っちまった本物の善人だ。―――“雨人”たちを資源としてしか扱わないクズどもを助けたのが、同じ“雨人”としてやってきた奴なんだぜ。笑っちまうだろ」
その時、ぐぅ~と幼女の腹が鳴った。
通りすがった際に、商店街の隙間で串焼きを売っていた屋台から流れる香ばしい匂いに刺激されたのだ。
成長期の食べ盛りの子供にとって、空腹時に嗅いだ美味しそうな臭いは暴力的だった。
あつきとの会話は大事な部分に達しようとしていたが、なにぶん人間の三大欲求の一つには勝てそうもない。
しかも、匂いだけで脂のしたたった肉だと判別できる。
幼女はあつきを見上げた。
「よせ」
「何を言う。妾は迦陵頻伽よりきちんとこの街の流通貨幣をもらっておる。いっておくが、妾の世界にも貨幣経済は存在したし、妾は箱入りではないから買い物も見事にこなせるのだぞ」
そういって、懐からがま口のような財布をとりだした。
じゃらと小銭の音がする。
串焼きを買うには十分な額が入っているだろう。
だが、あつきはその手首を押さえた。
細すぎる手首を力任せに握って痛くさせないように気を付けて。
「なにをするのだ。妾が献上された金で、妾が食したいものを食べてなにか汝に問題があるというのか」
「……おまえのために止めているんだ」
「どういうことだ?」
あつきは屋台から遠ざけるために隅まで引っ張っていった。
「おまえ、さっきの話、聞いていただろ。この街には何の資源もないし、食い物にもかなり不自由していると」
「聞いたが、それがどうした」
「あと、唯一のまともな資源となるのは“雨人”の死体だという話もな」
「うん」
屋台に顎をしゃくり、
「そんな街でまともな食い物が売っていると思うか。……特に、肉なんてさ」
婉曲的にではあったが、言いたいことのすべては幼女にも伝わった。
顔色が真っ青になる。
額に油汗も流れた。
屋台を恐ろしいものでも見るような目つきで睨み、
「まさか、……そういうものが売っているのか!? あそこの、あの肉は!?」
あつきは首を横に振った。
「知らない。あの店の売り物がそういうものであるのかもわからない。だが、俺の知っている限り、闇に流れたものが安く売買されているのは確かで、あの手の店の二割ぐらいが扱っているということも事実だ」
真っ青になっている幼女の背中を押して、あの屋台が見えないところまで行く。
「腹が減ってんなら、俺んところにくるか。安心して食えるまともな食い物をおごってやるよ」
「……いいのか? 汝は妾を嫌っていると感じていたが」
「嫌いさ。……ただ」
「ただ、なんだ?」
あつきはできるだけ感情を乗せないように言った。
「―――助かってくれた“雨人”に飯を食わせるのは初めてじゃないからさ……」




