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闇に潜むものども

 光は軽かった。

 その男が纏っている昏い夜の雰囲気を蹴散らすことができるほどの力がないからだ。


「―――ヘイ、〈雷魔らいま〉、元気でやっているかい?」


 声そのものは陽気であったが、人間らしい温かさは皆無という無機質な声だった。

 パチ、パチ、パチパチパチパチ!!

 室内のあちこちに火花が散る。

 漏電しているかのような激しさだった。


『お呼びで、殿下』


 火花のうちで最も激しいものが爆発的に光を発し、そのまま四肢のある人の姿になっていく。

 明らかに人ではないのに、人の姿をしている怪人であった。

 殿下という人物から、〈雷魔〉と呼ばれているらしい、いつまでも発光し続ける怪人が、重々しい口調で喋った。


「三日前のお昼頃、空を見たかい?」

『我らは〈妖物ダムドシング〉ゆえ、昼間はゆっくりと昼寝を馳走になっておりました。お起きになっておられたのは、暇を持て余していらっしゃるらしい殿下のみでございましょう』

「酷いことを言うね! 余の心拍数は一気に限界に達しそうだよ!」


 心にもないことを言いながら、殿下は手元に置いてあった缶ビールをがぶ飲みする。


「くぅー、やっぱりビールはただの水だな! こんな世界でも、ビールのアルコール度数は低いぜ! ―――あ、〈雷魔〉あ、おまえの仕事のことだけどさ、碧薫せきかおる姫の抹殺になったからよろしく」

碧薫せきかおる姫? 例の妻城さいじょうの姫さまでございますか?』

「うん。余らを追って、こんな世界まで飛んできたみたいだぜ。お供もつけずにさ、ご立派なことで」


 瞬く間に一本を飲み干すと、げっぷを吐きながら、二本目に移る。

 たまにキョロキョロとするのはつまみとなるものを探しているからだろう。

 自分のアジトだというのに、何が置いてあるのか一切把握していないのは、この殿下のやんごとない血筋からすれば至極当然のことなのかもしれない。

 ノゴロド・デル・エリィフ―――幾つかの世界と滅びさった国で、〈魔人〉と称された男であり、元は〈雷魔〉の呼びかけのごとく王太子でもあった存在である。

 突然、室内が寒くなってきた気がした。

 かしずく〈雷魔〉と反対の方に視線を送った。

 床のある一点が白く染まっていた。

 霜が落ちているのだ。

 そこだけが異常なほどに冷たくなり、物質を凍らせているようであった。

 霜はさらに円状に広がっていき、室内の四分の一を占めると、暗闇の中からスケートで滑るように人影が現われた。

 全身からドライアイスの如き冷気を発する白い氷を思わす男であった。

〈雷魔〉とノゴロドに対して同様に跪いて、忠誠を誓っている。


『―――〈凍魔とうま〉、推参いたしました。遅くなったのは、さらに遅刻している〈刃魔じんま〉のせいでございまする。拙者はまったく悪くございませぬ』

「何をしていたんだよ、おまえらは。……で、〈刃魔〉のイカレ野郎は遅れるのか?」

『さあ。〈刃魔〉のすることなど拙者が知るはずもありません』

「一緒にいたんじゃないのか。ったく、〈凍魔〉は生真面目に嘘ばかりつく」

『御意』


 ノゴロドは呆れたように天を仰いだ。

 彼を護る三匹の〈妖物〉の適当さ加減に対してだ。

 いざというときにきちんと働けるのか、一抹の不安があるが、すでに何年もともに旅して来た家臣である。

〈妖物〉としての性能は高く評価している。

 そもそも、どの世界に来訪しても三匹のうちの一匹たりとも欠けずについてきた上、これまで一度たりとも主人であるノゴロドを危険に晒したことがない化け物どもであった。

 戦闘能力と異能については折り紙付きである。


『〈刃魔〉、トージョー』


〈雷魔〉と〈凍魔〉の間というべき場所に、ザクンと一本の剣が突き刺さった。

 刺さった剣がそのまま輪郭をぼやかしていき、しばらくすると四肢を備えた人の形に変化した。

 全身に金属のごとき光沢を輝かせた怪人は、前の二匹の〈妖物〉同様に跪き、それからその姿勢が苦しくなったのかだらしなく胡坐をかいた。

 無作法ではあるものの、この場のどの登場人物も咎めたりはしない。

 なぜなら、この〈刃魔〉という〈妖物〉には礼儀を説いてもまったくの無駄だからだ。

 そのような些細なことに脳みそを割く気は欠片もない人格の持ち主であるのである。

 加えて、〈刃魔〉はこの三匹の中でも最も高い戦闘能力を有する個体でもあった。

 ノゴロドでさえも一目置くほどの。


『……ケケケ、イカレで悪うござんした。ですがね、おかしら。このオレさえいれば、あんたまで刃を突き立てられるやつはでてこないって寸法をお忘れですかい? この二匹がいなくたって、オレさえいりゃあ、十分に元手はとれるってもんでさあ』


 暴言ではあったが、〈雷魔〉も〈凍魔〉も特に何も言わなかった。

 互いの戦力についてはよくわかっている。

 伊達に何年もの間、様々な敵からノゴロドを護り切ってきた訳ではない強者どもなのだ。


「―――悪かったよ。ビールやるから許せ」

『おおお、いっただき!! んで、お頭、オレらをここに呼んだのは、さっきの碧薫って姫対策の為なんスかあ?』

「だいたいは、な」

『あんたにしちゃあ、慎重だな。さっさとこの街ごと木っ端微塵にしちまえばいいじゃないスか。どうせ、ここだって長居はしないんでしょ』

「いや、するぜ。ここを終着地として、余の目的を遂行することにしたんだ」


 主人の発言に、三匹は顔を合わせた。

 これまで数多くの世界を飛び回ってきたが、主人であるノゴロドがこんなにはっきりと宣言したのは初めてのことであった。


『殿下……』

『マジかよ、お頭』

『我が君よ……』


 つまり、彼らの長い旅もようやく終わるということであるからだ。

〈妖物〉としては珍しい感慨が三匹にも湧いてきた。


「だから、余とおまえらのことを熟知している碧薫についてだけは特別に頑張って排除しないとな。……あと、余の予知夢が、かなりヤバイ敵がここにいることを伝えてきやがる。そっちの始末もしておけよ」


 三匹は笑った。

 裂けた口が三日月のように広がる、狂気の笑みであった。

 ヤバイ敵と聞いて、戦いに絶対の自信を持つ化け物たちの闘志に火が点いたのだ。

 ノゴロドが警告を発するほどに危険な敵がこの街にはいるのだ。


『そやつは、どんな敵なので?』

「わからねえ。ただ、余の予知夢は紅蓮の炎をまとった女獅子の姿があったぜ。随分と、ファッキンな敵だぞ、気ぃつけろよ、おまえら」


 声を合図に〈妖物〉たちの気配が室内から消えた。

 グビグビとノゴロドが残ったビールを飲む音だけが暗闇の中に響いていた……



           ◇◆◇



 迦陵頻伽によって置き去りにされるように残ったお姫さまを見ないようにして、あつきは校門の外に出た。

 前の通りから商店街にいたるまでは、頭上になんの備えもされていない。

 このあたりまでカバーできる予算はないのだ。

 もしも“雨”が降ってきたら、墜落死した“雨人”たちの内臓と脳漿と飛び散った肉片で血に染まることになるだろう。

 その場合、死体が回収され、さらに衛生局によって片づけられた後で清掃するのは青年学校の生徒たちということになる。

 あつきは“雨人”たちの死体のもたらす凄惨な光景を良く知るだけに、できる限り考えないようにしていた。

 ついさっき“雨”が降った以上、もうしばらくは大丈夫だとわかっていても、屋根もネットもない場所では早足になるのがこの街の人間の宿痾だ。

 早足で商店街のアーケードの下まで行くと、彼の後をさっきのお姫さまがついてきていることに気が付いた。


「帰れよ」

「帰らぬ。否、わらわには帰る場所がない。ここに来てからは、迦陵頻伽の保護の下にあったおかげで衣食住は保障されていたが、今はなれとともに行動せねばならんのでな。汝が世話をせよ」

「……ざけんな。俺にはおまえみたいなのを保護する義務はない」

「心配するな。金は支給されておる。おまえは、妾とともに戦闘に専念すればいい。とりあえずの寝床の提供は要求するがな」


 あつきは頭を抱えた。

 なんだ、この高飛車な幼女は。

 こんなものの相手をする気は俺にはないというのに。


「だいたい、さっきのおまえは俺のことを覇気がないだのと否定していただろ。どうして、ついてくる気になったんだよ。やる気があるかないかということなら、迦陵頻伽の姐さんのほうがよっぽど適任じゃねえか」

「確かにあやつも強いのはわかる。だがな、妾が狙っている相手はもっと強いのだ。少なくとも、妾と互角程度では牙を突き立てるのもやっとというところだ」


 あつきは吐き捨てるように言った。


「そんな化け物と俺を戦わせる気かよ。いい加減にしろ。強いというのは否定しねえが、俺にやる気がないのは事実なんだぞ」

「いいや、違う。先ほどの妾の見る目のなさは訂正しよう」

「なんだよ」


 さっきまでとは比べ物にならないレベルで信頼を湛えた瞳を向けられた。


「妾が“雨人”であると知ったとき、汝は漢の顔になった。しかもとびっきりの武人の顔を。―――妾はあの顔をできる者を疑うことはしない」

「ふざけろ」


 まっすぐな視線はあつきを戸惑わせた。

 これ以上、突き放すこともできずに、あつきは幼女を無視するようにして家路を急ぎ始めた。

 このまま関わっていたら、きっとまずいことになる。

 ある顔が脳裏をよぎった。

 ―――ツリ目気味のちょっとキツイ顔をしているくせに、いつも優しく楽しそうに笑っていた意志の強い美女。

 もし、彼があとをついてくる幼女を見放したら、彼女に背くことになるかもしれない。

 なんの関係も、結びつきもない、この世界と街を救うために戦ってくれたあの〈勇者〉の心に。


「おまえ、この街がどれだけものがないのか、わかっているのか?」

「知っておる。迦陵頻伽に聞いているからな。この世界でなんとか正常に機能している街の一つであるということも、街の外には毒の海が広がっていて、自由に移動することはほとんどできんということもな。実際に、外壁まで案内してもらったのだぞ」

「……人的資源だけでなく、物的資源もまったく足りていない。この世界―――いや、街はもうすぐ死ぬんだよ。死に至る病、ほとんどそういうものに犯されちまっている。死に体なんだ」


 街民たちは自己欺瞞で誤魔化しているが、誰もが悟っている。

 もうすぐ、世界も、街も、自分たちも、死ぬ、と。

 ここ数年ならばともかく、十年、二十年後はもう誰も生きてはいないだろう、と。

 それでもなんとか〈政廷せいてい〉やらの苦労の下で街は回っている。

 無駄な足掻きではあるだろうが。

 あつきにとっては死んでしまうものがどうなろうとあまり関心はないというのが現状だ。


「だから、汝はこの街を守る必要はないと主張するのかいな?」

「それだけじゃねえよ。―――今、この街がもっとも積極的に頼っている資源が何だか知っているか?」

「さあ」

「外に出ていけない、地下の採掘も限界に近い、世界の孤島に等しいこの街に唯一やってくる資源といえば―――」


 あつきは屋根に覆われた天を見上げた。


「わかんだろ。“雨人”だ。俺たちは空から降ってくる可哀想な連中が身につけているものやら、なんやらをなんとか解析して利用して使うことでテクノロジーをあげて延命を続けているんだ」

「……酷いものじゃな。死肉喰いスカベンジャーという訳か」


 この街の実態は、幼女の言う通りに酷いものだった。

 墜落死したものの死体だけが必要で、それをまともに弔うこともせずに資源として活用するだけの世界。

 あつきにとって、守るべき価値のある街とは言えない、死んだ場所。

 そこを救うためにこの幼女に手を貸せという迦陵頻伽。

 どれ一つとして心に響かない。

 覇気がないと言われるのもむべなるかな。


「人を救うのに大層な理由が必要とは、〈騎士〉の称号をもつものとしては難儀なものじゃな」


 幼女の何気ない感想だけがあつきの胸を焼いた。



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