降ってきた幼女
「今、この街は未曽有の危機に陥っている。ところが、だ。それを止めることができるものはいないんだ」
軍服の女、迦陵頻伽火翠は事実だけを端的に告げた。
彼女の上から目線の言動と立場を良く知っているあつきにとっては、意外ともとれる発言だった。
「……〈遺物回収代執行機関〉の局長たるあんたが、そんなに弱気なことをいうなんて信じられねえ。さっきも言ったろ。あんたのところのサイボーグやらを使えば、この街のトラブルなんてほとんど片が付くだろう。“雨人”たちから得たITを独占して武器に転用しているんだからよ」
「こいつらのことかい?」
迦陵頻伽が指を鳴らすと、校門の陰に隠れていた大男が姿を現した。
踵までのロングコートは漆黒で、生地は金属を糸にして編み込んだ動物の皮であり、目深に被った帽子は表情を完全に隠している。
あまりにも大きなガタイは人を越えた巨人のようであった。
手の中には分厚い鉛の戦斧を握っている。
大地を踏みしめるような巨躯には似合わない、滑る足取りで迦陵頻伽の隣に並んだ。
「俺の知らないサイボーグだな。新顔かよ」
「ああ、貴様と〈勇者〉に蹴散らされた連中の後輩だ。後輩らしく、力は二倍ほど上がっているぞ」
「また、新しいITか」
「あれからも“雨人”たちを散々回収したからな。特に駆動系については十分にパワーアップしているぞ」
女が指を鳴らしたと同時に、巨人のサイボーグは戦斧を振りかぶって襲い掛かった。
一瞬で間合いを詰め切り、あつきの眼前に迫ったサイボーグ。
どんな丸太でも両断できそうな斧の一撃が振るわれた。
あつきの脳天が砕けて脳漿をぶちまけるだけの、常人ならば躱せそうもない速度であった。
だが、そうはならなかった。
あつきは軽くバックステップをしただけで、サイボーグの一撃を楽々と避けていた。
一見したところ、ただの少年学生にしかあつきの余裕の動きに対して、サイボーグは驚きもせずにさらに追い打ちをかけた。
再び、戦斧が振るわれ、横薙ぎに払う。
しかし、その攻撃も空を切った。
あつきがまたも後ろに下がったのだ。
サイボーグはその段になって初めて目を剥いた。
彼の動きは機械によって倍化されている。
同じように機械化された同僚でさえも、もう少し慌てて回避しなければならないほどの初速を出すことができる肉体なのだ。
それなのに、目標の青年学生は顔色一つ変えることがない。
ありえない光景であった。
「手を抜くな!」
上司の叱咤が飛ぶ。
彼女の目にはサイボーグが手を抜いているように見えるのか。
いや、違う。
彼女が声をかけていたのは、この少年だった。
「以前、貴様らが散々私の邪魔をしたときは、一切手加減をしなかったではないか。今更、温くなったとは言うまいな!」
「―――優しくなったといってくれ」
サイボーグの顎に何かが突き刺さった。
それはあつきの拳だった。
顔面は弱点になりうるとして、金属板で補強されているサイボーグは、それが目立たないように帽子で顔を隠している。
顎も同様だ。
その金属で覆われた顎を殴れば、そちらも無事では済まないはずだ。
だが、吹き飛んだのはサイボーグの方であった。
あつきの拳には傷一つついておらず、逆に顎の方が完全に割られてしまっていた。
素手によるものとは思えぬ打撃が脳を震わし、そのままサイボーグは失神して、機能停止した。
あっけなく地面に横たわった部下を見下ろして、迦陵頻伽はあつきに視線を戻す。
「以前も気絶させるまでやってくれたが、今回ほど優しく一撃では終わらせなかったよな。貴様も随分と温くなったものだ」
「半殺しまでやる必要はないだろう。無力化できればそれで終わりになる」
「腕を上げたのは確かか。いや、実力自体は昔のままで、精神の熱量が不足気味という感じかな」
「勝手に分析していろ。人を試しておいて、その上から目線はなんだ」
「やはり貴様にしか頼れんということを理解しただけだよ。―――おい、お姫さま。これで納得してもらえたか」
迦陵頻伽がまた背後に声をかけた。
校門に横付けされていた車の中から、一つの人影が降りて来て、そのまま静々と近づいてきた。
長い黒髪にはきらめく櫛を差し、足元には軍人が好むような頑丈なシューズを履き、稲妻を模した振袖と金襴の帯―――その帯には長い刀をおとしざしした美しい姫が。
豪華絢爛な衣装と無骨な武具の類いがチグハグな姿の姫君は、どう見ても十歳ほどの幼女の外見をしていた。
この、何が起きてもおかしくない妖魅漂う街でさえも眉をひそめてしまうような、滑稽になる寸前のアンバランスさが目立っていた。
もっとも、軍人コート姿の迦陵頻伽と並ぶと互いに打ち消し合って、両方ともマシに見えてはいたのだが。
「どうだった、お姫さま」
「よくはない。妾と共にこの街で戦うにしては覇気が足りぬ。それに、騎士を名乗るにしては熱さが足りぬ」
「贅沢を言ってもらっては困るぞ。こちらとて、あなたの要請にしたがって、たいして良好な関係でもない相手を斡旋しているのだから」
「いや、別のものを斡旋せよ。どうも、あの少年では不安だ」
「無茶を言うな。……あなたと我が街の敵と戦うのにあの少年以上の適任はもういないんだ」
迦陵頻伽と姫姿の幼女は、あつきを無視して口論を始めた。
その間に、のびたサイボーグは仲間らしい黒コートたちに回収されていた。
黒コートたちに見覚えのある顔があったが、あつきとは目も合さずにそそくさと去っていった。
あちらにとって、彼の存在はトラウマでしかないのだろう。
どうやら、彼のことについて揉めているらしいが、本人を置いてきぼりにして口論されるのは腹が立つので、今のうちにさっさと帰ってしまおうとあつきは歩き出した。
すると、その前にすらりと伸びたサーベルの刃が付きつけられた。
迦陵頻伽のものだった。
いつのまに抜剣したのだろうか。
あつきでさえも追いつかなかった早業である。
「おい、勝手に帰ろうとするな。許可した覚えはないぞ」
「……あんたらが俺をほったらかしにしていたから、さっさと帰ることにしただけだ。問題はないだろう」
「あるな。貴様に頼みたいことというのは、このお姫さまのお守りなのだから」
「―――お守りだって?」
きらり。
迦陵頻伽のサーベルの峰に合わせるように、上からもう一刃の発光がかぶさった。
姫姿の幼女が抜いた刀の刃だった。
こちらの抜刀も眼にもとまらない速さであった。
自らの身長とたいして変わらない刀を容易く抜く技量はとても幼女のものとは思えない。
「たわけが。妾のことをまるで稚き童女のように申すな! 妾はこう見えても、一国の王家の姫であるぞ! 童女扱いは好かぬ!」
「子供のお守りがメインの仕事であることに間違いはないだろう」
「だからたわけと言っておる! 妾が汝たちに要求しておるのは、あの最悪の人災の討伐だけだ!」
二人の変わった女に刃物を突き付けられた形になっても、あつきは表情を崩さなかった。
そもそも、どちらにも殺気がない。
殺気がなければムキになる必要もないからだ。
それにたかだか刃物ごときで簡単に殺せるほど、彼は弱い存在ではない。
「……残念だけど、その餓鬼んちょが普通ではないとしても、俺の知ったことじゃないだろ。何度も言わせてもらうが、関係ないから帰らせてもらうぜ」
いい加減、あつきがついていけなくなっていたところに、迦陵頻伽が爆弾発言を放った。
「関係はあるな」
「だから、ないって……」
「そのお姫さまはな、“雨人”だ」
愕然と、あつきは十歳ほどの幼女を見た。
確かに、この街の人間にしてはけったいな格好をしているが、まさか“雨人”だと……。
「三日前に高度1500メートルの位置に突然現れて、そのまま地面に落下してきた。だが、この娘には特殊な力があってな。おかげで地上スレスレで墜落を免れたという訳だ。あとは、現場に訪れた私の部下たちが見つけて回収したというわけさ」
「“雨人”が……生きている……」
「そうだ。貴様の師であった〈勇者〉タム・リンと同様にな。“雨”であるにもかかわらず生き残ったレアな存在だよ」
“雨人”は突然何の前触れもなく街の上空に現われ、なすすべもなく落下し、地面に激突して死亡する。
それがこの街の常識だった。
かつて、“雨”となって生き残った“雨人”は数人。
しかも、もともと特別な力を備わっていたという奇跡的な条件がなければまず生存は不可能であった。
そんな力を持っていたもので、あつきが知っているのは、ただ一人。
この世界を救った〈勇者〉タム・リン―――彼女だけであった。
「―――“雨”となって死んでいく“雨人”たちをすべて救いたい。そんな大それた願望を抱いて、現実に絶望し、どん底まで挫折した貴様が、このお姫さまを見捨てることができるのか。そこから自問自答してみるがいい」
三人の間に、死のそれと似通った昏い沈黙が落ちた。




