阿呆の天才
今は亡き父は戯言を好まぬ男であった。
全てにおいて厳しく完璧を求めるゆえ、実に『つまらない』人であったと母は言う。
母が私を産んだのはただの偶然の一言でいつも済ます。
そんな二人の血を引く私は戯言を愛して止まない人間になった。
つまり偉大であろう父を息子の私は尊敬していないのだ。
◇
――さて。そんな私の現在はスクスクと成長し、歴史と伝統のある京都の町で頭を抱えている。
小説の原稿が進まない。
最近さらに大学の備品を壊してしまった事もあり始末書も。
そういえば論文の発表も近い。
そうだ。私はいま非常に追い詰められている状況だ。
ココへ来たのはほんの気晴らし。
夏の風物詩たる京都の古風な町並みには人を寄せ付ける何かがあった。
そんな力に私も魅了された一人だ。
小説のネタが思い浮かばなかった時はよくココへ来る。
日本の神々や魑魅魍魎を好んで描く私の作風には京都の町を出歩くのが一番イメージが膨らみ創作意欲が増す。
なにより居心地も良い。
だがしかし、今回は本当に難である。
……スランプか。
いつもなら空想を巡らせてペンを走らせているというのに。
他にも片付けなければならないこともある。
親は。母はなぜ二十一年前に私を四本の腕を生やして産んでくれなかったのか。
『ぐぅぅぅ……』
私の腹部から音が鳴る。どうやら腹虫様がお怒りのようだ。
「なにか食わねば」
しかしその時だった。
視界から見慣れた風景が消えたのだ。
一瞬だけ眼に見える全てが白くなったと思いきや、すぐ目の前にはポツンと灰色の古い一軒家が現れる。
どうやら二階建ての古屋で、一階は古書店になっているらしい。
懐かしさを感じる古本の匂い。
店の隣には公衆電話があり、どこからか風鈴の音が聞こえる。
音が鳴り止むと私の目の前を無数のトンボが舞い、うるさいくらいにセミが鳴き始めた。
「……ココは」
私には見覚えがあった。
この場所に何度も来た覚えがある。
あるハズとは思うのだが明確には思い出せない。
「この私が京都で迷子だと? よもやタヌキかキツネに化かされたのではないか?」
化け猫やカエル、フクロウという考えはない。
しかしココは不思議な空間だ。
まるで空間が孤立した、時間がない世界のように奇妙である。
イエスかノーかと言われれば、ノーに分類される環境だ。
肯定してよいものか悩む。
「ファンタジーは苦手だな」
「……」
見るものにとっては殺風景ともいえる古屋から、なにやら声が聞こえた気がした。
幻聴ではない。
私は警戒心なく建物に入る。なかなかに自分がアバウトな人間だと今になって気づいた。
そこには本棚の高い位置にある本を背伸びしながら取ろうとする女子高生の姿があった。
見た目だけの判断だが、おそらく女子高生。少し古い時代を感じさせる制服を着たその娘は参考書でも探しているのだろうか。
無駄に背が高い私はその本を手に取り、彼女に渡そうとした。
「……あっ!」
本を取る手が彼女と重なる。
前髪がかかるくらいに長い黒髪の女子高生は私と距離をとった。
『へいへい彼女お茶しない?』
などと大人しそうな彼女に、いつの時代の人間か分からないナンパの方法を試みるわけもなく、私は彼女に今度はシッカリと本を渡した。
「あ、ありがとうございます……」
明らかに歯切れの悪い怯えた声、コレは確実に怖がられているな。
彼女から目をそらした私はこの本屋の違和感に気づいた。
意外にも広かった店内の本棚には、思った以上に本が並んではいなかったのだ。
店じまいでもするのだろうかと私は思ったが、どうもそうではなさそうだ。しかも先ほどから店員の姿が見えないのも気になる。
「コレがあなたの知識の全て」
「え?」
「今のあなたの本棚です」
隣にいた女子高生は今までとはガラッと雰囲気が変わると、私に先ほどのお返しをするかのように一冊の本を渡してきた。
なにがなんだかサッパリだ。
「そしてコレがあなたの求めた本」
「……求めた本?」
――――。
「先輩。先輩シッカリしてくださいよ!」
気づいた時には、私の視界は見慣れた風景に。
いつもの京都。そして目の前で私の身体を揺さぶる大学の後輩。
麦わら帽子にボーダーラインのシャツ、田舎者のようなオーラを放つ彼女の名前は八坂くんだ。
「八坂くん。私は……あれは夢か?」
まだ意識がハッキリとしない私に、彼女は大きくため息をもらした。
「何をバカなこと言ってるんですか。いや、夢を見ていたと言うのなら立ったまま眠るバカですね。
アレですか? たまにネタが思いつく時に言ってる精神が肉体を凌駕した的な感じの『阿呆先輩モード』ですか?」
八坂くんの特技とも言える人の心に土足で踏み入れる一言に、無防備だった今回の私には心を鷲掴みにされてしまう。
「ソレ毎回ろくな思いつきしませんよね。そんなことよりどうするんですか次の化学の論文?」
「そんなこととはなんだね八坂くん! 私は私の才能に確信を持てたんだよ。
‘あの夢’こそ私の‘阿呆私モード’である。私の次回作に期待していてくれたまえ!」
私は興奮しながら彼女の両肩に乗せた手に力を入れた。
「はぁ……それはそれは。
泥船に乗ったつもりで大いに期待しないでおきましょう」
『ぐぅぅぅ……』
「なにか食べてからですね先輩」
「そうだね」
私は八坂くんの肩から手を放して辺りを見渡して飲食店を探す。
空腹を満たしたら‘あの本’のアイディアをメモ帳に書き留めねば。
「……無力化されてた先輩の『境界古書店』改変するのめんどくさかったわ~」
八坂くんがボソッと何かを呟いた。
「ん? なんだね八坂くん?」
「いえ、宇治金時が食べたいなと……」
「宇治金時か。いいね。よかろう私のおごりで食べにいこうではないか」
歩きだす私と八坂くん。京都の街をブラブラと。だがしかし、言葉には出さない始末書の件。