美少女仮面 ピンク◆エンジェル
「どうだ、何か動きはあったか?」
「いいえ、今のところ異常なしです」
「では何か起きたら速やかに報告し、指示を仰ぐように。引き続き店舗入り口付近の監視をあたってくれ」
「はっ!」
四つ葉銀行笹塚支店にはものものしい空気が張りつめ、ドライアイスの冷気のように渦を巻き淀んでいる。
閉店間際の午後三時前頃、客を装った男が突然強盗に変身してしまい、平穏なこの銀行は地獄へと化してから数時間たち、いまだに膠着状態だ。
店内では、どうなってる事なのだろう……
「チッ、金をいただいてすぐトンズラのはずだったのによー。誰かマッポ呼びつけやがって、逃げらんなくなっちまったじゃねーか!オイ、110番したヤツは誰だ?正直に言えよ!」
「わ、わ、私達じゃありません。ひょっとして、お客様のどなたかが通報なさったのでは……」
「テメーら客のせいにすんのかよ!これが“信用第一、地域密着”をモットーにした四つ葉銀行様の実体か!?ハハハ……笑わせるぜ。こんな銀行はいらねえ、オマエら全員そこに並べ。脳天に風穴開けてやるよ!」
「いい加減そこまでにしなさい!」
「何だ、テメーは」
この極限状態で行員の誰かがどうにかなってしまったのか、はたまたコスプレ好き人間の妄想が昂じたのか、アニメか特撮ヒーローものに登場しそうないでたちの女性が突如として現れた。
仮面をつけているので顔は判らないが、犯人を討伐しようとする意志の強さが伝わってきて、拘束されている行員たちの絶望に一条のともしびを放って人質の顔に血の色を取り戻させるようだ。
「勧善懲悪、正義の味方。誰が呼んだか私の事を“美少女仮面ピンク・エンジェル”と人はいう。いい年をした悪党よ、頭を冷やして反省なさい!」
「ざけんじゃねえ!オマエも脳天に風穴開けてやる!」
ドカアーン!
犯人の銃がうなりを上げて、ピンク・エンジェルに向けて火を噴いた。
「キャーッ!」
女子行員たちは彼女がやられたとばかりに目をそむけて泣きじゃくっているが、銃弾に倒れるどころかヒラリ身をかわし、反撃に出はじめたのだ。
「エンジェルトランペット・フレグランス!」
彼女が手を振りかざすと、溜息がこぼれてしまいそうないい薫りが漂いはじめた。
心臓の鼓動が静かに規則的になり、脳波が穏やかになりそうな気分にさせてくれるようだ。
「あ、ああ……」
犯人の体の力も抜けていき、足元が崩れてひざまづいてしまった。
「エンジェルブーメラン・シュート!」
彼女は首飾りを外して投げると空で弧を描き、人質達を縛るロープを次々に切断し解き放っていった。
「ああ、縄がほどけた。腕が痛くなってたんだ、ありがとう」
「さあ、あなたたちは早く逃げて!」
「そんな事、させるかよ……」
腰が抜けていた犯人がよろよろと立ち上がり、再び銃を構えようとした。が、ピンク・エンジェルはまた首飾りを投げると犯人の手に命中し、銃もはじけ飛んでしまった。
「うっ、痛ぇ!」
「さあ、世の中を困惑させる悪党よ、ここが年貢の納めどきよ。正義の鉄槌、受けなさい!エンジェルアロー・アンデュレーション!!」
ピンク・エンジェルは両手を犯人に向けて、精神を掌に集中させた。すると物凄いパワーが発生し、目に映らない速さで波動が犯人に襲いかかる!
「ウワア!何だこりゃあ!!」
バタン!
そのまま犯人は失神してしまった。
「警察だ!犯人に告ぐ、お前はもう逃げられない。大人しく観念して……ん?」
銃声がしたので機動隊が乗り込んできたが、倒れている犯人に拍子抜けしてみんな大口をあんぐり開けている。
「あなた達ちょっと遅かったみたいね。私が倒しといたのであとはよろしくお願いします。では、私はこれで……」
「あっ、ちょっと君」
彼女は瞬く間に裏口の方へと去って行ってしまった。名前も言わず、疾風のように――――
「今のが噂の、ピンク・エンジェルか……」
事件の陰に女あり、事件解決の陰にも女あり。
凶悪事件の起こるところ、神出鬼没に現れる女性ヒーロー“ピンク・エンジェル”
その謎のヴェールに包まれた実体は誰も知らない――――でいた。
「四つ葉銀行強盗事件で、また“美少女仮面ピンク・エンジェル”が活躍か……」
「山原クン、もしかしてその事追ってる?」
「アラ、分かります?21世紀のジャンヌ・ダルクといわれてる彼女が誰なのかが掴めたら大スクープなんだけどなあ。あ〜あ……あ、こんな時間。編集長、私お昼に行ってきます」
「ピンク・エンジェルの事を考えていたら、昼メシも食いそびれたってか?ハハ…ゆっくり行っておいで」
「ハイ」
出版社勤務の山原あずさは週刊誌の編集室にいて、ピンク・エンジェルの事を記事にしてはいつも気になっていた。
女性でありながら男よりも凄い力をふるい、しかも名前も語らず悪をくじくとは格好良過ぎて同じ女性として尊敬どころか敬愛さえしている。
しかしそれだけにとどまらず、彼女のジャーナリズムはピンク・エンジェルの素性をつきとめ、本人に直接会って取材し、独占スクープを必ず取るという野心に密かに燃えているのだ。
あずさは駅前のハンバーガー屋の二階でぼんやりアイスコーヒーをすすっていると、午後の気だるい瞼もパッチリ目覚めるような朗報がふと耳に飛び込んできた。
「ねぇねぇ、ちょっと聞いたんだケドぉ、ピンク・エンジェルってウチラの学校の2年の藤堂ってコらしいじゃん。アタシも思うんだけどォ、超似てなくね?」
「ウン、超似てるー。あのコ、ホントにピンク・エンジェルだったら、マジヤバい〜」
(あら、あの子たち薫風女学院の制服着てるわ!)
こういう所にたむろする女子高生は噂好きで、しかもその噂の信憑性はあまりない。
しかしあずさは藁をも掴む気持ちで、その女子高生たちに近づいていった。
「ちょっとあなたたち、今の話の事だけど」
「は!?何このオバサン……」
『藤堂可憐?ああ、知ってるよ。髪が長くて顔もキレイだよ。ミス薫風とも言われてるくらいだからね』
『可憐を探してるなら、彼女のクラスは2-Aよ。窓際の席に座ってるわ』
『あのねえ、ナントカっていう女優さんに似てる。名前思い出せないけど。お転婆なコじゃないよ。大人しくて、どっちかってゆーとおじょーサマってカンジ』
女子高生の情報をいくつかリサーチして、あずさは授業中の校舎にこっそり忍び込んでいた。
本当は不法侵入なのだろうが、藤堂可憐の顔を確認するだけだから……と罪悪感を押し殺し、自分の中で無理矢理正当化していた。
そして、彼女がいるという2年A組の前まで来た。
(えーと、どの子かしら?窓際の席で、髪の長いおしとやかできれいな子……あ、きっとあの子だわ!)
可憐と思しき生徒を見つけると、あずさはすかさずデジカメでその姿を捉えた。
先生に見つかると厄介な事になってしまう。足音を消しながら、あずさはその場をそそくさと立ち去って行った。
そして、放課後――――
あずさは校門の前で張り込んでいる。記者も刑事のように張り込みという地味で大変な仕事を体験するが、もう慣れっこになってしまった。
でも今日の場合、これからもっと大変になる。
女子高生が、ひとりまたひとり校門をくぐって出てくる。はじめは少人数でも、そのうち沢山の生徒が蜘蛛の子を散らすように溢れてくるのだ。
その中で可憐を探すのはなかなか容易ではない。しかしあずさは諦める訳にはいかない。
ジャーナリスト魂が、あずさの背中を押している。
(あの子かしら?ううん違うわ。そっちの彼女?似てるけど別人ね。なかなか出てこないなあ……)
『可憐は部活に入っていないわ。帰宅部よ』
噂の娘は、下校時間になったらお出ましになる筈だ。デジカメの画像と女子高生たちの顔を根気よく見比べるが、想像以上に大変な作業にあずさは段々疲れてきてしまった。
「あーもう訳わかんない!帰ろっかな……」
諦めかけたそのとき――――
「あ!あの子。間違いない、彼女がきっとそうよ!」
まさに教室で見かけた女の子が、目の前で友達に手を振っている。
あずさの頭の中に、自社の雑誌が「独占スクープ!仮面の美女ピンク・エンジェルは実は女子高生だった!」の記事を飾り、誇らしげに微笑する自分がいた。
「あの、ちょっと待って。あなた、藤堂可憐さん?」
「はい、そうですけど……」
(やっぱり!頑張った甲斐あったわ。あー自分をホメてあげたい)
お目当ての人物にやっと会えて、“昇進”の文字も頭にチラリと横切っていった。
あずさは舞い上がっていきそうな気持ちを抑え、密かにレコーダーのスイッチをオンにした。
「ちょっとお話、いいかしら?」
「はぁ、ちょっとならいいですけど」
「あなた、ピンク・エンジェルってご存知?」
「え?……」
(顔色が変わったわ!手ごたえはガッツリね。よし!あとはひたすらプッシュ、プッシュ)
あずさはすっかり悦に入っているが、彼女だけでなく喜んでいる人間は実は他にもいた。
『ピンク・エンジェルたん、カワイイー萌え〜』
そう、ピンク・エンジェルヲタクである。
PCの中はもとより、部屋中ピンク・エンジェルの写真を貼り付け、頭の中は淫らな妄想でいっぱいになっていて、彼もまた噂を聞きつけて学校の前までやって来たストーカー男だ。
「なんだよぅあの女、ピンク・エンジェルたんにつきまとって。ウザイなぁ。人の恋路を邪魔するヤツは氏ねぇ!」
魔の手が忍び寄ろうとしている事に、あずさはまだ気づいてはいない。
次の日も、また次の日も、あずさは可憐を待ち伏せて執拗にコンタクトをとっていった。
「あなた本当はピンク・エンジェルなんでしょ!?ネタはあがってるんだから隠さなくてもいいじゃないの」
「ですから違うんですってば!あんなのただの根も葉もない噂です!」
「あなたも強情ねぇ。思い切って言っちゃえばスッキリするでしょうに」
あずさも必死だ。頭の中の独占スクープを実際に載せるまで、絶対に引き下がらない覚悟でいる。
相手が岩のように頑固だから一か八か鎌をかけてみようと、ふとそう思ってみた。
「でもね、証拠があるの。きれいに立ち去ったつもりでも、事件現場に置き忘れた決定的な証拠がね」
「は?……」
またもや、可憐の顔色が変わった。あずさはそれを見逃さずニヤリと口角を上げた。
(ついにシッポを出すわね!)
「オイ、そこの女!ピンク・エンジェルたんをいじめるな!オマエなんてお仕置きしてやるぅ!!」
「ちょっと、何!?あなた何なの!」
ストーカーヲタ男の堪忍袋の緒が切れてしまい、鬼のようにしつこいあずさをたちまち羽交締めにしてしまった。
「キャーッ、やめてー!」
「ピンク・エンジェルたんが何をしたんだ!オマエ悪いヤツ、ピンク・エンジェルたんのかわりに成敗してやるぞ!」
「ちょっと、何してるの。私ヘンタイに襲われてるのよ!あなたピンク・エンジェルでしょ、ボーッと見てないで助けてよ!!」
「イヤよ」
「何ですって、あなた正義の味方でしょ!?コイツが悪者なのが分からないの!?」
「私ピンク・エンジェルじゃありませんもの。仮にそうだったとしても、マスコミの人間を助けて、後で記事に書かれてわざわざ世間のさらし者になる馬鹿はいません。どっちにしても私にはできませんのでこれで失礼します」
可憐は何事もなかったように帰路に着き、たちまち二人の視界から消えてしまった。
「ちょっとーっ、置いて行かないでよ!この変質者、何とかしてえーっ!!」
「ホントウルサい女だな。ピンク・エンジェルたんも帰っちゃったし仕方ない、この女でも襲うか。いひひひ……」
「ぎゃーっ!やめなさいよ!いい加減にしないと殺すわよ!!アンタなんてブタ箱行きよ! 婦女暴行罪で訴えて……いやあああーやめてえーーーー!!!」
あずさがどうなったかは、誰も目撃しなかったしその後は誰にも分からない。
ただそれ以来、マスコミの人間のあいだにはピンク・エンジェルを追うと行方不明になるとの噂が実しやかに流れているそうな――――
<おわり>
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