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誰がための嘘  作者: 青砥緑
第七章 一つの答え
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暗闇に潜む者

またまた流血表現があります。ご留意ください。

 アウザ港での難民たちと騎士達の衝突から一週間も経った日の夜。ノザレス領の片田舎に一人のウラッカ王国騎士の姿があった。ウォーレス・テルである。


 故郷の小さな村の掘立小屋は、毎回訪れるたびにもう崩れてしまうのではないかと思うのに、なかなかどうして絶妙な傾き加減のまま、また一つ冬を越そうとしていた。

「ただいま。」

 誰もいないはずの小屋の扉をあけると僅かに明るい。長年の風雨に耐え兼ねてひび割れた壁の隙間から月明かりが差し込んでいるのだ。

 前回訪れた際に残していった蝋燭に火を灯す。ぼんやりと浮かび上がる狭い部屋。壁際の痩せた寝台に腰を下ろした。

 この小屋での温かい記憶は殆ど残っていない。ここを離れた年齢を考えればもう少し記憶があってもいいはずだが、大きな衝撃が幸福な記憶を塗りつぶしてしまったのだろう。父と母、それから姉がいたはずだ。改めて見回すと、この小さな小屋にどうやって四人もの人間が住んでいたのかと疑問に思えてならない。父と母は大きな大人だと思っていたが、実はとても小柄だったのだろうか。だから大人になった自分もあまり大きくない。


 そんなことをぼんやり思いながらだんだんと見回す景色が歪んできた。熱い涙が頬を滑り落ちていく。


「とうさん。」

 また、家族を失ってしまった。


 ウォーレスは震える手で顔を覆い、寝台に仰向けに転がった。穏やかな顔をしていた。青ざめた肌の色に不釣り合いなほど静かで、満足そうな顔をしていた。剣を握り続けたいかつい手は強張っていた。美しく整えられた姿に最大限の敬意を払って看取られ、運ばれたことを感じた。罪人であったのに、騎士達が敬愛してやまない師団長を罠に嵌めたのに、騎士達は義父の功績を蔑ろにしないでくれた。

 偉大な領主であった。強く賢い人だった。それは誰もが知っているチャールズ・ノザレスの姿。

 そして、ウォーレスの前では優しく、少し過保護な養父であったのだ。失った息子をウォーレスの後ろにみていたことは知っている。それでも彼はウォーレス自身のこともきちんと愛してくれた。


 ウォーレスが幼い頃、彼の暮らす村はイトルスとの戦に巻き込まれた。ウォーレスは逃げ惑ううちに家族と離れ離れになってしまった。子供も女も見境なしに襲ってくる兵士を前に、彼は震えて、この小屋の影で蹲っていた。それを見つけ出されて、腕を掴みあげられて引っ張り出された。逃げた村人の隠れ場所を言わねば殺すと既に汚れた剣で脅された。イトルスの兵士は恐怖に竦んで一言も話せなかったウォーレスを役立たずと罵って蹴飛ばし、切り捨てようとした。その時に若い騎士が飛び出してきて庇ってくれた。ノザレス領の騎士だった。馬上の敵相手に傷ついた体で戦って、早く逃げろと何度も叫んだ。それなのにウォーレスは一歩も動けなかったのだ。


 今でも、その日の夢を見ることがある。夢の中ではウォーレスの足はちゃんと動いて、若い騎士と一緒に逃げるのだ。そして二人で危ない所だったなと握手をする。


 それは叶わなかった夢だ。騎士はついに倒れ、倒れながらも大きな体の下にウォーレスを隠してくれた。虫の息で、俺の下に隠れていれば大丈夫だ、じっとしていろよ、そのうち助けがくるからなと言い聞かせた。荒かった息が細くなり、小さくなり、やがて止まってもウォーレスはずっと騎士の下に隠れていた。力を失った騎士の体と甲冑が重くのしかかり、苦しくなったが我慢した。辺りからはずっと恐ろしい物音が続いていた。それが全部静かになった後で、ノザレス侯爵がウォーレスを騎士の体の下から引き出してくれた。倒れた騎士の背には酷い傷と足跡があった。苦労して耕した畑は踏み荒らされ折れた槍や、息絶えた馬や、とにかく畑には全く似つかわしくないものがたくさん倒れていた。もちろん、人の姿もあった。

 泣いたウォーレスを抱いていてくれたノザレス侯爵は静かだったが、背を撫でる手が震えていたことをウォーレスは知っている。何度も涙をこらえるように喉を苦しそうに鳴らしていたことを知っている。


 結局、ウォーレスの家族は見つからなかった。もしかしたら遺体が見つかったのかもしれないが、騎士からは見つからなかったと告げられた。いずれにしても、もう会うことができないのだということは分かった。ウォーレスを庇ってくれた騎士は、エルドレッドという名だと知った。幼い子と妻がいたそうだ。騎士になってから一度遠目に見た二人は元気に暮らしていた。


 ノザレス侯爵は天涯孤独になったウォーレスを養子としてくれた。ああやって巡り合ったのも縁だからと言っていた。彼が領主様であるということを知ったのは養子縁組のためにノザレス城に連れて行かれたときだ。兄と姉だと紹介された青い瞳の兄弟たちは皆優しかった。何かに追われるように必死に武芸に励むウォーレスを応援してくれた。彼らが、エルドレッドが亡くなったのと同じ戦で命を落としたノザレス侯爵の子、彼らにとっての兄の代わりに自分を受け入れてくれたのだと理解したのは更にウォーレスが長じてからである。それを知ったのは意地の悪い誰かが、お前なんてただの身代わりだと囁いたからだが、ウォーレスはむしろ安心した。その頃には孤児たちの行く末や苦労というものも理解できる年になっていて、自分がいかに恵まれているか分かっていたからだ。分不相応な待遇の理由が分かって、かえってほっとしたのだ。


 もう戦場に家族を伴いたくはない。義父となったノザレス侯爵の思いは強くノザレス領騎士団に入りたいと願ったウォーレスについに首を縦に振ってはくれなかった。

「エルドレッドはお前に生きてほしいと思っているはずだ。お前に、また畑を耕して美味い飯を食わせてほしいと思っている。ウォーレス、お前は騎士にはなるな。私の子供で、お前だけが戦場に出ないことを許されているんだ。」

 領民が戦うときに、領主の一族が安全な場所にいることは許されない。それがノザレスの掟。養い子という微妙な位置にいつウォーレスだけが、戦場に出ないことを許される身分だった。義兄弟たちも、ウォーレスには戦場に出るなと言ったが、ウォーレスは不満だった。もう一度戦場に立って、泣いている子供を守ってやらなければエルドレッドとその家族に申し訳が立たないと思ったのだ。


 結局ウォーレスは家を出た。そして王国騎士団の門を叩いたのである。家族が悲しむから、騎士になったことは秘密にしていた。最後まで王都で細々と商売をしていると嘘をついていた。幸い、影としての仕事が続いたので、家族にウォーレスの本当の仕事が知れることはなかった。


 一昨日、ノザレス城に入り込んで一族のための礼拝堂で義父と久しぶりに顔を合わせた。訃報を聞いて慌てて駆けつけたので王国騎士の制服のままだということも忘れていた。入ってきたウォーレスを見て、義母は息を飲んだ。義姉達も言葉を失っていた。一番上の義兄だけが、頷いて場所を譲ってくれた。

「王国騎士団にお前が入るときに身分照会が来たから。父上もご存じだったよ。お前が私達の気持ちを慮って嘘をついてくれていることが分かっていたから、黙ってお前は王都で商いをやっていると信じているふりをなさっていたんだ。ノザレスの騎士になることを禁じたことを少し後悔していたかもしれないな。」

 何も知らなかった義母や義姉はウォーレスを責めたりはしなかった。それどころではなかっただけかもしれない。

「お前も、この先は分かるだろう?ノザレス家は断絶。直系の男子は悪くすれば全員連座で死罪だ。幸いお前の名前は系譜にないし、相続権もない。黙っていれば、お前に類は及ばない。ウォーレス。生き永らえなさい。いつか、本当に異国の果物を商って、私たちの下へ届けておくれ。」

 義兄は慌ただしくウォーレスを追い立てた。今回の事件に彼が関わっていたと思われてはいけないから、と。



「ごめんなさい。とうさん。にいさん。」

 誰かを守ろうと騎士になったのに、一番優しく支えてくれた家族を守れなかった。何のために義父を謀ってまで王国騎士になったのだろう。


 蝋燭の炎が風に煽られて消えた。

 唯一の熱源を失って、小屋の中はますます冷えたように感じられる。ウォーレスは狭くて暗い小屋のすぐ外に蠢く物の気配を感じた。


(今の俺は最高に荒れてるってのに。)


 ウォーレスが強引に涙を拭って懐にしまっていた短刀を抜くのと、壊れた壁の隙間から鋭い何かが飛来するのは殆ど同時だった。寝台に横たわって首だけ起こした姿勢のまま、手首を振って飛来ものを叩き落した。真っ二つになったのは矢。ご丁寧に王国騎士団のものだった。

 目の端に、その特徴的な矢羽の形を確認してウォーレスは短刀を投げた。月明かりを通す壁の隙間を通り抜けてまっすぐに飛んだ短刀が何かにぶつかった。

 カラリ。

 乾いた音を聞きながらウォーレスは小屋を飛び出す。扉を開いた瞬間に頭上から飛び降りてきた男は、長剣で切り捨てた。寒い冬の夜に、先ほどまで人間の中を巡っていた血液は温かかった。

 ねっとりとしたそれを拭って小屋の影に身を隠す男を見下ろした。自分を睨み上げる男と、目が合って、次の瞬間には刃が触れあっていた。何度も鋭く打ち合う。

 小柄で細身。ウォーレスは手練れには見えないだろう。その上、一番得意な得物は弓だ。次が投げナイフ。剣は苦手だった。

「ぐふっ。」

 しかし、苦しげな声を上げたのは暗闇に潜んだ男の方だった。

「剣は苦手だ。つい剣より前に足が出る。」

 硬い長靴で回し蹴りを決められた男は歯を食いしばって剣を跳ね上げた。ウォーレスはそれを避けたが、避けきれずに利き手に細く長い傷がつく。

 舌打ちをして左手に剣を持ちかえたウォーレスは一気に攻勢に出て男を追い詰めた。しかし、利き手で振るうより幾分速さに劣る攻撃の隙をつかれた。男はウォーレスに背を向けて逃げ去った。

「なんだ、逃げんのか。」

 ぽつりと呟いたウォーレスはゆったりと小屋へ戻り、入り口の前で倒れたまま絶命している男を引きずってどけた。改めて扉の前に立ち乱暴に足で蹴りあけると飛び出して来た黒い人影に迷わず剣を突き立てた。


 動きを止めた男から剣を抜いて転がすと月明かりに顔が照らされた。

「なっ。」

 思わず驚きの声が漏れた。倒れていた男は、ウォーレス自身によく似ていた。違いはそばかすの有無くらい。それは弱い月明かりの下では見分けがつかない。

「これを仕組んだ奴は相当趣味が悪いな。」

 いくら印象の薄い良くある顔とはいえ、自分にそっくりの男に自分を殺させようとするとは。

 ウォーレスは二人の遺体を探って身元を確かめる役に立ちそうなものを拾い上げると小屋に戻り翌日の朝日が昇るまで短い眠りに落ちた。

 

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