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誰がための嘘  作者: 青砥緑
第七章 一つの答え
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祈り

 アンドリューは目指していたノザレス侯爵のもとへ意識を失ったままの不本意な状態で運び込まれた。先客のノザレス侯爵に並んで教会の一室に横たえられる。

「おいおい。こんな重傷一人で手いっぱい。って。おい、その黒くてでかいの師団長じゃねえか!」

 ノザレス侯爵の止血にかかりきりだった軍医は運び込まれてきたアンドリューを見て叫んだ。

「馬鹿野郎。何してんだ。お前、こんなところでぶっ倒れてる場合じゃねえだろう。」

 意識のないアンドリューを容赦なく怒鳴りつけ終わると、次々と助手に指示を出していく。自らノザレス侯爵の傷を縫合を続ける傍ら、助手に解毒剤を処方させた。

「俺ぁ、あの人に怒鳴られると死神も怖がって引き下がるってのは景気のいい嘘だと思ってきたけどな、今日だけは本気で信じるぞ。」

 アンドリューを担いできた騎士達は頷いて、教会の礼拝堂で軍医の悪態を聞きながら神に奇跡を祈った。


 ***


 イゴールが州都を離れる時点で連れて行けるなかで一番腕のいい医者を伴って来ていたのは英断だったというほかない。並の医者であればどちらもすぐに匙を投げてしまっていただろう。幾度もぎりぎりの状況の騎士達を救ってきた軍医は諦めることなく二人の治療に当たり、なんとか命を繋いだ。しかし、それにも限界があった。

「今日中に司祭を寄越してもらえないのか。明日の朝までもつとは思えんぞ。」

 とりあえずの手配を終えて教会へ駆けつけたイゴールに軍医は二人のいずれにも治癒の奇跡を起こせる司祭が必要だと言った。しかし、アウザは僻地だ。貴重な癒しの技を持つ司祭はたいてい大都市におり、ここまで一日で駆けつけてくるというのは夢物語に近いものがあった。

「くそ。雪まで降ってきやがった。」

 じっとしていられずに教会の前を行ったり来たりしていたイゴールは悪態をついて屋根の下へ飛び込んだ。足場が悪くなれば、駆けつける者の足は鈍る。東の海岸では冬でも滅多に雪など降らないというのに、どうして今日に限って降るのだ。

 イゴールと配下の騎士達は通りすがりの司祭を発見するというほとんど不可能に見える可能性に賭けた。



 長い夜を越えて全てが凍てついた街を朝日が照らしだす朝が来ても、彼らの待ち人は現れなかった。騎士達の表情に絶望の暗い影が差し始めていた昼過ぎに、数騎の馬がやってきた。

「司祭を、必要と、する方が、いると。」

 息も絶え絶えにやってきたひょろりとした若い男は待ち望んだ司祭だった。ノザレス領の騎士が伴ってきたのはノザレス領にたった二人しかいない治癒の奇跡の使い手のうちの一人だという。騎士達が躍り上ったのは言うまでもない。連絡を受けてから州都を出たにしては早すぎることなど気に留める暇もなかった。若い司祭はかじかむ手もそのままにアンドリューのために治癒の祈りを捧げてくれた。

 そのまま朝が来ても休むことなく小さな礼拝堂で押し合いへし合いしながら祈りを捧げていた騎士達の耳に、軍医の怒鳴り声が飛び込んできた。

「馬鹿野郎。お前まで死ぬ気か。やめろ、休め。お前がここで倒れたらどっちも助かんねえんだぞ。俺の手間を増やすな。」

 その直後に何かが倒れる音がして、イゴールが慌てて飛び込むと青い顔をした司祭が床に倒れていた。

「司祭様!先生、殴ったんじゃないでしょうね!」

「そんな暇ねえよ。寝かしてやれ。疲れすぎだ。治癒の祈りは一度休んでから再開してもらうしかねえな。続けたら先にひょろい司祭様の方がいっちまいそうだ。」

 治癒の祈りは万能ではない。術者となる司祭の能力や、患者の状態、そして何より力を与えてくれる神の思し召しによって効果が左右されるのである。司祭が来たからもう安心とはいかない。イゴールは若い騎士を呼んで司祭を休ませた。寝台は二人の怪我人でいっぱいなので長椅子に騎士達のマントを重ねてなんとか寒さを凌ぐ場所をを用意する。

 意識の戻らないアンドリューの顔の左側は黒く染まったまま、呼吸も浅い。寝ないで駆けてくれたのだろう司祭に文句をいうことはできないが、治っていないことに落胆する気持ちはどうしようもない。イゴールがじっとアンドリューを見下ろしていると「おい」と軍医が彼をつついた。

「若いのをちょっと追い払え。相談がある。」

 イゴールは少しでもアンドリューの様子を知りたいと群がる騎士を治療の邪魔だと追い出した。

「マントがない奴は立ち止まってると凍えて死ぬぞ。走れ、走って来い!ついで暖炉にくべる薪探して来い。」


「で、良い相談かい?」

 声を低めて軍医に声をかければ、軍医はふんと鼻を鳴らした。

「この状況で良い相談がでるわけねえだろうが。悪い相談だ。」

 彼は寝ている二人を振り返った。いずれも同じくらい顔色が悪い。騎士団に長い二人には、どちらも全く予断を許さない状況だと分かる。

「司祭様はしばらくしたら目を覚ますだろう。でも体は一つだ。治癒はどちらか一人にしかかけてもらえない。そしてあの司祭様の実力から言って、一人助けるのが精いっぱいだ。」

「どちらかを治癒なしに治すことはできんのか。」

「無理だ。どっちも俺の手には負えない。」

 ノザレス侯爵は内臓の損傷が激しく、既に丸一日以上もっているのが奇跡に近い。いつ亡くなっても不思議ではなかった。アンドリューは的確な応急処置が幸いして何とか解毒が間に合ったかに見えたが、暗殺者は複数の毒を使用したらしく司祭が改めて解毒するまで残っていた分があった。この毒に長時間晒されて損傷してしまった臓器の機能は回復せず、放っておけば命が尽きる。相談の内容は、どちらを救い、どちらを諦めるかだ。

「くま親父が、残っててくれて助かるよ。」

 軍医はぽんとイゴールの肩を叩いた。彼がいなければより若い隊長に判断を委ねることになっただろうが、誰がするにしても辛い決断だ。

 イゴールは両手で顔を覆った。どちらも大事な仲間と思ってきた。尊敬している。失いたくない。二人にはそれぞれに家族もいて、帰りを待っているだろう。それでも迷って司祭に中途半端なことを頼めば、二人とも助からない。軍医に判断を任せてはいけない。これはこの場で最も階級が高いイゴールがすべき判断である。

「イトルス人と内通した侯爵の罪は明らかだ。行く末の死罪は免れない。だが、師団長は絶対に死なせるわけにはいかん。まして、この町で。」

 イゴールは目の縁を赤くしながらも決然としていた。軍医は黙って頷いた。

「侯爵は俺が引き受けよう。手は尽くす。」


 ノザレス侯爵は軍医に見守られて次の日の出を待つことなく静かに息を引き取った。




 若い司祭の祈りは一昼夜続いた。司祭本人が倒れた回数は既に三回を数えている。軍医は自分が誰の手当てをしに来たのか分からないと言いながら司祭を介抱したり、放り出していた他の怪我人の面倒をみたりと忙しそうにしている。しかし、彼にはもうアンドリューに対してできることは何もなかった。


「命を繋ぐので精いっぱいって感じだなあ。」

 司祭の背後から様子を窺い、外へ出てきた軍医はぼそりとこぼした。アンドリューの状態はこのところ改善しなかった。意識が戻らず浅い呼吸を繰り返すばかりである。じわりじわりと弱っていくのを司祭が必死に食い止めているが、それ以上のはかばかしい成果はない。

「神様の思し召しで奇跡の成果が決まると言うなら、師団長はすぐにでも助かっていいんじゃないのか。」

 頭をかきむしりながらイゴールが唸る。ここのところ髭や頭をかき回しっぱなしなのであちこちに毛玉ができて、改めてかき回すたびにブチブチと毛が切れる音がする。

「たくさん人を助けてきたが、たくさん人を殺しても来てるからなあ。」

 誰もが胸の内に思っていても口にしないことを軍医はさらりと口にする。騎士ならば誰しも背負っているその業を咎めて癒しの奇跡が訪れないのなら、アンドリューはきっと助からない。特にこのアウザという土地にあっては絶望的に思えた。

「でも、これまでも騎士はたくさん助かった実績があるんだ。師団長だって助かっていいはずだよなあ。これだけの人数が昼と夜とを継いで祈り続けてることだしなあ。」

 アウザの小さな教会にはアンドリューの負傷を知らされた騎士が入れ代わり立ち代わり訪れて一心に師団長の回復を祈っていく。祈りの言葉は軍医の言う通り一日を通して途切れることがない。

「そろそろ天まで届いて良い頃だろう。」

 イゴールも軍医も諦めたわけではなかったが、心のどこかでアンドリューの死を覚悟しはじめていた。若い司祭はおそらくアンドリューを癒すことはできない。彼が延命してくれている間に、より高位の司祭がやって来ない限りアンドリューの回復は望めない。

 いつまでも奇跡を信じて祈っていたいが、イゴールはそれができる立場ではない。アンドリューが動けない今、第三師団は全てイゴールの指揮下に入るのだ。僻地の更に外れの教会に籠っていることはできない。

「これ以上、難民どもをしばりつけておくわけにもいかん。明日には俺達はここを離れて州都に戻る。悪いが、人は残すから後を頼む。」

 軍医の背をぽんと叩くと、腕は良いが口の悪い軍医は「面倒を置いて行ってくれるもんだ」と悪態をついた。


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