表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰がための嘘  作者: 青砥緑
第一章 さよなら、日常
5/123

女商人キリエ・クロード-1

 ウラッカ王国のやや南側にコチという町がある。王都の南に街道を数日下ったところにある比較的大きな町だ。街道沿いであるだけでなく国を横切る大河の支流沿いでもあり、交通の要衝として有名なところである。当然宿屋も多いが、この町で何より目をひくのは大きな倉庫街だ。コチは人以上に、物の流れの交差する町である。


 その倉庫街の一角で大きな荷馬車が幾台も倉庫の前に並んでいた。そこは荷降ろしの真っ最中で、額に汗した男たちが大きな布袋を担いで行き来する。重たそうな袋の中身は南部から届いたばかりの米だった。王国では南部でしか栽培されていない貴重な穀物で王国中から需要がある。

「キリエお嬢さん。数え終わりました。約束どおりの百袋です。目方も合ってます」

 荷馬車が空になった頃に作業を指揮していた男が、作業を見守っていた女に声をかけた。彼女は差し出された書類に手早く目を通す。迷い無く視線を走らせ、大事なところは指でなぞり間違いのないことを確認していく。


「品質はどう、ジェット?」

 粗方の確認を終えると、声をかけてきた男に問いかける。今年は夏が厳しく日照りの影響で不作だった。必要な量をかき集めるだけでも苦労した。数が足りたとなれば、今度は質が気になる。

「悪くありません」

 男の答えに、女はほっとしたように笑顔を浮かべた。

「ああ、良かった。ありがとう」

 そして書類にサインをいれると、荷馬車の一団を率いてきた大男に向き直った。

「確かに受け取りました。遠路、ご苦労様。商館にみんなのお湯と食事を用意してあるわ、まずはゆっくり休んで。私もすぐに行きます」

「おお、ありがてえ。じゃあ、後でな。お嬢さん」

 大男はにかっと笑って手を振って歩き出す。途中、彼の指示を待っていた仲間たちに女の言葉を伝えたのだろう、荷馬車の一団は歓声を上げると女に向かって手を振ったり、飛び上がって感謝の言葉を叫んだり騒ぎながら動き出した。

「みんな、元気ねえ。あんなに元気ならすぐに取って返す便を任せても大丈夫なんじゃないかしら。馬車は寝かしても一円も稼いでくれないのだし」

 笑顔で手を振り替えしながら小声でつぶやくと、隣に並んでいたジェットと呼ばれた男は呆れたような顔で女を見下ろした。

「キリエお嬢さん」

 咎めるような声音に、女はちらりとジェットを振り返った。

「家訓のいう「普通の人達」に、彼らも入っていることを忘れないでくださいよ」

「普通の人達の当たり前の生活を守りその幸福を助けるための商売、でしょ。でもねえ、誰もが小さな幸福に手が届くようにするには、絞れるところは絞って、とれるところからはとって、商会の体力をつけないと。そうそう値下げはできないんだもの。ちょうっと節約の方法を模索してみたっていいじゃない」

問われた家訓を繰り返してから女は口の端を下げて不満そうな顔をしてみせる。その大げさな表情は演技だ。反省していないとジェットは更に厳しい表情を作って続けた。

「南部を出てから一ヶ月、野盗に教われないかと気を張り、積荷に雨が掛からないかと気を張りして、休み無く旅してきたんですよ。本当に今すぐ次の積荷を積んで行けなんて言ったら、泣かれますよ」

「もう、そんなに怖い顔で怒らなくても本当に行けなんて言わないわよ。荷馬車はともかく、人間誰しも休息は必要だってことくらい分かっています」

「分かっているのなら、そんなに嬉しそうに名案が閃いたような顔で言わないでください。こういうのを聞かれるから守銭奴なんて言われるんですよ」

「守銭奴なんて、商人にとっては褒め言葉でしょう?」

「ええ、キリエお嬢さんは立派な商人であられますけれどもね、自分が嫁入り前の女性だということも忘れない方がいいと思いますよ」

 ジェットの言葉に女は、フンと荒く鼻息をついてあからさまに顔を逸らした。都合の悪いことを言ってくれるな、という意思表示だ。ジェットも、取り扱いを間違えば大きくこじれる話題を引っ張るつもりはなかった。自覚してほしいのは心の底からの本心だが余計な説教は反省を促すどころか、機嫌を損ねるだけで実りが少ない。二人は何事もなかったように倉庫での仕事を終えると、先ほどの大男に告げたとおりに商館へと向かった。


 彼らが目指した商館は町の中ほどにある大きな建物で、クロード商会の所有である。クロード商会は王国全土に商売の手を広げている大商会であり、王都をはじめとした大きな町には必ず商館を持っている。その中でも商会発祥の地であるコチの町のものは特別で、現在もクロード商会の本拠地に当たる。商談のための応接室や、働くものたちのための食堂や簡易宿、大事な客人をもてなす賓客室に、各種の事務を行う執務室などが三階建ての立派な建物に詰め込まれている。

 キリエとジェットは商館へ戻ると、食堂へ顔を出した。遠方からの輸送を担った者たちへのささやかな労いを用意しておいたからだ。ささやかと言いながらも力仕事をする男たちの食べる量を考えて分量だけは多めに用意したはずだが、それらはほとんど食らい尽くされていた。

「お待たせ」

 久しぶりに湯を使って汗を落とし、酒を飲んで頬をピカピカにしている男たちに声をかけると、陽気な声が返ってくる。

「おお、お嬢さん。毎度悪いな」

「これがあるから、クロード商会の仕事はやめられないんだよなあ」

「ひでえよ、お嬢さん。ここでこんなに満腹にしちまったら、家で俺の食事を用意してる母ちゃんの飯が入らねえよ」

「心配すんなよ、お前の嫁さん。お前が家の扉を叩いてから慌てて買出しに行くんだろう。その間にちゃあんと腹は減るさ」

 普通の取引では荷物を運ぶ人夫たちや、その護衛は、荷物を届け終わったら賃金を受け取って解散するだけで食事や風呂で労ってもらえることはない。しかしクロード商会では商会で長く雇っている者も、初めて参加した日雇いの者も分け隔てなく仕事の終りには感謝をこめたもてなしを受ける。これはここ数年で始まった取り組みで、おかげでクロード商会は人夫や、護衛を請け負う剣士たちの間ではとても評判が良い。

「食べ過ぎたのなら、次にうちの仕事を格安で請け負ってくれると有り難いわね。今夜食べられない夕食一食分値引きでどうかしら?」

 キリエはお腹いっぱいだとぼやいた男ににやりと笑いかける。男は、がははと笑って頭をかいた。

「っとに適わなねえなあ。お嬢さんには。それでほいほい次の仕事にいきゃあ、あっちでまた歓待されて食べ過ぎるんだ。借りがなくなりゃしねえよ」

 男たちは違いないと頷いて、笑う。このうまい餌に釣られて、似たような条件ならばクロード商会からの仕事を優先して受けてしまう。

「ふふふ、末永いお付き合いをお願いしますね」

 キリエたちがあれこれと話している間に、数名の男がそれぞれに小袋を盆に載せて入ってきた。それを機に食堂で思い思いに寛いでいた男たちは立ち上がり、並びだす。小袋の中身は今回の報酬である。

「はい、お疲れ様でした」

 キリエとジェットで手分けして一人ひとりに手渡ししていく。どちらの前に並んでも良いのだが、そうすると自然とキリエの方の列が長くなる。先に捌きおわってしまったジェットが「こちらへもどうぞ」と声をかけても人夫達は「いや、俺はこっちでいい」とキリエの列を離れない。同じ額なら四十男よりも若い女性の手から受け取りたいと願うのは男としては仕方の無いことだとジェットは肩をすくめて隣のキリエをみやった。


 キリエは商売人としてはまだ若い二十五歳。すらりとしていながら豊かな曲線を描く女性らしい体つきは十分に成熟して健康的だ。絶世の美女というのではないが、溢れる精気と、溌剌とした表情が人を惹きつける娘だ。

 しかし、商売の世界で彼女の若さや生命力が滲み出るような美しさについてばかり口にするものは素人と笑われる。この世界で長い者がクロード商会のキリエというときには、何よりもその商才を話題とするものだ。身内は自慢げに、商売敵は苦々しく。

 例えば、遠方からの輸送団への労いも彼女の発案だった。国中、縦横無尽に荷を運び、商う商会にとって安全かつ迅速に商品を運ぶことは非常に重要なことだ。しかし荷を運ぶ人夫全員を商会で正式に雇い入れ、人品を見定めて管理することはできない。そんなことをすれば物を運んでいない間の給金が発生して商会はすぐに破産する。一人頭の賃金がより高い護衛を抱えておくことはもっと難しい。そこで、どんな商会も必要最低限を抱える以外は、荷を出すのに合せて日雇いで賄うのである。この日雇いの人夫、護衛にどれだけいい人材を素早く、そして安く集められるかが商会の一つの腕の見せ所となる。ここでしくじれば商品を持ち逃げされたり、悪意はなくとも駄目にされたり、あるいは配達が遅れて食べ物を腐らせたりと多大な損が出るのである。麦の収穫の季節のように一斉に物が動く季節になると商会同士で人夫の奪い合いが生じて、賃金がつり上がることも往々にしてあった。そこでキリエが、賃金で勝負するのではなく待遇で勝負すべきだと言い出したのである。賃金での勝負では工夫の仕様がない。上げたら上げた分だけ、支払わねばならない。しかし食事や風呂ならば工夫すれば費用は下げられる。繁忙期以外も同じように厚遇すれば、雇われる側もクロード商会を大事にしてくれるはずだと言うのである。

 提案当初、誰もが半信半疑だった。無駄な出費になるのではないかと言ったものも多かった。しかし、キリエは試しに一度やってみても良い程度の安い投資で済むと細かな試算を持ち出してきた。食事は高級な品を並べる必要はない。ただ温かく、腹に溜まるものをたっぷりと出してやれば良い。それこそ頭の使いようだ、と。そこで、では様子見にやってみようと始めたところ、これが大いに当たった。疲れきった仕事終りでの歓待は、人夫達を喜ばせ、賃金だけは良くても力仕事の日雇いなど荷馬と同じように扱う雇い先から、次々に人が流れ込んできた。仕事を願い出るものが多くなれば、頼む相手も吟味できるし、賃金交渉にも余裕が出る。この取り組みを始めた年から、クロード商会は年間の日雇いへの支払いと商品の輸送中の損失をどちらも大きく削減した。

 案を持ち出したときには二十歳だったキリエがどこまで見込んでいたのかは分からないが、今では彼女を若い女性だからと軽んじるものは商会中どこにもいない。その後もキリエは着実に成果を出して次期商会幹部の座を確実にした。彼女が商会で働くようになって以来、教育係として彼女についていたジェットとしては鼻が高くなりすぎて寝ている間に天井を突き破らないか心配になるほどだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=387028333&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ