アウザ港の戦い-4
海上の大軍を蹴散らした今、問題は陸の敵だ。騎馬の突撃は回避したものの、町の中には陸路でやってきた兵士と海から何とか這い上がった兵士が散らばり、終りの見えない戦いが続いている。狭い路地に入れば一対一でしか戦えない。休まるときのないまま半日が経ち、経験の浅い騎士達から判断を誤るものが増えてきていた。徐々に連絡がつかない部隊も出始めている。
お互いに増援はないとすると、一日に戦える時間は知れている。早朝に始まった分、終りも早い。夕暮れが始まる前に互いに兵を引くことになるのは見えていた。残っている時間で陸上の敵を打ち払えば一日で全てを終えることが出来る。一晩挟めば、それだけ互いに体力を回復してもう一度ぶつかり合うことになる。今日終えるよりも遥かに被害が大きくなるだろう。にらみ合いになったとしても混乱が一日延びて、手当てが一日遅れればそれだけで犠牲は増える。今日のうちに相手の指揮官を討ち取り、はっきりと決着をつけるべきであった。
もっとも激しい戦闘が行われていた大通りで王国軍は最後の防衛柵まで押し下げられていた。柵の奥には負傷した兵と、もう動かない兵が入り乱れて倒れている。前線に立っている者もそれぞれに傷つき、交代に控えた者も剣を支えにやっと立っているような有様だ。中隊長がやってくるのを認めると、場を任せられていた小隊長が駆け寄ってくる。彼もまた甲冑がひしゃげ、荒い息をついている。
「被害おおよそで八十。敵兵の多くは路地に散りました。あちらは、この柵を落とした後に騎馬隊を一気に突進させるつもりでしょう。先ほどから騎馬兵を下げています」
中隊長は一つ頷くと、後ろについている彼の直属部隊を振り返った。人数は決して多くないが腕の確かなものばかり十名。
「戦線を一度押し返す。五小隊はその隙に隊列を組み直せ。この柵は死守するぞ」
大通りを突き抜けられれば、海から這い上がってくるイトルス兵の相手をしている騎士達が挟撃あう。そうすればここまでの善戦も水泡に帰す。
「応!」
柵の前に中隊長が立ち、その背後に十名が並ぶ。先頭を切って中隊長が駆け出すと、十騎が続く。十一騎の騎馬の突進を受けて騎馬部隊を後ろに下げていたイトルス軍は大きく押された。たった十一名だが精鋭ぞろい。特に先頭に立つ中隊長の強さは圧倒的だ。立ち塞がるどのような敵もものの数とせず、突き進む。徐々に速度を上げる一団は防衛柵が壊れた通りを一気に駆け抜ける。イトルスの指揮官が朝の時点で思い描いていた騎馬の突進力を生かした突撃である。慌てて騎馬部隊を前線に戻してきたイトルス軍とぶつかりあって馬の勢いが止まるまでに倒れた柵、二つ分ほどを取り戻していた。そして馬の足が鈍ってもなお、中隊長を引き止めることができる者はない。休まずに剣を振るい、じりじりとイトルス兵を押し戻し続けた。
中隊長の圧倒的な強さは王国騎士を勇気付け、対面するイトルス騎士を恐怖に陥れるに十分だった。形勢は一気に王国有利に傾く。後続の部隊が隊列を立て直したのを見て、中隊長は一人敵陣に深く切り込んだ。危険だから戻れと呼び止める仲間の声に振り向きもしないで前進する。今、いっとき盛り返しても疲れ果てた兵の力は長くは続かない。敵将を討って早急に勝負をつけなければならなかった。そうしなければ消耗戦となり王国は不利になる。
町の入り口付近、開けた場所に陣を張っていたイトルス軍は海上に配置した戦力がほぼ無力化されたことを知って撤退の準備に入っていた。送り出すべき兵がいないのならば港を押さえる意味はない。追撃を受けないように上手に退くために戦況をうかがっていたところで、大通りに配置していた騎馬部隊の本隊から急ぎの報が入る。どこに温存していたのか王国騎士団の騎馬部隊が出てきて一気に押し返されているという。このまま突き抜けられたら、本陣まで一直線に攻め込まれてしまう。
即撤退の決断を下し、散ってしまった仲間たちを呼び戻すための呼子を鳴らし、狼煙を上げる。
駆け戻ってくる仲間達。だいぶその数を減らしているが、一度退いて立て直せば、まだ隊として機能する。やはりここは退いて上官の判断を仰ぐべきだろう。生きていれば、この負けも次の勝ちで取り返せる。陸の指揮官は胸のうちで、海の指揮官にこの負けの責任をとってもらうつもりでいた。昨日まで戦時下とも思えない平和そのものの港だったのだ。漁船も商船も戦争の役には立たないはずなのに、こちらは軍船を六隻も並べてまともに降り立つこともできないなど指揮官が無能だったとしか思えない。
苛立ちを押さえて退却の準備を急がせていた指揮官の耳に蹄の音が届いた。そして悲鳴も。まさか、と見回せば、まだ崩壊していないはずの戦線を突き破り、一騎の騎馬がイトルス陣へ飛び込もうとしている。
「馬鹿な、たった一騎で来たというのか」
指揮官は驚きの言葉を漏らした後に、すぐに声を張り上げた。
「半円の陣を張れ!名のある騎士を打てば褒美も出ようぞ」
ここで死んでしまっては建て直しも何もない。当てもない褒章をちらつかせて発破をかければ疲れ果てて座り込んでいた者達も腰をあげ、剣を構えた。
イトルス兵にとって、それは恐ろしい光景だった。たった一騎の騎士が剣を振るうたびに取り囲む自軍の兵士が一人、また一人と倒れていく。さながら凶刃を伴う旋風である。そしてとうとうその騎士は大通りに詰めていたイトルス軍を縦断した。その全身が見えたとき、本陣で待ち構える一列目の兵たちが顔を青ざめさせてじわりと後ずさった。騎士は叩き落されたのか既に兜を被っていなかった。黒髪、黒目、額から流れ落ちる自らの血で赤く染められた顔、何度も繰り返し浴びた血で深紅に染まった甲冑も日陰では黒く見える。イトルス兵にはそれは黒く禍々しい災厄の姿として映った。黒い災厄は立ち上る殺気で周囲を圧倒する。そして彼はまっすぐに指揮官を見据えると笛を吹いた。耳に刺さるような高い音が鋭く鳴る。王国騎士団の笛の音だ。イトルスの兵に込められた意味は分からないが、彼らにとっての吉報でないことだけは明らかだった。
「何を怯えることがある。相手は一人だ。囲い込んで止めをさせ。もたもたしていると残りの騎士どもが集まってくるぞ」
大声で叱咤する指揮官は馬上から駆けてくる相手を見ていた。自分を貫いた先ほどの視線に間違いのない殺気を感じた。凄腕の騎士なのだろうが、この町に有名な騎士など配置されていただろうかと報告された記録を必死に思い返す。
笛を放した後、騎士はもう一度馬の腹を蹴って駆け出した。あっという間に半円の陣形の一角にたどり着く。指示通りに騎士達が槍を突き出し囲い込もうとするものをたやすく交わし、槍の穂を切り落とし、ついでに一人を馬から蹴り落とす。勢い僅かに削ぐことはできても、とても止めることなどできないとイトルス兵の顔に絶望の色が浮かぶ。さらに背後の路地からは、滲み出るように王国騎士団の騎士達が集まってくる。おかげで先ほどの笛は集合の合図と知れたが、知ったところでもう手のうちようが無い。
そこからは一方的な掃討戦だった。もう退くつもりだった上に黒い騎士の鬼神のごとき戦いぶりを見せ付けられたイトルス軍の士気が明らかに低く、じわりじわりと王国騎士団に囲い込まれて殲滅されていく。
中隊長は自らに課した通りに指揮官の首級を挙げ、その副官と階級の高そうな騎士を捕虜とした。港を任せた部下からは海上の小船は一掃され、軍船の最後の一隻が船首を返して去ったと報告が入った。こうして夕暮れの前に小さな港町の戦は終りを告げた。
この戦いにおける王国騎士団の殉職者は二百名に上り、イトルスの戦死者は海に消えたものを含めてその十倍を数えた。田舎の港町での攻防としては類を見ない激戦であった。
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後に、このときのイトルスの作戦は中隊長が推測した通り、前線の膠着を打開するための奇策であったことが判明する。これを絶たれたイトルスは効果的な策を打ち出せず王国優位の状況のままに停戦に同意したのである。事実が明らかになってから、戦局を決めたこの勝利は改めて国内で高く評価された。ウラッカ王国正史においても、ウラッカ王国暦二三八年 第五次イトルス国境攻防戦におけるアウザ港の戦いとして数行ではあれど特別に記録されている。中隊長として指揮を執り、知略と武勇いずれにおいても見事な手腕を発揮した騎士アンドリュー・フォードは史上最年少で大隊長に昇進し、近隣諸国までその名を轟かせた。




