部下の親心
その日、師団長の執務室には部屋の持ち主であるアンドリューと常駐するシリルのほかに副師団長イゴールを含めた三人が集い、打ち合わせを行っていた。
「ああ、シリル。この間は助かった。キリエの話し相手になってくれて。」
少し休憩しようかと、各々が席を立ったところでアンドリューが思い出したように声をかけた。
「何の話だ?」
シリルの返事よりも前に、話の流れが分からないイゴールが二人に問いかける。
「夜会ですよ。一昨日キリエさんと師団長が初めて一緒に出た夜会。ビュイック公爵は穏やかな良い方ですが、こうも王都を席巻している噂の二人が参加して、周りがそっとしておいてくれるわけがない。ああした場所に知り合いの少ないキリエさんはともかく師団長は悪友達に捕まるだろうと見越して潜り込んでおいたのです。キリエさんが長いこと一人で狼の群れの中に残されては可哀想ですからね。そうしたら案の定師団長は若い男性たちに連れ去られ、キリエさんは女性たちに囲まれて小突き回された挙句に、身の程知らずの男に話しかけられていたのでしばらく話し相手になって差し上げたというわけです。」
話を聞いたイゴールはあきれ顔で上官を振り返った。
「離れたのか?馬鹿じゃないのか、師団長。自分の連れを見せびらかすなら一緒にいなけりゃ意味がないだろうが。」
しかし、アンドリューは違うところが気になったらしく怪訝そうにシリルに問い返す。
「身の程知らずの男?」
「フィッツジェラルド社の御曹司のガートですよ。貴族に娘を嫁がせて、商売に便宜を図ってもらうやり方は、フィッツジェラルドの得意技ですから焦ったのではないですか。何か裏のある婚約だろうと匂わせて随分強引に食い下がっていましたよ。」
「ああ、確かに声をかけられたと聞いたな。それで?」
「僭越ながら適当に追い払いました。」
さらりと告げるシリルの様子に、適当という表現が不適切なくらいこてんぱんにやったのではないかと二人は推測する。
「ただ少々気になることを言っていましたね。」
複雑な表情を浮かべる上官に気づかないようにシリルは一言付け加えた。
「気になることってなんだよ?」
イゴールはぎょろりと目を剥いてシリルを見た。脅しているのではなく考えながらしゃべるときの癖である。
「その場の会話でガートは少々口を滑らせていたもので。キリエさんをどう攻撃するかで、彼女や今回の婚約の背景をどの程度知っているのかが見えます。彼は婚約を隠れ蓑にクロード商会と師団長が何か企んでいるのだろうとずいぶん直截に切り込んでいました。キリエさんの様子を見て、彼女が何を知っているか知りたかったか、あるいは揺さぶりをかけてぼろを出させたかったのか。彼女は知らぬふりで押し通してくれましたから余計な情報は与えていませんが、逆にガートの様子から見てとれるところがありました。彼の立場であれば、師団長とキリエさんの婚約という事実から警戒すべき事柄はいくらでもあります。例えば、フォード公爵夫人の社交界における影響力は無視できません。キリエさんと、公爵夫人の顔色をうかがってクロード商会と取引を望む家はすぐにも出るでしょう。そういう目の前の誰にでも分かる問題には頓着せずに、荒唐無稽とも聞こえる計画を一番警戒して見せたのはどういうことでしょうね。」
シリルの問いには既に答えが出ている。イゴールもアンドリューも大した驚きも見せずに軽く頷いて話の続きを促した。
「彼にとって、今一番重要な仕事が騎士団絡みのもので、しかもクロードを御用達に追加してでも我々が新たな補給源を必要としていることを既に知っているから。と、考えるのが妥当ですね。例の不正の件、危ない橋だけに社長が全て取り仕切って、いまいち能力に心配のあるガートには敢えて関わらせていない可能性もあるかと思っていましたが、そうではなさそうですね。」
不正にフィッツジェラルド社が関与していることは既に調べがついている。ガートが平気な顔で夜会などに顔を出せるのは、あとほんのわずかの期間のことだ。現時点で逃げ出していないことを腹が据わっていると見るべきか、情勢の読めない愚か者と見るべきかは何とも言えない部分があるが、シリルの評価は後者である。
「今更、この婚約を御破算にしようとしたとして、彼らの悪事を続けられるはずもないというのに、無駄なあがきです。それも分からないとするとフィッツジェラルドの未来は知れていますね。」
現在の当主の辣腕があってこそ支えられている巨大な商家である。貴族に取り入ろうとしたおかげで、彼らを取り巻く環境は複雑になり、もう純粋な金勘定だけではかじ取りをしていけない。ガート程度の能力の息子を跡取りとするのなら、御用達であるかないかに関わらず、身内に乗っ取られるか、周りから食い物にされて身代を潰すだろう。
シリルの辛辣な評価は毎度のことであるので、アンドリューは「分かった」と至極簡潔な答えで受け止めた。
「それで、他に変わったことはあったか?」
キリエから聞き洩らしていることがあると次回の夜会までに必要な手が打てない。シリルに問いかけると彼は首を横に振った。
「他はキリエさんご自身で売られた喧嘩もうまく捌かれていましたよ。社交界に出るのが十年以上ぶりというのはちょっと信じられないですね。とても優秀でいらっしゃいます。」
アンドリューは納得顔で頷き、イゴールはにやにや笑いである。
「シリルにそこまで言わせるとは。婚約者殿は見どころがあるな。」
「ええ、見どころは十分です。挑発に乗って余計なことを口になさることもなかったですし。」
「しかし、シリル。お前どれだけお嬢さんに張り付いていたんだよ。ずっと聞き耳を立てていたのか。お前が横恋慕していると思われたら余計に面倒くさいぞ。」
「誰がそんなへまをするものですか。ご心配なく。くま親父殿と違って私は人に紛れやすいですから。これでも影出身ということをお忘れですか。」
「その影を離れたのは適性がないからだろうが。」
「違います。」
「いいや、余計な嫌味を言って相手に自分を印象付けちまうっていう悪癖が治らなかったせいだと聞いているぞ。」
「そんな根も葉もないこと。使いどころは弁えていますよ。少し泳がせていい気になっているところを叩きのめす方が効果的ですからね。」
黙ったままの師団長を置き去りに、副官と副師団長はやいやいと煩い。頭脳労働が得意な副官と一見すれば完全に肉体派の副師団長は、これで意外と仲が良い。
お茶を淹れなおしたアンドリューがどさりと椅子に腰かけた音で、二人は雑談を打ち切った。
「師団長。先日も申し上げましたが、夜会の中にはあからさまに騎士を連れていけません。なるべくキリエさんの傍を離れないようにお願いします。今回は私がいましたが、毎回私がでしゃばっては警戒されます。悪意の有無に関わらずああもひっきりなしに囲まれていては、どこかで口を滑らしかねません。」
アンドリューは眉根を寄せて頷いた。
「分かっている。しかし、俺も一歩も離れないわけにもいかないからな。毎度、その場にいてもおかしくない人間に潜り込んでおいてもらうしかないだろう。必ず手配する。」
夜会の途中にずっと夫婦や恋人と一緒にいるのは少々異常だ。束縛が過ぎるか、目を離せない理由でもあるかと勘繰られて悪目立ちする。信頼のおけるものを潜入させておいてアンドリューが離れている間を任せる他ないのである。
「それほどの回数を連れまわす予定はないから、何とかなるだろう。」
夜会の場でキリエをそれとなく庇うだけであれば腕っぷしが強くなくても問題はないので個人的な知り合いでも良い。アンドリューには十分な人脈がある。
「騎士以外を頼られるときには事前に報告をお願いします。これだけ噂が広まれば彼女を積極的に害しようという者が現れてもいい頃なのですからね。」
副官に念を押されてアンドリューは重々しく頷いた。計画が漏れるのも困るが、キリエという協力者を傷つけられるのも騎士としては許せない事態なのである。
「ところで、師団長。キリエさんの呼び方、キリエ嬢は止めたのですね。」
唐突に話題を切り替えて、しかも思いがけないところを指摘されてアンドリューは苦笑いを浮かべた。そういえば、と気が付いたイゴールが面白そうに目を輝かせる。
「なんだ、いつからここは従騎士たちの居室になったんだ。」
初恋の女性や初めての恋人について興奮して語っている十代の従騎士でもあるまいに、呼び名くらいでそんなに顔色を変えることもないだろう。そんなつもりで発した言葉を受けてシリルは軽く頷いた。
「師団長の恋のお話は従騎士時代ですら滅多に聞かなかったですから。今からじっくりやり直しても良いかもしれませんね。このままでは恋愛経験が乏しすぎていざ本当に結婚となったときにどんな失敗をしでかすか心配です。世紀の色男が初心だったなんて意外性は誰にも期待されていませんよ。」
アンドリューの表情は苦笑いから苦虫を噛み潰したようなものに変化した。三十過ぎの男を捕まえてひどい言い草だ。しかし、イゴールにとっては共感を呼ぶ言葉であったらしい。
「シリルもたまには良いこと言うな。」
ついでに俺は既婚だから、なんでも助言してやろうと偉そうだ。
「好意はありがたいが、キリエは作戦上協力してもらっているだけだろう。変に周りが煽っては迷惑というものだ。」
アンドリューが悪乗りする年上の部下達を諌めるように言うと、シリルは真面目腐った顔で頷いた。
「もちろん彼女との関係が私的なものでないことは分かっています。ああ、そうそう。夜会用にドレスを依頼した仕立屋に追加で作らせているドレスについても、騎士団でお支払しなければなりませんから領収書を回してください。一着目はどうしてもとういことでしたので、師団長払いのままで結構ですが。でも一応予算というものがありますから、十枚も二十枚も仕立てられると困ります。いくつ依頼されていらっしゃいますか?」
表情はどこも笑っていないのに、腹の中で笑っているのが透けて見える。そんなシリルの言葉にアンドリューはため息を漏らして額に手を当てた。彼は今、私的に、かつ内密にキリエのためのドレスを作らせている。夜会に毎回同じ服を着ていけないから追加は必要だが、それでもなお多い数なのは彼女の協力に対する個人的な礼のつもりでもあった。
(それを、どうしてこいつが知っているんだ。)
相変わらず空恐ろしいほど耳が早い。
アンドリューの返事を期待しながら待っている部下を今一度眺めやり、アンドリューは今日彼らがここにいる理由がなんだったかと思いを馳せて、しばし現実から逃げ出した。




