アウザ港の戦い-2
第二話から第四話まで戦争シーンの描写が続きます。流血シーンは少ないですが苦手な方は第四話の最後のセクション(***の後)から読み始めてください。
「敵襲!」
甲高い笛の音は遠くまで届く。王国騎士団で使われる緊急の連絡方法だ。彼らが受け持っている港であるアウザ港まで敵の部隊が迫っている。それも陸路と海路からの挟撃。笛の音はそう告げていた。
「避難路を確保。すぐに住民を起こして避難させろ。一から三までの小隊は持ち場を動くな。残りは私について来い」
時刻は夜半前。中隊長は素早く身支度を整えて部屋を飛び出し指示を出す。連絡のあった敵以外に伏兵が考えられないか、この奇襲の目的は何か。部隊の支度が整うのを待つ間に起こりうる事態を次々と検討する。
膠着している前線に対して自分たちのいる場所は遠い。決戦に向かって戦力を前線に結集すべき今、奇襲をかける意味の無い場所だ。だからこそ、今ここ一帯の防衛に回されている騎士は若い者が主体でほかに比べて陣が薄い。
しかし、イトルス軍は悪あがきで無差別に攻撃をしてくるほど愚かではない。意味があるはずだ。いくつかの推論を立てては消し、一つの可能性にたどり着く。この港町に王国軍の援軍が駆けつけるまでに最も早くて二日かかる。二日経つ前に港をこじ開け、一度だけ船を通過させことは可能だろう。つまり海路で派遣した兵士を一度だけ、物資と同じ経路を辿らせて前線に送り出すことが出来る。河を上って前線を目指せば、現在王国が送り込もうとしている追加の軍勢よりも早くそこに辿り着く計算になる。敵の領地を横切る危険な作戦だが、陸路を行くよりも遥かに早く前進することができるのは確かだ。前線の膠着状態をひっくり返せるほどの増援。そう仮定すると、海上には町に駐留する騎士の数を遥かに超える大軍が控えていると考えられた。
「影がやられたな」
それほどの大軍の出航を見逃すとは考えられない。諜報部隊の伝令を狙い打ちにされた可能性が高い。
原因がわかっても、現状打開の役にはそれほど立たなかった。どれほどの大群が来ているとしても町の放棄はできない。港を死守しなければ、王国は一気に形成不利に追い込まれ、最悪の場合には、負ける。
第二中隊の方針は決定した。
「港は決して放棄しない。迎撃の準備を。イトルスの軍船をウラッカの港に繋がせるな」
「応!」
隊長の指示に力強い返答が返る。
「この闇は幸いだ。敵に悟らせずに街を封鎖することができる。さあ、夜が明けるまでに支度を終えるぞ」
各部隊は兼ねてからの指示に従い、速やかに町に散らばっていく。夜中でも迷わず路地を駆けられる様に備えておけと言われて青くなっていた新米騎士達も、迷いなく飛び出していった。
わずかな灯りの下で静かに騎士達が動き回る。緊張に張り詰める夜が終りを告げる頃、全ての準備が終わったと報告が入った。
港に面した急ごしらえの本陣の前に騎士を集めて中隊長は開戦前、最後の指示を出す。
「この勝負が今回の戦の鍵を握る。運が回ってきたと思え。手柄を立てるなら今日だ。遠慮はいらん」
「応」
「備えはした。地の利もこちらにある。決して躊躇うな」
「応」
「ウラッカに。我が王に勝利を」
「勝利を!」
剣を掲げて、中隊長は力強く部下を鼓舞する。戦時にしか使わない特別な進軍の掛け声に士気はいや上がった。率いる若い騎士たちが実力どおりに立ち回ってくれれば、数に劣っても地の利のある自分たちに十分な勝機がある。彼らは繰り返し響く笛の音から敵の数や進路に耳を澄ませ、静かに敵襲に備えた。
イトルス軍の船団は夜明けより少し早く、アウザ港の沖に達していた。しかし攻撃を仕掛けるのは夜明けの光を見てからと伝達され、船の進む速度は緩められた。
「この港の陣容は薄い。しかも若造ばかりと聞く。陽光の下、我々の船団を目の当たりにすれば士気が挫けよう。及び腰になってくれれば被害も少なくて済むというもの」
敵国内の河を遡る間に攻撃を受けるのは必至だ。それでも兵力を温存して前線まで進軍し、敵の士気を挫くことがイトルスの海の指揮官に与えられた任務である。この第一関門での消耗は少ないに越したことはない。昨夜の日没時点で、港はまるで平時と同じように平和なものだったと斥候から報告を受けている。蹴散らすのにたいした時間はかかるまい。指揮官は兵士に交代で休息をとらせて夜明けを待った。
朝日がようやく水平線に姿を現した頃、海上にあったイトルスの軍勢は港を視界に納めて十分な勝機を感じた。船という船が港の中に引き入れられ、荷箱が桟橋や港の縁に壁のように積み上げられている。ただそれだけだ。弩の備えも見えない。港は急ごしらえの防御を敷いただけと見えた。
「よし。海とは今日でおさらばだ。装甲の厚い船を前に。全船前進せよ」
同じ頃、王国騎士団も港から海を見つめていた。朝日に照らされた洋上には、この小さな港には一隻収めるだけで精一杯ではないかと思えるような大きな船が六隻浮かんでいた。角のような舳先と高いマストを持ち、鉄板で覆われた堂々たる軍船が三隻。それから巨大な箱型の船が三隻。箱型の船からは長い櫂が大量に伸びている。いざというときは人力で進む奴隷船だ。その中に陸戦用の兵士を大量に積んでいるのだろう。船の規模から推定するに防衛に当たる王国軍の三倍以上の戦力がある。その威容を目の当たりにした若い騎士たちは唾を飲み込み、震える手で剣の柄や、胸に吊るしたお守りを握り締めた。ついで港町の陸からの入り口に配置した部隊より、そちらでも敵軍の騎馬と歩兵の進軍を確認したとの報告が入る。陸路の兵は王国領を潜行できるよう人数を絞り込んだようで、イトルス軍は五百人と伝えられた。陸路の敵に同数の騎士を対面させれば、巨大船団を迎え撃つ手は僅かしか残らない。
「本当に運が向いたな。まさか朝まで大人しく待ってくれるとは思わなかった」
中隊長は薄く笑みを浮かべる。これが歴戦の騎士兵士ばかりならば相手が二倍いようが三倍いようが心配しないが、これが対人戦は初陣となるものも多い部隊だ。浮き足立って内側から崩れることが最大の懸念だった。そのために一番避けたかったのが大船団による夜襲だったのである。陸戦ならば暗くても地の利がある。しかし海からの攻撃にはそれは効かない。そのうえ、光が届かぬ闇の中から延々と兵士を送り込まれ続けたら、騎士達の士気が挫ける。いくら相手の数が多くてもはっきり見えている方が恐怖は少ないものだ。開戦が夜明けとなったことで、王国騎士団の勝機は上がったと隊長格の騎士たちは中隊長の言葉に頷いた。
イトルス軍は船首から前面を硬い鉄板で覆った軍船二隻を先頭に立ててまっすぐ港へ向かっていく。この硬く大きな船を後続の船を守る盾とするためだ。港の大きさから言って二隻が並べば王国軍の視界はそれでいっぱいになる。防御の薄い後ろの船を攻撃される恐れはない。
王国軍は静かに、船が近づいてくるのを待った。彼らが持つ海上の戦力は僅かだ。軍船は皆、より重要な港に置かれており、ここには目の前のイトルス軍に対抗できるような船はない。王国軍の船に立ち塞がられることのないまま、イトルス軍は無人の港に入るかのように悠然と船を進めた。近づいてみても港に散らばる王国騎士の数はわずか。住民は篭っているのか、もう逃げたのか、港を囲む館の窓は全て閉じられ、戸も同じように閉じられている。眠っているような町の様子に最前線の船長は若いと噂の王国軍は余程の無能か、臆病者らしいと嗤った。きっと昨夜のうちに小さな港を見捨てて逃げ出したに違いない。
「ばか者、罠だ。近づきすぎだ。何のために投石器を積んでいるんだ」
後続の船に乗っていた別の指揮官が叫んでも声が届く距離ではない。
お互いに一つの石礫も、一本の矢も飛ばさぬまま、船が港町にかなり近づいたところで、ついに王国騎士団に攻撃の指示が出された。中隊長自ら港に立ち、海に向かって腕を振り下ろす。
「放て」
一拍遅れて港に臨む建物の窓が一斉に吹き飛んだ。海に面する商館や民家の最上階に弩が並べられていたのだ。そこから一斉に石礫が放たれた。荷箱の影になって海上から確認できないように巧みに配された大型の弩からも小岩の雨が降る。
抵抗の無さに攻撃開始距離を見誤っていた船は、港に近づき過ぎていた。隠されていた弩から放たれた岩は硬い船首の装甲を飛び越えて、無防備なマストや甲板を直撃した。さらに王国軍からは小岩だけでなく、樽も投げ入れられ、甲板で割れ飛ぶと油が流れ出す。そこに弓兵が火矢を射掛けた。火の海になった甲板は見る間に混乱に陥る。ウラッカ王国の腕利きの弓兵たちは操舵席とマストを操る縄を集中的に攻撃した。操舵の術を奪われた船は退くこともできず前に進み続け、その分だけ苛烈になる王国軍の攻撃に晒された。
やがてその前進が徐々に緩やかになり船は横腹を港に晒すようにして止まった。海面からは見えないよう、しかし沈まぬような高さで港への入り口を塞ぐように鎖が海中に張られていたのである。船の推進力を完全に止められるような強い物ではなかったが、海上を横向きに吹く風が王国軍の味方をした。帆を奪われ速度の落ちていた船は僅かな引っかかりで減速し、舷側に当たる風によって大きく船尾を振るように旋回した。お互いの船首と船尾がぶつかり合い、押し合い、身動きが取れない。こうして先頭の軍船二隻は王国の港に一兵も降ろすことができないまま完全に立ち往生した。甲板は燃え続け、穴の開いた甲板から流れ落ちた油が運んだ火が船倉にまで燃え移っていく。投石器や弓で陸上を攻撃していた船員も船が沈めば命はないと火消しと脱出準備に追われて攻撃の手は徐々に緩くなる。そして他の船を護りながら進路の確保をするはずだった二隻は、その巨体で完全に後続の船の前進を妨げてしまっていた。
「くそ、何をやっているんだ!」
後続の船長たちは、それぞれに呻き声を上げた。
炎を上げ、停止した船を見て港では歓声が上がる。
「船から敵を下ろすな。港に近づける前にまとめて沈めろ。そうすれば人数の差など問題にはならない」
これが当初からの指示であった。崩れだせば歯止めが利かないのと同じように勢いに乗れば、どこまで勢いづくのが新米騎士の特徴だ。戦端が開いて早々に二隻を無力化したことで彼らの士気は上がった。彼らが何の役に立つのかと思いながら運んだ樽は大型の弩によって敵船に叩きつけられ、炎を広げた。目立たぬよう苦労して民家の屋根裏に据え付けた弩も敵軍の意表をついて活躍した。中隊長の指示に間違いはなかったことが証明されたのである。彼らは既に朝一番に船団を見たときの青い顔を捨て、決意と闘志を漲らせて駆け出していた。
海上の攻防は、数の上で圧倒的に不利である王国軍優位で双方の初手を終えた。