Midnight Wish
「加奈子さ、知ってる? 呪いのジンジャーマンクッキーの噂」
その噂を聞いたのは、曇天模様の昼さがり。 私と香織は教室の窓際の私の席でお弁当を食べていた。
「何そのオカルトじみた噂」
「都市伝説だよ、この町だけに伝わるね」
都市伝説が大好きな香織。 昼休みのお弁当タイムには毎回この話題を持ってくる。 口裂け女とか、ひきこさんとか、首無ライダーとか。
「ふーん、じゃあ教えてよ、その噂」
私は半ばあきれ気味で、おかずの卵焼きをほおばった。 今日のはちょっとしょっぱかったかな。
「そのジンジャーマンクッキーはね、満月が出る深夜にだけ現れるお菓子屋さんに売ってるんだって! それを買って食べると食べた分だけの人を呪えるらしいよ」
「へーえ」
「だけど、呪う代わりに代償が必要なんだって」
「だろうね、人を呪わば穴二つって言葉もあるし」
願いをかなえる類のありきたりなパターン。 その話に飽きて、一つため息をついた。
「って反応つめたっ! 今日はどうしたの加奈子ぉ~」
「だって呪いとか関係ないし。 代償払ってまで呪いたい人いないし」
「まぁ、そうだけどね」
香織も自分の弁当をほおばりながら私の話に納得していた。
私の名前は本条加奈子。 どこにでもいる、平凡な高校生。 『長いストレートの黒髪に少し目にかかった前髪の平凡な容姿の女子』という立場で、平凡な高校に通い、平凡な友達に恵まれ、平凡な生活を送っている。 だから今もこうして、平凡な天気の中、香織と弁当を食べている。
毎日毎日、この繰り返し。 実につまらない。 私の想像を超える突飛な世界は、どうして来てくれないのだろうか。 そう思いながら、私はまた一つ、大きなため息をついた。
帰り道、香織と別れたあと、私は自分の家へと続く上り坂を歩いていた。 ふと空を見上げると、暗くなり始めた空に丸く光る月が浮かんでいた。
私は手帳を開いて今日の月の満ち欠けを調べてみた。 そしたら案の定、今日は満月だった。
『呪いのジンジャーマンクッキーは、満月が出る深夜にだけ現れるお菓子屋さんに売ってるんだって!』
まさか…ね。 現れるわけがないよ、まだ深夜って時間でもないし。 それに都市伝説何てただの噂にしか過ぎないんだから。
そんな私の思いとは裏腹に、足は家とは反対の方向に歩んでいる。 まるで、誰かが私をそこへ導いているかのように。
「ようこそ! スイーツショップ「Midnight Wish」へ!」
「!?」
気がつけば、目の前には1人の少年がいた。 金色の髪に、美しい顔、そして紫のタキシードを着た彼の容姿は、不思議の国のアリスのうさぎを思わせた。
…って見とれてる場合じゃない! こんな時間に子供がいたらだめじゃん!
「ボク、家はどこなの!? こんな時間に外出歩いてたらだめだよ、帰ろう!」
私が彼の手をつかもうとすると、彼は私の手を払いのけた。
「子ども扱いしないでくれるかな? これでも僕は店長なんだよ?」
彼はそういいながら、頬をぷぅっと膨らませる。 渡しより低い背で、しかも声変わりもしていないようなまるっきり子供の声をしているから説得力が全くないというのは黙っておこう。
「店…長?」
「うん、このスイーツショップのね!」
彼が指差した先には、小さな小屋があった。 しかしその小屋は古びていて、どこか風格のあるたたずまいだった。
「こんなのがあったんだ…」
「何してるの? 早く入ってよ!」
無邪気な笑顔で腕を引っ張られ、小屋の中へと案内された。
小屋の中はアンティークなもので埋め尽くされていた。 そこに漂う、甘い香り。
「すごい…」
「でしょ? これ全部そろえるの意外と大変だったんだから!」
彼は得意げにソファーに座った。 「どうぞ」とでもいうようなそぶりもあったことで、あたしもようやく落ち着いて座ることができた。
「ところで、ここは一体何なの?」
「さっきも言ったけど、ここはスイーツショップ。 補足するなら、お姉さんのお願いを叶えられるかもしれないってところ」
その補足が一番大事なんですけど。
「ってことは、ここが呪いのクッキーを売っているところ?」
「あれ、クッキーで有名になっちゃってるか。 他のも買ってほしいんだけどなー。 まあいいか」
そういうと、彼は奥に引っ込んだ。
震えが止まらない。 都市伝説が本当で、これからどうなるかわからないという恐怖、そして、突飛な世界が訪れたという喜びが入り混じっている。
「これがそのクッキーだよ」
「っ!!」
いつの間に来ていたのだろう、彼は既にソファーに座っていた。 彼が指すテーブルの上には、どこにでもあるのと同じようなジンジャーマンクッキーが5つ、並べられていた。
「このクッキーを1つ食べるごとに、1人の人を呪えるよ。 食べるときはどうやって呪うか思い浮かべながら食べるから、殺すことだってできるんだ」
言ってることはおぞましいのに、彼は無邪気に微笑んでいる。 子供とは思えないと、この時初めて思った。
「これの代償は…?」
「代償? 噂ではそんな風になってるのか、誰かが勘違いしたんだな。」
「えっ?」
「いや、こっちの話。 ああ、代償なんて必要ないから。 ただ、呪いは呪った分だけ返ってくるからね」
「『人を呪わば穴二つ』」
「そういうこと」
…これなら、平凡な世界を変えられるかもしれない。 呪いとか、すっごく興味が湧く。 やってみたい。
「…それ、もらう」
「わかった! お買い上げありがとうございます♪」
そう言いながらにっこりとした笑顔で立ち上がった彼は、私をドンッと突き飛ばした。
「きゃあっ!」
後ろを振り向くと、深い深い闇が私を待ち受けていて、そのまま私はその闇に飲み込まれた。
『お姉さんの物語、楽しみにしてるからね』
部屋のなかで、目覚ましのベルが鳴り響く。 寝起きの頭にがんがんと鳴り響くそれは耐えがたいもので、私はむくっと起き上がり、目覚ましを止めた。 時計は、朝の6時を指している。
「夢だったのかよ…つまんないな」
がっかりしてベットから立ち上がった瞬間、とさっと、何か軽いものがおちるおとがした。 気になってベットの足元を見てみると、かわいいラッピングに包まれた…あのクッキーがあった。
「…」
私はそのクッキーを手に取り、何も考えずに鞄の中にしまった。 今日の足取りは、なんだか軽かった。
「あっ、加奈子おはよー」
教室に入り、自分の机にたどり着くと、香織がやってきた。
「おはよう」
「ちょっと聞いてよ!今日1時間目から笠島の授業だよ!」
「げぇ…笠島かよ」
笠島は数学担当の教師で、授業ではまともに授業をする時間よりお説教のほうが長い。 元進学塾の鬼教師と噂の笠島は、「そんなんじゃ有名大学に行けないぞ!」とか、単に怒鳴り散らすから、皆うんざりしている。
「しかも今日小テスト返ってくるから、授業にならないかもね」
「そっかあ、通りで教室の空気が重いわけだ」
そんな話をしながら鞄に手を突っ込んだとき、あのクッキーが手に触れた。
…そうだ、このクッキーが本物であれば、笠島を呪っちゃえばいいのかも?
私はこっそり袋からクッキーを1枚取出した。 どうやって呪おうかな…。 骨折させる? 意識不明にさせる? いっその事…いや、その一線は超えないでおこう。 とりあえずは、骨折だな。
「…笠島が骨折しますように」
そして…クッキーを食べた。
それから10分は経ったけど、何も起こらない。 すでにHRの時間だ。 それももうおわろうとおうのしていて、笠島の授業の時間が近づく。 教室の空気は既に重苦しくなっていた。 その時だった。
学級委員の古蔵さんがドアから入ってきて、チョークを手に取る。 そして黒板に書かれた文字。
『数学 自習』
教室中がざわついた。 というよりは、喜びの声が上がっていた。
「おい古蔵、どうなってるんだよ」
「なんか、階段で転んで骨折したらしいよ、いま病院だって」
「やったじゃん! 笠島の授業受けなくて済むー!」
…本当に起こった。 始まったんだ、非凡な世界が! 私は、期待と興奮が収まらなかった。
昼休みになって、私は今日も香織と弁当を食べていた。 天気は快晴、昨日の天気はどこへ行ったのだろうか。
「今日さ、笠島いなくてよかったよね! 一生入院してればいいのにー」
この非凡な毎日の始まりにテンションが上がっていた私の声は、自分でも驚くくらい高かった。
「そう…だね」
「どうしたの香織、いつもテンション高いのに」
香織は一つため息をつくと、私にこう告げた。
「朝にさ、智也君の下駄箱にラブレター入れてきたんだ」
「ああ、香織が片思いしてるって言ってた人?」
「うん。 放課後に返事を下さいって書いたんだけど…それが昇降口のゴミ箱に入ってた」
「えっ…」
「だからショックで、ちょっとね…」
「そうだったんだ…。 あっ」
そうだ、次に呪うのは智也君にしよう。 仇…とかではないけど、ちょうど次の犠牲者を探していたことだし。 それにあっちだって1人の人間を気づつけているのだから、当然だ。 でも、どうやって呪おうかな。さっきは骨折だけどいずれ復帰するからどうでもいいし、もうちょっとスリルが欲しいな…。
「はぁ、それにしてもラブレター捨てるとか、男の風上にも置けないよね! ちょっともてるからってさ、ああいうやつは一回女に制裁を受けられるべきだよ!」
「あはは…」
いつの間にかテンション回復してるし…。 ん? 女性に制裁…そうだ!
私はトイレに行くといって廊下に出て、クッキーを1つ取り出した。
「智也君が女性の犯罪者に刺されますように…」
そして、またクッキーを食べた。
『今日夕方、下校途中の男子高校生が刺されて重傷を負った事件で、警察は同じ高校に通う女子生徒を傷害の容疑で…』
そんなニュースが流れたのは、その日の夜だった。 その直後、連絡網でその被害者は智也君だったという連絡が入った。 そして、犯人が香織だったということ。
「そんな…香織…」
私は恐怖と悲しみのあまり、布団をかぶってベットに寝そべった。
確かに私は女性に刺されろと願った…けど、まさか香織が犯人になるなんて!!
「呪った分だけ返ってくるっていうのは、もう始まってるのかな…香織がこうなるなんて…」
次の日、香織の席には大量の落書きがあった。 「犯罪者」 「死んでしまえ」 「きもい」など。 その落書きは、私の席にもあった。 周りの皆は、クスクスと私をあざ笑っていた。 きっと香織と一緒にいたから、同類扱いされてるんだ。 もとから私はクラスで底辺の人間だったから、余計に。
それから毎日毎日無視されたり、物を隠されたり、聞こえる声で悪口を言われたりした。 いつしか私は学校に行くのも嫌になり、家にこもるようになった。
初めて私に芽生えた、「憎い」という感情が、脳内を駆け巡る。
「皆…このクッキーで呪ってしまいたい」
だけど、クッキーはあと3枚。 クラス全員を呪いたいけど、足りない。 そんなことを考えていた時だった。
『…次のニュースです。 今日午後、○○市の小学校で火災があり、多数の児童が死傷しました。 原因は教師の火の不始末とみられ…』
偶然つけたラジオから、そんなニュースが流れてきた。
「そうだ…巻き込んじゃえばいいんだ。 皆…」
冷静に考えればおぞましい考えだけど、もう私に正常な思考は残っていなかった。
「だったら、力も強力なほうがいいよね…」
私は鞄から3つ、クッキーを取り出した。
「私をいじめ始めた人が、理科室の爆発で死にますように…」
そして、またクッキーを食べた。 食べ終わった後、皆の死にざまを思い浮かべると、笑いが止まらなかった。
『速報です。 先ほど、○○市の高校でガス爆発がありました。 この事故で既に30人の死亡が確認され…』
そのニュースが流れたのは、クッキーを食べてから10分後のことだった。 自分の思い通りになったのが、この上なくうれしかった。 と共に、非凡な日常がここで終わるのかと思うと、少し残念だった。
夕方、もう暗くなり始めたころ、暇だったのでコンビニに行くことにした。 空はどこかで見たような紫色をしていた。
やだ、ちょっと気味悪いな…
足早にコンビニに行こうとした、その時。
…加…奈子…
「っ!」
背中に、冷たい風が入り込む。 確実に、後ろに何かいる。
…んで?
その声は1人じゃない。 数十人はいる。 逃げなきゃいけないのに、体が言うことを聞かず、私はゆっくり後ろを向いた。
…死んで?
「あーあ、もう終わりか、つまんないな。 お姉さんは楽しませてくれると思ったのに」
アンティークで埋まるあの小屋のソファーで、少年は本を片手にアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「お姉さんが非凡な世界を望んだのと同じように、僕もそんな人に一度でも出会ってみたいんだ」
少年は万年筆を手に取り、持っていた本に書き込む。
昔々、平凡な世界を嫌う少女がいました。 そんなある日、呪いのクッキーを手に入れました。 彼女は非凡な世界に魅入ってしまい欲望を爆発させ、殺した奴らに殺されて死んでしまいましたとさ。